迎えにいく
深まる夜。部屋で1人手持ち無沙汰にテレビを見ていた時にかかってきた電話は黒尾先輩からだった。
「あ、もしもし名前ちゃん? いま家? てゆーか暇? いや実は今高校の時の部活メンバーで飲んでてね、珍しく研磨が酔っちゃっててさ、迎えに来てほしいんだけど来れる?」
直接電話がかかってくるなんて滅多にないことで何事だと慌てて電話に出たけれど、なかなかに衝撃的な案件だ。
研磨くんはお酒に弱いわけではないけれど、たくさん飲むタイプでもないので、そんな研磨くんが黒尾先輩にそう言われるまで飲んだということは、きっと相当酔っているのだろう。
「迎えに行くのは全然大丈夫なんですけど、研磨くん大丈夫ですか? 結構酔っぱらっちゃってるんですか?」
「いやぁ、珍しく飲んで酔っちゃって」
「⋯⋯とりあえず行きますね。お店の場所、マップで送ってください」
急いでパーカーを羽織って、黒尾先輩からきた連絡を元にお店に向かう。大通りに面した場所に軒を構える大衆居酒屋は、すぐそばに交番があるおかげか、面倒な酔っぱらいとすれ違うこともなかった。
友人を迎えに来ました、と店員さんに告げて盛り上がる店内を進む。正直、研磨くんの集まりの中に顔を出すのはあまり気は進まなかったから、黒尾先輩の変わらない髪型を見つけるとちょっと安心した。元音駒バレー部のメンバーとは何度か顔を合わせたこともあるけれど、こういうのはやっぱり緊張する。それでも卒業して数年、変わらないままの様子に私もどこか懐かしさを感じた。
「ごめんねー、夜遅くに突然」
「近かったんで、大丈夫です」
「おっ久しぶりだな、名前」
「山本くん久しぶりだね! 元気してた?」
「名前⋯⋯?」
山本くんが呼ぶ私の名前に反応を示したのは、海先輩の隣でうとうとと船をこいでいた研磨くんだった。ああ、本当に珍しく酔いつぶれてるなぁと少し苦笑いしてから、すみませんと断りを入れて研磨くんのほうに近づいた。
「研磨くん、迎えに来たよ。一緒に帰ろう」
目がぼんやりとしている。頬も心なしか赤い気がする。研磨くん自身からもお酒の匂いを強く感じるし、やはりこれはたくさんお酒を飲んでしまったに違いない。
「大丈夫? 立てる?」
研磨くんは無言で私を見つめる。丸い瞳に私をひとしきり映したあと、おもむろに手を伸ばす。それを支えようと私からも手を伸ばしたけれど、空を切るだけだった。
「えっ」
「おお」
研磨くんは体重を預けるようにして私を抱き締めた。どこかで感嘆の声が上がった気がするけれど誰が言ったのかも私には分からない。
ここは公共の場で、知り合いばかりで、ていうか研磨くんそんなことするキャラじゃないじゃん! とパニックに陥ってしまい抗議の声もあげることができない。だってこんなの驚きで言葉にならない。
もちろんそう思ったのは私だけじゃないようで、視線だけ動かすと周りの皆が驚いた顔をしているのが目に入った。中には笑いを堪えている人や何故か感極まっている様子の人もいるけれど、山本くんに至っては私よりも恥ずかしがって言葉にならない声を発していた。
居たたまれなさを感じながら、それでもちょっと可愛いかもと思ってしまうのは惚れた弱味として許してほしい。
「おやおやお熱いことで」
真正面にいる黒尾先輩が楽しそうな表情をして私たちを見ながらそう言った。
「⋯⋯黒尾先輩こうなるってわかって私のこと呼びましたね?」
「いやあ、興味はあったけどここまでとは思わなかった」
「明日研磨くんきっとすごく怒りますよ」
「覚えてたらね」
覚えてなかったとしても研磨くんの事だから何がなんでも何があったのか聞き出そうとすると思うんだけど。いずれにせよ、明日きっと研磨くんは自己嫌悪に陥ると思う。
「とりあえず研磨くん家まで送っていきます」
「どうもね」
研磨くんの分のお金を黒尾先輩に手渡して、少しふらつきながら立つ研磨くんを支える。心配から思わず手を握り、研磨くんを見上げると嬉しそうに口角をあげた顔が飛び込んできて、私はどうしようもなく胸が締め付けられた。
「ありがと、名前」
「ど、どういたしまして⋯⋯」
酔っぱらい、怖い。とりあえず研磨くんが先輩たちに背を向けててよかったと安堵しながらお店を出る。酔いを覚ますにはちょうど良い気温だ。髪を揺らす風も心地好い。
「研磨くん、こんなになるの珍しいね。黒尾先輩に飲まされちゃった?」
「んー⋯⋯」
私の問いかけには答えないけれど、それでも研磨くんは満足そうだった。繋がれた手をそのままにゆっくりと歩く。もう少し歩いて大通りまででたらタクシーに乗ろう。この調子だと帰ったら研磨くんは寝てしまうだろうし、ちゃんと布団に入ったことを確認したら私も帰ろうとこの後のことを考える。
「名前」
深まる夜。車の無機質な音。遠くで野良猫の鳴く声がする。
「なに? あ、お水とか買う?」
「待って」
「研磨くん?」
「こっち向いて」
突然、研磨くんがそう言う。従うように研磨くんの方を向くと、街灯の灯りが研磨くんを照らしている。私と向き合った研磨くんはまだ火照るような顔をしたまま私の肩に手を置いた。理解を進めるよりも先に研磨くんのもう片方の手が私の頬に優しく添えられて短く唇が触れる。
お酒の匂いが香るキスだった。
「帰ろうか」
「う、うん」
「そのまま泊まりなよ」
「うん」
研磨くんは多分、ものすごく酔っ払っている。だって外でキスなんてされたことない。明日、覚えているかどうかはわからないけれどそれでも私の唇から広がる幸福は秋の夜長に相応しいと思えた。
(20.10.14)