プール行く


 目の前に掲げられた二枚の薄っぺらい長方形の紙。ご招待券という言葉を目に入れた後、孤爪研磨はチケット越しにいる黒尾へと視線をやった。手にしていたスマートフォンではたった今、アプリゲームが起動されたばかりである。

「……なにこれ」
「招待状だ。プールの」
「プール?」
「せっかくの夏休みだろ? 行ってきなさいよ、名前ちゃんと」
「いや何でクロが……っていうか、部活あるし」
「身内からの貰い物。俺だって彼女がいたら行きたかったわ。来週の水曜日部活休みだろ」
「……プールはちょっとめんどくさい」

 あからさまに顔をしかめる研磨に、黒尾はわかってないなあ、とでも言いたげな顔をしてもう一度、招待券を研磨の目の前に差し出した。夏はもう目の前にあるのだ、と。

「お前は可愛い彼女の水着姿見たくねーの?」

 いかにも男子高校生的発想の黒尾の発言に、研磨は動揺した。人混みだとか、準備だとか、着替えだとか、そういう煩わしさにばかり着目していたけれど、言われてみたら確かにそれはちょっと見てみたいかも……と思い直した自分が情けなかった。一瞬でも彼女の水着姿を想像した自分に、罪悪感すら感じる。

「み、見たくない。……わけじゃない、けど」
「なら良いじゃないの。ほれほれ」

 半ば無理矢理、招待券を研磨の手に握らせた黒尾はどこか満足げだ。シワの重なる招待券。こんな暑い中、クーラーのきいた室内を出て、わざわざ外出するなんて事、これまでの研磨だったら部活かゲームを買いに行くくらいしか理由がなかった。
 正直、気乗りするとは言えないし面倒と思うものは面倒だけど、一応、一緒に行けるかどうか聞いてみるかと研磨は開いていたゲームアプリを閉じる。
 別に、これで喜んでもらえるならそれはそれでこっちも嬉しいし。会えるなら会いたいし。
 付き合うとは何をするのが正解なのかはまだ分からないままだけれど、例えば部活で会えない時間をこうやって埋めるのが自分の役割であるのなら、多少面倒だとしても、研磨は名前のためにならしても良いと思えるのだ。

『プール!? 行きたい! 昨日ちょうどゴンちゃんと暑いしプール行きたいよねって話してたんだ! 黒尾先輩にもお礼言わないとだね。ありがとう!』
「ありがとうだって」
「どうしたよ、いきなり」
「名字さんが。クロに。行きたかったんだって、プール。昨日友達と話してたらしいよ」
「面倒くさがらずに楽しんでこいよ」

 研磨は言葉なく頷いて、今度こそようやくアプリのゲームを始めたのであった。


△  ▼  △


 時を同じくして、悩めるのは彼氏側だけではなかった。研磨からプールの誘いを受けた名前は行きたい旨を伝えた瞬間、水曜日までの日数を数えた。あと7日。あと7日で私は脂肪を燃焼させ、新しい可愛い水着を購入しなければならない、と。

『ゴンちゃん! 来週の水曜日に孤爪くんとプール行くことになった! 一緒に水着を買いに行きたいです!』 
『えっ行こう! めちゃくちゃ可愛い水着買って孤爪くんをドキドキさせちゃおう! いや〜彼氏とプールとか羨ましいんですけど〜』
『ダイエットも頑張ります……!』

 そういうわけで、名前は約束の水曜日が来るまで運動と食事制限に専念し、友人と彼氏をドキドキさせる可愛い水着探しに翻弄されることとなったのである。
 もちろん、こんな風に名前が走り回っていることを知らない研磨は前日の夜になっても、着替えを詰め込む面倒くささと会えることを楽しみに思う気持ちの間を揺れるのであった。


△  ▼  △


 大丈夫、ゴンちゃんからもお墨付きを貰えたし! と、いざ更衣室で水着になった名前は急に羞恥心を感じた。店員さんに今年の流行りをきいて、自分に似合うものを何着か試して選んだ水着だ。筋トレも頑張った。そんなに悪くない、はず。と鏡の前で深呼吸する。
 つい、同い年くらいの女の子のスタイルに目がいってしまうのは仕方のないことだと自分を甘やかしながら。

(まあ、孤爪くんはこんなの興味ないかもしれないけど。……ていうかなさそうだな。感想なかったらそれはそれでちょっと悲しいけどあり得る……。いやでもあの孤爪くんがプールに誘ってくれることがもうビックリだし。絶対クーラーのきいた場所じゃないと嫌タイプだろうし……。あーもうこんなこと考えても仕方ないよね! 普通に楽しむしかないよね! せっかく黒尾先輩が招待券くれたんだし! けどあわよくばちょっとでも可愛いって思ってくれますように!)

 乙女の心は時として複雑で、時として単純なのである。それでも腹をくくり、いざ出陣、と更衣室を出て研磨を探す。

「えっと……孤爪くんは……」
「名字さん」
「わっ」
「ごめん、驚かせた?」

 後ろから声をかけられた事に驚きながらも、名前は振り返り思わず、いや無意識に研磨の体つきを目にいれていた。

(筋肉すごい……。孤爪くん細いよねーとか思ってたけど細マッチョだった……え、かっこいい。どうしよう。なによりパーカー着てチラ見えっていうのが狡くない……? ギャップですか。そうですか……)
「……名字さん?」
「えっ?」
「大丈夫? ぼうっとしてたけど」
「ぜ、全然! 大丈夫です! ごめんね」
「……それ」
「うん?」
「それ、水着」
「あっどうかな? ゴンちゃんと一緒に買いに行ったんだ」
「えっと、その、よく似合ってると思う。可愛い」

 研磨は視線をそらしながら言った。目線を彼女のどこに向けて良いのか分からなかったのだ。それでも研磨の言葉にとびきり喜んだ名前はありがとうと言いながら少し照れて口角を上げた。


△  ▼  △


「で、どうだったわけ?」

 翌日の部活に向かう途中、黒尾は待てないと言う様子で研磨に尋ねた。

「どうって?」
「名前ちゃんの水着。ズバリどうでしたか」
「……言わない」
「なんだと」

 まあ予想はしてたけど、と黒尾はしつこく研磨に問いただすことはしなかった。

「けど、まあ、プールも悪くないかなって思ったよ」

 小声で言う研磨の言葉をしっかりと拾った黒尾はニヤリと笑う。本当にまああの研磨にこんなこと言わせちゃうのだから恋とは恐ろしいものだ。

「そういうこと言われるとますます何があったか聞きたくなっちゃうわ」
「何もないってば」

 水着姿の名前に戸惑ったまま、視線を合わせられなかったなんてカッコ悪くて言えるわけがない。水着姿を具体的に話すのも嫌だ。想像されたくないし、話している自分も気持ち悪いから。でも思い出してしまうんだと思う。水に濡れた毛先。時折見えるうなじ。白い腕に、伸びる脚。こんなこと考えたなんて彼女には口がさけても言えないけれど。
 いち男子高校生としてなんらおかしくはない思考に、それでも研磨はやはり罪悪感を感じつつあるのであった。

(18.03.18)