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「あ、あれ名前ちゃんじゃね?」

 渡り廊下から見える窓の向こうにいた名前に気がついたのは黒尾が先だった。
 黒尾の言葉に研磨が顔を上げる。その姿を認めたとき、握りしめられるような胸の痛みを研磨は気が付かないふりをした。名前からすぐに視線を外す研磨のその様子を黒尾は怪訝そうに見つめた。

「……え、2人なんかあった?」

 おや、様子が……? 一瞬聞くことを躊躇ったが黒尾は問うた。

「なんで」
「なんでっつーか」

 なんと伝えれば良いのだろうか。黒尾は頭を掻いて、結局そのままを伝えることにした。

「いつもの研磨なら、名前ちゃんを見かけたときそんな風にそらしたりしないだろ」

 黒尾の言葉に研磨は目を見開いた。そして同じように怪訝そうな顔をした研磨は「……なにそれ」と小さな声で返した。

「いつもなら姿が見えなくなるまで見てるくせに」
「……見てない」
「見てる」
「見てない」

 研磨は罰が悪くなり、黒尾からも視線をそらした。見てない。見てないと思う。……見てるかも。そう思うと少し恥ずかしい。声もかけずにただ見てるだけなんて、本人が知ったら気持ち悪いと思うかもしれない。

「声ぐらいかければいいのに」
「いい、別に」

 声をかけて、彼女が笑顔を見せてくれて、手を降ってくれたり駆け寄ってきてくれたりしたら、そのあとにどうして良いかわからない。ただ、恥ずかしくなるだけだ。恥ずかしさに疲れてしまうだけだ。
 
「やっぱ2人なんかあった?」
「……別に。ちょっといろいろあってあんまり話してないだけ」
「いろいろって?」
「いろいろはいろいろ……」
 
 言葉を濁す研磨に、黒尾はそれ以上訊ねることはなかった。研磨は態度に出すタイプではないけれど、これは何かあったな、と黒尾は思う。そうなると、心配なのは研磨だけではない。彼女のほうもだ。
 どうしたものか。黒尾は悩む。2人の関係が上手くいってはほしいと思うが、自分がしゃしゃり出るのもどうかと思う。

「……名字さんはきっと、おれじゃないほうがいい」

 研磨がそう言ったのは、黒尾にとって予想外だった。何故そんなことを言ったのか。何があってそういう結論に至ったのか。詳しく聞きたいことはあったけど、そう言った研磨の様子を見ると聞くのを憚られた。

「いや、でも、ほら。名前ちゃんだって嫌なやつとは付き合わないだろうし、研磨のことが好きだから付き合ってんじゃないの」
「……でもいつまでもそのままの気持ちでいるとは限らないし」

 研磨のネガティブな発言に黒尾は頭をかかえる。本当に何があったんだ。確かに研磨はポジティブとは言い難いが今のは特にひどい気がする。彼女のことでこんなにもネガティブになるのは今まであっただろうか? 
 黒尾が考える間に、研磨はすたすたと歩みを始める。おいおい、と思いながら黒尾はその後を追う。本当に大丈夫だろうか。部活が始まってからもその心配は尽きなかったが、研磨はいつも通りの動きをしていたから黒尾は少しほっとした。まあ研磨はプライベートを部活に影響させるタイプではないわな。むしろこうやっているほうが、余計なことを考えなくて今の研磨にとっては良いのかもしれないとさえ思う。
 けれど、ふたりに何かあったのならこのままではダメだろう。研磨の様子を見ると研磨からアクションをするとは考えにくい。研磨の誕生日の件もある。これは1度、あの子に会いに行く必要があるな。そう判断した黒尾は研磨の誕生日前日、名前に会いに行ったのである。

「……あの、実は」

 そして彼女から事実を聞いて黒尾は驚くのだ。あっちゃー、やっちゃったね。そう思ったけれど口には出さなかった。名前には明日の予定を伝え、ただ頑張れと願う。お膳立ては出来る限りやってやる。だからさっさと元に戻れ。ネガティブになってる場合じゃないぞ。
 翌日、部室のドアの前で緊張の面持ちで立つ名前の肩を叩く。「よし、じゃあ頑張れ」喧嘩をしたわけではないんだから。誰が悪いわけでもないんだから。本音を伝えるのは時に苦しいけれど、頑張れよふたりとも。彼女の小さくて大きな背中に聞こえないエールを送るのである。

(16.11.07)