仲良くなる前


「ねえ、いいじゃん? 名字さん仲良いしさ」
「や、けどそういうのは本人の許可得てからじゃないと……」

 困っていた。ただただ困っていた。昼休みに私を呼び止めたのは隣のクラスの男の子だった。接点はないし、そもそも見た目が軽そうで苦手なタイプだったから声をかけられたときはぎょっとしたけれど納得。彼は私の友人の連絡先を知りたかったようだ。
 こういう頼まれ事をされるのは初めてだから正直戸惑う。手を合わせて頭を下げられても連絡先は簡単に教えられない。そもそも、そういうのは本人に直接聞くべきだろう。と思うが、なにせ私の苦手なタイプの男子なのでそのまま口に出すことも出来ない。

「お願い! ね?」

 チャイムよ、今すぐに鳴ってくれ。と何度唱えたことか。なのにちらりと見える教室の時計はまだ予鈴まで15分はあるぞ、と言っている。無理無理。15分もこんな攻防出来ない。誰か助けてくれと思うけれど、誰も私が困っているなんて気付いていないだろう。珍しい組み合わせが喋っているなくらいにしか思ってないだろう。

「やっぱり勝手に教えるのはちょっと……」

 てゆうかそういうしつこい男って嫌われると思うんだよね! と私が心の中で反撃した時、まさかの救世主が現れた。

「名字さん」
「えっ孤爪くん?」
「……話してる最中にごめん。担任が呼んでる。今すぐ来いって」

 本当にまさかだった。神様はいるのかもしれない。ありがとう先生。ありがとう、こんなタイミングで私を呼び出してくれて。孤爪くんの少しつり上がった丸い瞳は私を見た後、そっと地面へ向かった。孤爪くんはいつも何を考えているかわからない。それでも今は感謝しかない。

「えっと、そっか。なら、今すぐ行かないとだね。……ってことで、ごめんなさい。この話はこれで終わりで」

 今度は私が彼の前で手を合わせる。ごめんなんて口にしたけど気持ちはいっさいこもっていない。こんなにも職員室に向かいたいと思ったことがいまだかつてあっただろうか。いや、ない。じりじりと無意識のうちに右足が後退する。
 男子生徒は「えっちょっと!」と言い引き留めようとするけれど、聞かなかったふりをして踵を返す。もう、この人に話しかけられてもまともに耳を傾けるのはやめよう。そう思いながら私は孤爪くんの横を通り過ぎる。


△   ▼   △


「えっ呼んでない?」
「違う先生じゃないか? 俺は名字に用事はないぞー」

 職員室にいる担任に声をかけるとそう言われた。けど孤爪くんは担任の先生がって言っていたし。おや? と思って念のため学年主任の先生にも声をかけたけれど、私を呼び出した事実はなかったようだった。疑問を残したまま、私は職員室を去るしかなかった。
 教室に戻ると孤爪くんは自分の席に座っていた。机の下で隠すように携帯を弄っている。私が教室に戻ってきたことにも気がついていないのか。それとも興味がないのか。時折前の席の男子と話をしているのを見ると、さっき私に声をかけたことなんて嘘のように思える。考えてみれば孤爪くんとまともに話したことってないし。
 なんだかなあ、と思いながら席に座って頬杖をつく。孤爪くんが嘘を伝えるようにも思えないし。そこまで考えて、私はある1つの答えに達した。

――孤爪くんは本当に私の救世主だったのではないだろうか。

 私が困っているのに気がついて、ああやって機転を利かせて助けてくれたのではないだろうか。正直、孤爪くんってことなかれ主義そうだし、そんな風に助けてくれるってイメージがないから本当だとしたら驚きなんだけど、けど、これってそうなんじゃないかな。ていうか、そうであったら嬉しいな。
 私はそっと孤爪くんのほうへ近付いた。声をかけてようやく、孤爪くんは私の方を向く。

「あの、さっき、ありがとう」
「……なにが?」
「助けてくれて。すごく困ってたから本当に助かった。ありがとう」
「……別に」

 その視線はやはりすぐに地面へと向かった。私は制服のポケットの中から昼休みに売店で買ったチョコレートの箱を取り出した。まだ開けていなくてよかった。

「あのね、これ」
「なに?」
「お礼。甘いの嫌いじゃなければなんだけど」
「嫌いではない、かな」
「ならよかった! 受け取って」
「いいよ、おれは何もしてないし」
「してくれたよ」

 返答がない代わりに、孤爪くんの視線がこちらを向いた。少し困ったような戸惑っているような、そんな顔。躊躇いがちに、先程よりも小さな声で「……なら」と私が差し出したチョコレートの箱を手に取った。「うん!」口角が上がる。黒くて少し長めの髪に隠れた孤爪くんの表情は分からない。少しでも喜んでくれたならいいな、と私は彼を見つめながら思っていた。


△   ▼   △


「なにそれ。チョコレート?」
「うん」
「研磨がそんなの持ってるの珍しくね?」
「貰った」
「へー。誰に?」
「……クラスの人」
「なに、女子?」

 部活終わりの揺られる車内で、黒尾の問いかけに研磨は沈黙を選択した。包み紙をポケットに入れる様子を見ながら黒尾は珍しいこともあるもんだ、と思う。沈黙は肯定。研磨自身も分かっている筈なのに、頷くのも分が悪いような気がしたのだ。やましいことなんて何一つないというのに。

「……別に、ちょっと困ってるところをなんとなく助けてあげただけ。そしたらくれた。それだけ」

 弁解するように研磨は言う。そう、なんとなくだ。あまりにも困った様子だったから、柄ではないと分かっていながら助けた。そのお礼がこのチョコレートというだけのことだ。しかし黒尾は、研磨の珍しい行動に気が付かれないようにひっとりと口の端をあげる。

「フーン。ナルホドネ」

 口の中で溶けるチョコレートは少しビターだ。ゆっくりと後からやってくる甘味。嫌じゃない。むしろ――。黒尾の言葉を聞きながら研磨はそんなことを思ってた。

(17.02.06)