07


 雨だ。午後からは傘が必要になるでしょう。と言うお天気お姉さんの言葉をしっかり聞いていて良かった。玄関に向かう廊下から外を見ると、じょうろから注がれているかのような催花雨が降っていた。水溜まりに気を付けて帰ろう。ローファーが濡れてしまっては気持ち悪いから。私は気持ちばかり早く廊下を歩いた。玄関、自分の下駄箱の方へ行こうとすると、玄関の柱に寄りかかるように立っていた孤爪くんがいた。

「孤爪くん?」
「……あ」

 ゲームをしていた彼は私の声かけに顔を上げた。誰かを待っているのか、それとも傘を忘れて困っているのだろうか、はたまた違う理由があるのかは分からなかったが、生徒たちが帰ろうとしている中、孤爪くんだけがここで帰ろうとしないのが不思議な様子だった。

「えっと、友達待ってるの?」
「……傘、忘れて、雨止むの待ってる」

 困っている様子が全く滲み出ていないが、孤爪くんはそう言った。けれど多分困っているのだろう。この雨の様子では駅まで走るのは辛そうだと分かるし。

「傘、貸す?」
「え、いや、名字さんのでしょ、それ」
「そうなんだけど、教室に折り畳み傘置いてるから、貸せるなって思って」
「折り畳みあるのにわざわざ傘持ってきたの?」
「折り畳みのほうはいつもロッカーに入れっぱなしにしてるんだ。急に雨降ってきても大丈夫なように。こっちの傘はシンプルな柄だから孤爪くんが使っても問題ないと思うよ。お姉さん夜まで止まないって言ってたから」
「お姉さん?」
「お天気お姉さん」

 孤爪くんは私の持つ傘を見つめる。借りるかどうか迷っているようだ。私は教室に戻れば折り畳みがあるし、貸すのは本当に全然問題ないのだけど。このままだと夜まで待つか、雨の中走って帰るか、誰かと相合い傘か、迎えに来てもらうか、になってしまうんだろうな。どうする?と私は再び問うと、孤爪くんは控え目に「……じゃあ、借りる」と私の傘を受け取った。
 弧爪くんが傘を受け取ったのを確認して私は踵を返し教室に向かった。教室のロッカーから折り畳み傘を取りだし、同じ道を辿って玄関に戻る。さっきバイバイも言ったし、孤爪くんは先に帰ってるかなと思っていたが、彼は玄関にいた。私の姿を黙認して、動作を目で追ってくるところから判断するに私を待ってくれていたのだろう。

「先に帰ってても良かったのに」
「借りておいて、それはさすがにちょっと……」
「そう? 気にしないでいいのに」

 その流れで私と孤爪くんは駅まで一緒に帰ることになるのだった。成り行きとは言え、二人きりという状況に私は少しだけ戸惑っていた。雨音が足音をかき消すけれど、隣に並ぶ孤爪くんのほうに何となく身体の熱が集まっている気がする。私だって花の女子高生だ。男の子と二人で帰るなんてシチュエーション、それなりに緊張はする。

「……ええっと、孤爪くん部活は?」
「今日、休み」
「そうなんだ」
「名字さんはいつもこの時間に帰ってるの?」
「そうだね。学校ですることもないし。帰って家で猫と戯れるのが好きだから」
「猫、居るんだ」
「うん。そういえば孤爪くんって猫みたいだよね」
「……そう?」

 うん、そう答えて隣を歩く孤爪くんを盗み見た。私の傘を持つ孤爪くん。なんだか変な感じだ。ゴンちゃんは、私と孤爪くんが仲良いと言っていたけど、どうなんだろう。実際、孤爪くんは私のことをどんな風に位置づけしているのだろう。……変な女子だ、と思われてなければそれでいいか。

「孤爪くん、どっち方面?」
「名字さんが降りる駅の3つ後で乗り換える」

 最寄りに着いて傘を閉じ、孤爪くんに確認する。どうして私の降りる駅知ってるのかなと思ったけれど、この間近所で会ったんだから知っていて当然だった。改札をくぐり抜けて同じ電車に乗る。ガタン、ゴトン。ガタン、ゴトン。揺られながら窓の外を見る。相変わらず止む気配のない雨が降っていた。

「傘、返してくれるのいつでもいいから」
「明日返すから大丈夫」
「そっか」

 ガタン、ゴトン。電車の中だと言うこともあって、会話が無くなる。ガタン、ゴトン。雨に濡れてしまった人。携帯を弄る人。カップル。レインコートを着た子供。私たちはどんな風に彼らの瞳に映っているのだろうか。ガタン、ゴトン。
 そんな事を考えていると、私が降りるべき駅のアナウンスが入る。次で降りなくては。

「あ、私、次だから。じゃあ、孤爪くん。また明日」
「じゃあ……また、明日」

 小さく手を降った。孤爪くんの、眠たそうな、やる気の無さそうな、なんとも彼らしい瞳に私が映る。下車した後、窓越しに再び合った孤爪くんの瞳は春の雨にはかき消されなかったようだった。 

(15.10.13)