クリスマス


 付き合ってから初めてのクリスマスだから、一ヶ月前からどうしようか何をしようかって考えていたし、研磨くんの誕生日は当日までギクシャクしていたからクリスマスこそは! ってずっと意気込んでた。雑誌のクリスマス特集のページは隅から隅まで目を通したし、当日着る服のファッションショーはベッドの上が服で埋まるくらい繰り返した。そう。私は一生懸命に可愛い自分になる努力をした。
 なのに、である。イルミネーションに煌めく街並みの中、私だけがポツリと一人で立って、いったいどれだけの時間が経っただろうか。周りにいるカップルも家族も幸せそうにしていてほっこりする反面、怨めしい。待ち合わせの場所に研磨くんはやってこない。連絡もとれない。鳴らない携帯を私はただずっと握っていた。寒すぎて耳も鼻も手も赤くなっちゃったよ、研磨くん。


☆   ★   ☆


「ねえ、研磨くん。24と25って2日とも部活あるの?」
「一応、あるけど」
「だよね……どっちかでも会えればなーって思ってたんだけど難しそうだよね」

 1月に春高を控えていて部活がないわけないとは思っていたけどダメもとで聞いてみた。案の定だった。先日、ゴンちゃんが持ってきた雑誌にあった冬のイルミネーション特集。研磨くんは人込みが苦手だとわかっていてもどうしても二人で見てみたかった。だってきっと好きな人と見られる冬のイルミネーションは最高だと思ったから。

「そんなに遅くはならないと思うから、終わったら連絡する」
「え?」
「会わないの?」

 クリスマスなのに。そんな幻聴すら聞こえてしまう私は調子のよい人間だろうか。もしも部活で、研磨くんが疲れていて休みたいと思っていたなら引こうと思ったのだ。クリスマスは今年だけじゃない、来年もある。って自分に言い聞かせて。

「いいの?」
「いいもなにも、俺もそのつもりだったから」

 う、うわぁ。私いま幸せで爆発しそうなんだけど。胸の辺りがムズムズする。今すぐ抱きつきたい。けどここは廊下だし。休み時間だし。そんな私の昂る感情を知らないまま、研磨くんは続ける。

「24でいい? ミーティングあるけど長くはならないと思うし、終わったら連絡する」
「嬉しい! じゃあ待ってるね。待ち合わせ場所は近くなったら決めようか」


☆   ★   ☆


 そんな話をしたのが10日前くらいの話。何度も街に出てはクリスマスプレゼントに悩んで、一人で開催するファッションショーは連日連夜続いて、あっという間に当日になったというのに、これである。やっぱりイルミネーションデートは嫌だったのかなぁ、なんて。
 現在時刻21時。待ち合わせ時間は19時。あまりにも経ちすぎた時間に心配も増してくる。一言でも連絡があれば安心出来るんだけどな。既読にもならないし。黒尾先輩からの連絡もないから何かに巻き込まれたとかではないと思うんだけど、多分。

(あーあ。もう帰っちゃおうかな。)

 息が白く舞い上がって。クリスマスソングはずっと流れていて。耳も鼻も手も寒くて。待ち人は私だけ来なくて。
 一言連絡を入れてもう電車に乗って帰ろうかなって本気で思って私はとうとう待ち合わせ場所を離れた。改札をくぐり電車を待つ途中、ようやく待ち焦がれていた相手からの連絡が届いた。冷たくなって思い通りに動かない指を動かした。

『ごめん。ミーティング終わらなかった。今すぐ向かう』
『良かった私もちょうど連絡しようと思ってたんだ。もう遅いし家に帰ろうかなって思って電車乗っちゃったからわざわざ来てもらわなくても大丈夫だよ』

 別に怒ってはない。少し虚しいはあるけど。でもまあ怒ってどうにかなるものでもないし。研磨くんも待たせたくて私を待たせたわけではないし。それに連絡がきてほっとしたのも事実だ。研磨くんならきっと次に会える予定をまた教えてくれるだろうし。
 すぐにホームへきた電車に乗り込んで思う。サラリーマン。カップル。家族。クリスマスイブにお洒落をした女子高生が一人で電車に乗っていたらいったい周りの目にはどんな風に映るのだろう?


☆   ★   ☆


 最寄り駅の改札をくぐり外を出る。冷えていた耳も鼻も手も、電車の暖房でようやく回復した。あれから研磨くんからの返事はない。既読にはなっているから私のメールに目を通してはいるみたいだけど。

「名字さんっ」

 あ、いよいよ本格的に幻聴が聞こえたかなって思った。研磨くんの声が聞こえて私は足を止める。いや、ここにいるはずはないと、聞き間違いだと思おうとした私の目に映ったのは研磨くん、その人だった。

「……えっなんで、ここ――」
「ごめん」

 ここにいるの、と問いたかった私の言葉は研磨くんの言葉に消された。部活のジャージの上にコートをきただけの研磨くんが頭を下げている。驚きのあまり声が出なくて私はまばたきを繰り返すだけだった。

