筋トレ宣言


「研磨くん。私、筋トレ始めようと思う」

 YouTubeに上げる動画を取り終えたばかりの研磨くんにそう言う。

「え⋯⋯なに、どうしたの急に」
「腹筋を6個に割りたい」
「えぇ⋯⋯」

 やる気に満ちる私とは反対に研磨くんはあまり良い顔をしなかった。
 今朝、久しぶりに体重計に乗ったら予想を上回る数字が表示されのである。確かに最近友達と外食することが多かったなと自分の行動に反省しながら、タイミング良くテレビに映った宅トレ特集を見て思った。
 筋トレを始めようと。 

「引き締まったボディを手にいれる!」
「名前がいいならおれはいいけど⋯⋯」
「研磨くんが部活してたときやってた筋トレでおすすめのやつある?」
「おすすめ⋯⋯プランクとか? でもおれ筋トレ苦手だから多分違う人に聞いたほうがいいかも」
「黒尾先輩とか?」
「うん」
「うーん⋯⋯そっか。なるほどなるほど」
 

* * *


 そんな会話をしたのが1ヶ月前のことだった。
 都心の郊外にある大きな一軒家を借りている研磨くんの住居は、いつ訪れても一人ではもて余しそうだなと思う。

「あれ⋯⋯研磨くんこんなの持ってたっけ?」

 そんな数ある部屋の前を通って居間に行く途中、私はそれを目にした。

「ああ、それ名前にあげる」
「えっ」
「筋トレずっと頑張ってるってクロから聞いたから。おれからのプレゼント。好きなときに来てやっていいよ」
「えっ!」
「驚きすぎ」

 腹筋ローラーにプッシュアップバー、ヨガマット、トレーニングチューブといったお手軽に筋トレが出来そうな器具がそこには並んでいた。
 確かにこれまでは器具がなくても出来る筋トレを家でやっていたけれど、最近筋トレ器具も気になっていてネットで色々と検索をしていたから研磨くんがプレゼントしてくれたことも相まってこれは筋トレにより気合いが入りそうだと思った。

「研磨くん、私の筋トレには興味ないのかなって思ってた」
「まあ⋯⋯それほどは」
「黒尾先輩からは色々と教えてもらったんだけど」
「うん。クロがよく話してくれる」
「⋯⋯なんて?」
「バーピージャンプしてるときがやばいって」
「あれは⋯⋯あれは誰でもやばいことになるよ⋯⋯」
「でもマウンテンクライマーは長く出来るようになってきたって言ってたよ。頑張ってるじゃん」

 研磨くんは少しだけ口角を上げてそう誉めてくれる。
 居間を経由して台所で飲み物を手にしてから、ゲームをするためだけにある通称"ゲーム部屋"へと足を運んだ。
 大きなサイズのテレビの電源をつけ、最近買ったと言うゲームを研磨くんは始めた。いつものように近くに座って私は研磨くんのゲームさばきを観察する。

「あっ、フィットネス出来るゲームあるよね!? 研磨くんあれ一緒にやらない?」
「えー⋯⋯やだ」
「だよね⋯⋯」

 研磨くんは部活を辞めてからそんなに運動はしてないはずだし健康維持も兼ねて、それなら一緒に楽しめるんじゃないかと思った私の提案は即座に却下された。

「だってなかなか腹筋割れないんだもん。結構頑張ってると思うんだけどなぁ⋯⋯なんで?」
「なんでだろうね」

 こぼすように吐き出す愚痴を研磨くんはゲームをしながら拾った。興味がない話題にもちゃんと返してくれるのが嬉しくて私はついついゲームをしている研磨くんに構いたくなってしまい、必要以上に声をかけてしまう。

「研磨くんの腹筋は?」
「別に普通じゃない?」
「ちょっとだけでいいから力入れてみてほしい」
「えぇ⋯⋯1回だけね」

 視線はテレビに向けたままの研磨くんのお腹に手を当てる。
 コントローラーを握りいつも通りのプレイを見せる研磨くんは、私のお願いを聞いて1度だけお腹に力を入れてくれた。
 研磨くんの腹筋を甘く見ていた私は、その一瞬に顔を見せた腹筋に思わず大きな声をあげた。

「なんであるの!?」
「名前も早く腹筋6個に割れるといいね」
 
 研磨くんはちょっとだけ意地悪な笑みを見せてそう言う。

「悔しい⋯⋯」
「そもそもそんなに簡単には腹筋なんて割れないよ。女性ならなおさらじゃない」
「そういうものなの⋯⋯?」
「ジムに通って専属のトレーナーつけたり、もっと効率よく出来る方法はあると思うけど」

 いまだに顔を見せようとしない自分の腹筋に手を当てながら研磨くんの言葉を聞く。

「そこまでしなくてもいいんじゃないとは思ってる」
「でもせめて一本線くらいは⋯⋯」
「まあ名前がしたいなら止めないけど。頑張ってる姿見るの結構好きだし」
「研磨くん⋯⋯私、頑張る! 研磨くんがそう言ってくれると更に頑張れる気がしてきた!」

 そこでようやくテレビ画面を見続けていた研磨くんの顔がこちらを向いた。緩く括っていた髪の毛がはらりと落ちて研磨くんの頬をくすぐる。それを耳にかけるとそっと私の頬に手を当て、優しく親指を滑らせた。

「うん。楽しみにしてるから頑張って」

 柔らかい笑い方をして私を見つめてくれる研磨くんに、もう何もかも全部が愛しさに溶けてしまいそうだと思った。

(20.09.26)