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 黒尾先輩の背中が見えなくなったのを確認して私も教室に戻る。

「誕生日、かあ……」
「あっ名前ちゃんおかえり〜」
「ゴンちゃん、ただいま」
「結局、呼び出しって何だったの?」
「うん、それがね……」

 私を笑顔で出迎えてくれたゴンちゃんに癒されながら、私は孤爪くんの誕生日が来月に控えているということを告げた。

「え、来月なんだ!」
「そうなんだよね。プレゼントもどうしたら良いか決まってないし、んー、悩む!」
「初めての誕生日だもんね。悩むよね」
「孤爪くん部活で、そのあと部の人に祝ってもらうらしいから私が何かする事はなさそうだけど、プレゼントは喜んでもらえるものあげたいんだ」
「うんうん。わかる。けど孤爪くんは名前ちゃんからのプレゼントなら何でも喜ぶと思うよ」
「……そうかなあ?」

 そういうものなのかな? 孤爪くんと言えばゲーム、みたいなとこもあるけど、間違って趣味の合わないもの買っても……いや、だめ! ちゃんと喜んでもらえるもの!だって初めての誕生日なんだから。


△  ▼  △


 結論から言うなら、タイミングが悪かった。私が幼馴染の市野に声をかけたことも、後ろから男子生徒が駆けてきたことも、そこが階段だったことも、近くに孤爪くんが居たことも。全部、全部、タイミングと巡り合わせが悪かっただけなのだ。……そう、と考えなければ私は誰を憎めば良いんだ。
 それは5限が終わった後の話である。次の授業が体育だった私は提出物出してから更衣室に行くからとゴンちゃんに伝えて一人で教室を出た。そして着替えと提出プリントを持って職員室に入り、提出物を渡して再び廊下へ戻る。ここまでは、うん。問題はない。ここからだ。職員室から出た後、廊下で市野と会ったのだ。

「よお!」
「あ、市野。なんか久しぶりだね」
「だな。次、体育?」
「うん」
「俺も飲み物買いに行くから途中まで一緒に行こうぜ」

 階段の途中、私は立ち止まり不意に市野に疑問を投げ掛けた。

「ねえ、市野」
「ん?」
「男の子ってさ、何もらったら嬉しいのかな。誕生日とか」

 2段ほど前にいる市野が私を見上げる。眉を寄せて、うーん。と考えるしぐさをした。その時だった。多分、後ろから誰かが走ってきたんだ。それは思いの外、勢いが良くて、私の背中に思い切り当たる。予想もしていなかったその衝撃に私の足元はふらついた。え、まって。ここ階段なんだけど。そうは思っても落ちていく体は止まらない。スローモーションのようにゆっくりと、ただ市野が驚いているのがわかった。
 あ、やばい。ぶつかる。これはぶつかる。市野を巻き添えにしてしまう。ぎゅっと強くまぶたを閉じた。けれど想像していた衝撃はやってこなかった。ただ、違う問題が発生していた。柔らかく触れる何かがあった。目を見開く。肌色。あれ、これは市野の顔? 受け止めてめらえた? いや、でも、これは――。

「……っ!」
「……大丈夫か?」

 勢いよく市野から離れて、一連の流れを理解した。市野の顔が赤くもあり、そして青ざめているようでもあったから直ぐに確信にかわった。受け止めてもらって、私の唇が市野の頬に触れたんだ。それって……キス? いやいやいや、唇と唇ではないからこれは未遂だ。キスではない。言うなれば事故だ。てか誰だよ階段走ったやつ! そしてぶつかってきたやつ!

「ごめん、大丈夫……」
「ま、まあ今のは事故だし気にするなよ。むしろ忘れ――」

 市野が青ざめて言葉を止める。え、なに? 市野の視線が向く方向に私も視線を向けた。息が止まる。何で、そこにいるの。ただ、その姿を見つめることしか出来なかった。待って、今の、見てた? 事故とは言えキスしたって捉えられてもおかしくないよね……?

「こ、孤爪、今のは」

 市野が慌てて弁解するように孤爪くんに言う。ドクドクと、今までとは違う緊張が私に走った。市野の言葉を遮るように孤爪くんが口を開く。

「……名字さん、大丈夫? 勢いよくぶつかってたけど」
「へ、平気、です」
「なら、良かった」

 孤爪くんは平然としていた。いつも通り。それが余計に怖くて、悲しくて、情けなかった。いっそ怒ってくれたほうが良かった。

「体育、遅れるよ」
「……いま、いく。急ぐ。……ごめん、市野」
「お、おう」

 けど私は気付いた。孤爪くんは普通にしてるけどさっきから私の顔を1度も見てくれない。どうしよう。やっぱり、怒ってるのかな。
 足早に体育館に向かう孤爪くんの後を追いかけて着いていく。女子更衣室の前で私は止まったけれど、孤爪くんはこっちを振り返ることはなかった。遠ざかる背中が胸を痛いくらいに締め付ける。
 更衣室に入った私の顔が余程ひどかったのか、私を目にしたゴンちゃんが驚いた顔で駆け寄ってきてくれた。

「え、名前ちゃん顔青いけど大丈夫? 具合悪い? 保健室行く?」
「ゴンちゃん……」
「うん?」
「誕生日とか、そういうのいってる場合じゃないかもしれない」
「……え?」

(16.10.31)