「ごめん」

 研磨くんは顔を上げて再度、謝罪の言葉を述べた。

「えっいや、その」
「連絡遅くなったし、待ち合わせ場所にいけなかったし……怒ってる、よね」

 気まずそうな研磨くんに、私はハッとした。

「お、怒ってないよ、全然! 心配はちょっとしたけど!」
「……ほんとに?」
「……ちょっと虚しかったりもした。けどほら、ミーティングだったんだもんね? 仕方ないよ。春高も近いもん。研磨くんも遅れたくて遅れた訳じゃないってわかってるから大丈夫。それにクリスマスじゃなくてもイルミネーションはやってるし。だから謝らないで。ほんとに私怒ってないから」

 私の言葉に研磨くんはようやく安心した様子を見せた。そしてまた寒さを覚えだした私の手を握って歩き出す。家まで送ってくれるのかな。そうだとしても方向がちょっと違うけど。

「研磨くん?」
「送る。そのつもりで来たから。……遠回りだけど」
「ん、ふふ。やったあ」

 虚しさは全部この手のひらが消してくれる。冷たい指先が私の指先と絡まる。駅からのびる道路沿いの桜の木に飾り付けられたLEDはさっきまで私が見ていたそれらよりも控え目だったけれど、隣に研磨くんくんがいるだけでもう十分かなとも思える。寒くてもいいや。寒いほうがいいや。くっつけばくっつくほど温かくなれるから。

「……あのさ」
「なあに?」
「名前」

 人通りのない道路に入りようやく研磨くんは口を開いた。研磨くんが私の名前を呼ぶとき、何かを孕んでいるのを私は知っている。
 通学路だから日中は人の流れがあるのに、今日はクリスマスイブの夜だからか家庭の光は漏れるとも人は誰もいない。等間隔の街灯。家々の楽しそうな声。月明かり。そして私たち。ただそれだけ。口を開いてから続きを切り出さない、そんなもどかしい時間か余計に胸をくすぐる。

「キス、したい」

 驚いた。人がいないとは言え、ここは外だ。まさか研磨くんがそんなことを言うなんて。けど見つめられるその瞳に私は弱い。嫌なんて言えるわけない。
 私の返事を待つよりも前に、研磨くんの顔は近付いた。繋がれていない方の手が私の後頭部を優しく固定する。突然の事に私はまぶたを下ろすのが遅れてしまったけれど、研磨くんの顔を最後まで見られたからラッキーと思おう。
 触れる、と言うよりは食むようなキスだった。初めての事に私はまた驚いてただ成されるがままである。私の唇を挟む研磨くんの唇は熱いのに、時折触れ合う互いの鼻先は冷たかった。語彙力に乏しい私が思ったのは、唇を食べられちゃいそう。それだけ。我ながらバカっぽいけど。

「……ごめん」
「う、ううん」

 長かったのか、短かったのか。唇が離されると同時に研磨くんが言ったごめんが何に対してのそれなのか分からなかったけれど私はただ否定をした。少なくとも研磨くんが謝ることは何一つないと思うんだけどな。

「……怒ってないの、本当は少しほっとした。クロは怒ってるんじゃないとか言うし。どうやって謝ったら良いかもわからなくて、でも名字さんは優しくてニコニコしてて、それがすごく可愛くてキスしたくなった」

 改めて言葉にされると恥ずかしい。私はわざとらしくマフラーに顔を埋めた。

「ごめん、イルミネーション見たがってたのに行けなくて。虚しい思いさせたし」
「いいよ。それはもう本当に大丈夫だから」
「来年は、ちゃんと行くから」
「……ん」

 来年も当たり前のように私と一緒にいてくれるつもりなのが何より嬉かった。

「……これ」
「え?」
「こういうの、全然わからないから、名字さんの好みに合ってるかどうか保証は出来ないんだけど」

 そう言って研磨くんがコートのポケットから出したのは小さな白い箱だった。え、うそ。これって。飾られたリボンをほどいて箱をあける。小さいハートが控え目に優しく光るネックレス。

「え、これ研磨くんが買いに行ったの?」
「……クロと一緒に」
「可愛い。私、こういうの好き! すっごく嬉しい。ほんっとうに嬉しい! 大切にするね、ずっと」

 今すぐつけたいけれど厚手のタートルネックなのでやめておく。私も慌てて手に持つ紙袋を渡した。迷って迷って選んだのはありきたりだけど、マフラー。これで少しでも温かくなってもらえると良いんだけど。

「ありがと。おれも大切にする」

 ああ、どうしようかなこの気持ちを。こんなに幸せで満ち満ちた私の想いを。幸せが降り注ぐ。好きだ。私に微笑みかけてくれるその顔も、私の名前を優しく呼ぶその声も。全部、全部、どうしようもなく大好き。

「……今日」
「なに?」
「今日、会えなくても仕方ないかなって思ったけど、会えて良かった。いま私、すごく幸せだよ。会いに来てくれてありがと、研磨くん」

 相変わらず人気のない通りで、今度は触れるだけのキスがやってくる。すぐに離れてしまって本当は少し物足りない。欲張りになっちゃったかな、私。

「……おれもすごく会いたかったから、会いに来て良かった」

 さあ、遠回りをして帰ろう。ゆっくりと。少しでもこの時間が長くなるように。少しでも2人でいられるように。少しでもこの温かさを感じられるように。耳も鼻も手も冷たいけれど、何よりも温かい心でクリスマスイブの夜を共に笑おう。

(16.12.22)