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 キスが未遂に終わった事を、私は誰にも言えなかった。いつもなら孤爪くんと進展があった時、ゴンちゃんに報告するというのに、なぜかあの日のことは内緒にしておきたくなってしまった。あの時の感情も、孤爪くんの視線も、隠しきれない高鳴りも。
 週明けの登校は少し緊張した。どんな顔をして教室に行ったら良いんだろうと迷いながら電車に揺られた。教室に着くと孤爪くんはもうすでに席に着いていて、一瞬目が合ったけど軽く微笑んだ後すぐに視線をそらしてしまった。だって、昨日の夜ずっとあの時の事を考えてたんだもん。恥ずかしくてまともに孤爪の顔、見られるわけない。

「おはよ、名前ちゃん」

 後ろから声をかけてきたのはゴンちゃんだった。

「あっ、ゴンちゃんおはよー」
「今日はちょっと遅かったね。もしかしたら休みかなって思ったよ」
「いや、実は昨日考え事してたら今朝寝坊しちゃって……」
「悩みごと? 大丈夫?」
「へーきへーき!」

 盗み見るようにして孤爪くんのほうを見る。孤爪くんはもう私の方を一切見ていなかった。ただいつも通り席に座っていた。……そんなものか。やっぱり私は意識しすぎなんだろうな。

『おはよー。後で少し話せる?』

 その時、制服のポケットの中で携帯が震える。相手は黒尾先輩だった。わざわざ連絡してまで話したいことがあるなんて一体どうしたんだろう。疑問に思いながらも返事をする。

『おはようございます。わかりました、大丈夫です!』

 私を呼び出すんだから孤爪くんのことだよね? いやそれとも何か他のこと? 一瞬、黒尾先輩から連絡があったことを孤爪くんに言おうか迷ったけれど頭上から聞こえるチャイムの音でそれは叶うことなかった。


△  ▼  △


 結局お昼休みに黒尾先輩が会いにきた理由は案の上と言うか、やはりと言うか、孤爪くんについてだった。

「名前ちゃん」
「黒尾先輩! わざわざ来てくれてありがとうございます」
「良いって良いって。話あるっつったの俺だし。……研磨は教室?」

 言われて教室を見渡すけれど、孤爪くんの姿は見えなかった。

「や、いないみたいです」
「じゃあちょっと廊下で良い?」

 教室から離れ階段の近くへ移動する。壁に寄りかかる黒尾先輩は背も高くて絵になるなあ、なんてことをぼんやりと考えた。

「てかこの前は本当にごめんね」
「えっ? あ! あの、それはもう、その……謝らないでください。……謝られると逆に恥ずかしいです」
「あ、てことは恥ずかしくなるようなことしてたんだ?」
「く、黒尾先輩!!」
「ははは。ごめんごめん。研磨は何も教えてくれなかったからつい。……まあ、そんな、怒らないでよ。怒ったら可愛い顔が台無しでしょ?」

 茶目っ気たっぷりに黒尾先輩は言う。もう、黒尾先輩じゃなかったら私もっと怒ってたよ。頬を膨らませたままの私を黒尾先輩笑いながら見つめ「さてと……」と一区切り置いた。

「まあ、冗談はこれくらいにして」
「もう。最初からやめてくださいよ」
「来月さ、研磨の誕生日あるの知ってる?」

 まさかだった。孤爪くんの誕生日が10月なのは知っていたけど、まさか黒尾先輩からその話が振られるとは思っていなかった。

「えっと、一応知ってます」
「そっか、なら良かった。いつもはさ、部活終わったあと皆でわいわいやりながら祝ったりすんだけど、今年は名前ちゃんって言う存在がいるでしょ? とは言っても研磨の誕生日は平日だし部活もあるから時間はたくさんあるとは言いがたいけど、二人で過ごすんならこっちも配慮しなくちゃなと思って聞きたかったんだよね、予定」

 なんだかんだ言いつつ、黒尾先輩はこうやって私たちのことを気にかけてくれるから優しいと思うのだ。
 孤爪くんの誕生日が平日なのは知っていた。っていうか知ったときに調べた。部活もあるんだろうなって思っていた。もちろんお祝いはしてあげたかったし、プレゼントも渡すつもりだった。けど、そうか。いつも部活の皆に祝ってもらってたのか。

「あの、私は当日に二人で会える時間が少しでもあったら嬉しいんで、部活の皆で祝うっていう恒例行事……なんですかね? そう言うのがあったら全然そっちを優先してもらって大丈夫です! たくさんの人にお祝いしてもらえるの嬉しいと思うんで」

 ちょっと良い顔しいって感じかな。そりゃあ私だって孤爪くんと二人きりでお祝いできたら嬉しいけど、孤爪くんの時間を全部私がもらうのもなんだか悪い気がした。それに、どっちにしろ部活の終わりなら少ししか会えないだろうし、それなら黒尾先輩たちに祝ってもらってから私が夜にちょっと孤爪くんに会いに行っても同じだろう。
 黒尾先輩は何か考えるような表情だったけれど、どんなことを考えているのか私には皆目検討もつかなかった。

「うーん……じゃあまあ、一応俺らでもなんかやったりは考えるけど、もしあれだったら名前ちゃんにも声かけるから安心して」
「え? あれってなんですか。私は良いですよ。てか孤爪くん、私とバレー部の人が関わるの多分嫌だと思ってますよ。色々からかわれたくないだろうし」
「まあまあ、悪いようにはしないから」
「はあ……」
「もちろんちゃんと二人になれる時間も出来るように調整はしとくから」
「……はあ」
「何かあったらまた連絡すんね」

 黒尾先輩はひらひらと手を振ると3年の教室の方へ歩いていった。……キスのことで忘れていたけど、そうだ、私には悩まなくちゃいけない問題があったじゃないか。孤爪くんの誕生日という一大イベントが。黒尾先輩が何を考えてるかもわからないし、何をプレゼントしたら良いのかもわからないし。やばい。もしかしたら思っているよりも時間がないのかも。

(16.10.31)