誕生日数日前
夏が終わり肌寒くなってくると研磨くんの誕生日が近くなってきたなと思う。今年はどうしようかとスマホで誕生日のプレゼントを探しているとメッセージが届いた。
『あいたい』
夜7時を過ぎたばかり、それは突然だった。
4文字の短いメッセージは、必要以上のことを喋ろうとしない研磨くんらしいと言えばそうなんだけど、研磨くんらしからぬ直接的な感情の表現に私は驚きを隠せずにいた。
『私も会いたいから今から会いに行ってもいい?』
それでも、返事は考えることなく打てた。会いたいと言われて会わない理由を探すほうが難しい。
『良いけど待って。暗いしおれがそっち迎えに行く』
確かにもうすっかり日が落ちるのも早くなってしまったけれど、夜の7時は研磨くんが心配するような時間ではない。なんなら終電で帰ってくる日だってあるのだから。それでもこれは研磨くんなりの思いやりでもあるので、私はありがたくその優しさを受けとることにする。
『いいの?』
『会いたいって言ったのおれだから』
『私も会いたいって思ってたよ』
『それに寒いし。家で待ってて。近くについたらまた連絡する』
ずいぶん昔、黒尾先輩に「恋すると人は変わるもんだねぇ」と言われたことを思い出す。「面倒くさがりの研磨が好きな子相手なら多少は面倒しちゃうとことか結構凄いことだと俺は思うんだけど」と、黒尾先輩は言っていた。
確かに研磨くんは優しい。好きだとか愛してるだとか言葉で感情を表すことは滅多にないけれど、態度で分かる。私は研磨くんの特別なんだろうなということが。そう自負できるくらい研磨くんは優しい。
『近くまで来たんだけど買ってきてほしいものある?』
テレビをつけながらスマホを弄って、しばらくすると研磨くんから連絡が届く。
『大丈夫だよ』
早く会いたいと思う。けれど会えれば触れたいと思う。触れればそのままでいたいと思う。ほらやっぱり、人は満たされても求め続ける。思えば私はずっとそうやって研磨くんに恋をしてきた。
『じゃあ何も買わないで行く。もうすぐ着くから』
宣言通り、数分して部屋のインターホンが鳴った。モニターに研磨くんが映っているのを確認して鍵をあける。
「研磨くん」
「うん」
「寒くなかった?」
「ちょっと寒かった」
「だよね。何か温かい飲み物いる?」
「お願い」
長いこと時間を過ごしてきたけれど、私は研磨くんのことをどれくらい知れただろうか。研磨くんは私のことをどれくらい知ってくれただろうか。
研磨くんはソファに座ってさっきまで私が見ていたドラマを途中から眺める。研磨くんが住んでいる借家とは違って、私のマンションは狭いけれど研磨くんは「雰囲気が落ち着く」と言ったくれたことは記憶に新しい。
先日友達からお土産でもらった紅茶をいれて研磨くんが持ってきてくれたお菓子と共にテーブルに置いた。
「これ観てたの? 前言ってた好きなドラマってこれ?」
「うん。まだ始まったばかりだけど面白いんだよね」
「へえ」
研磨くんはドラマ観ないし薦めたりはしないけど、ぼんやりと眺める研磨くんの隣に座って私も観賞を続けた。
「あっそう言えば研磨くん欲しいものもある?」
「急だね」
「今月誕生日でしょ」
「ああ⋯⋯そう言えばそっか」
「自分の誕生日なのに忘れてたの?」
「自分の誕生日だから忘れるんだよ」
そう言うものだろうか。私は自分の誕生日を忘れることなんてないんだけど。聞いてはみたものの研磨くんはお金たくさんもっているし、欲しいものは自分で買えちゃうから多分欲しいものなんて思い浮かばないんだろう。
「私にしてほしいこととか」
「してほしいこと?」
「私にしか出来ないこととか。研磨くん欲しいものは自分で買えちゃうでしょ? 喜ぶものあげたいけど全然思い浮かばなくて⋯⋯」
「名前がくれるならなんでも嬉しいとは思うけど」
研磨くんが考える様子を隣で見つめる。伸びた髪を緩くまとめてはいるけれど、こぼれ落ちた毛先はいつも研磨くんの頬をくすぐっている。
「じゃあアップルパイつくってよ」
「えっ」
「おれ名前のつくるやつ好きだし」
「でも私前回焦がしちゃったよね⋯⋯」
「うん。だから次はとびきり美味しいやつ作ってよ」
「ハードルあげてきたね⋯⋯!」
私の反応に満足した研磨くんはテーブルに置いていたスマホを持ちゲームを始めた。やっぱり欲しいものは自分で買えちゃうし、私が出来ることと言えばアップルパイを作ることだけなのかもしれない。
前回の焦げを反省しながら最高に美味しいアップルのレシピを検索していると、ずるずるとこちらに身体を寄せきた研磨くんが私に体重を預け、少し下の位置から私を見上げてきた。
「期待してる」
「⋯⋯めちゃくちゃ美味しい高級リンゴお取り寄せしておくね」
研磨くんの誕生日まで残り2週間をきっていた。
(20.10.15)