小さな想いのキャラメリゼ

 凱旋門を中心にして放射線状に延びる12本の通り。その中の一つが有名なシャンゼリゼ通りだ。コンコルド広場まで通じる約3kmに及ぶその道はパリで最も美しい道と称されている。有名ハイブランドの旗艦店やカフェにレストラン。現地民や観光客が入り乱れるこの通りは、パリの代名詞と言っても過言ではない。

 そんなシャンゼリゼ通りの路地裏に一軒のショコラトリーがあるらしい。日本にも支店がある世界的に有名なショコラトリーの下で修業を重ねたショコラティエが最近オープンしたお店で、早くもパリ市内では美味しいと話題に上がっているそうだ。
 今年のサロン・デュ・ショコラには参加しないとのことで、私の予定が合うのならと天童さんに一緒に行かないかと誘われたのは昨日のこと。天童さんのショコラトリーを後にする直前だった。
 通りを抜けるように吹く秋風をまともに受け、コートの前をしっかりと閉じる。
 ヨーロッパと言えばおしゃれなイメージを持つ人が多いけれど、意外と街を歩く人は簡素なコーディネートでまとめている人ばかりだ。スカートを履いている女性はほとんど見ないし、カラフルな色の服を着ている人もモード系の仕事をしている人くらい。日本人のほうがよっぽどおしゃれにこだわりがある気がする。

「名前ちゃん、おまたせ〜」
「あっ天童さん、おつかれさまです!」
「ごめんネ、待った?」
「いえ。それほど待ってないので大丈夫です」
「じゃ、行こーか」

 肩を並べてシャンゼリゼ通りを歩く。
 天童さんはとても自然にパリの街に馴染んでいて、私だけがどこか浮いているんじゃないかと少し心配になる。

「今日ちょっと寒いけどへーき?」
「はい。こう見えて中は結構厚着してます」
「そっかそっか」

 秋が終わり冬も深まれば気温はぐっと冷え込むんだろう。そして美しいイルミネーションがパリの街を彩る。私がパリに来るのはだいたいこの時期が多いから、真冬のパリはまだ一度も見たことがない。一度くらいは、と思うけれどなかなか機会に恵まれないのが現状だ。

「ここの路地裏だね」

 天童さんが立ち止まり、表通りよりも少しだけ暗い細道を指さす。ヨーロッパの背の高い建物は簡単に太陽の光を遮り、一歩道を外れただけでも全然違う印象を受ける。ただここは横幅が広く他にレストランもあるおかげで妙な不気味さは微塵もなかった。
 お店のショーウィンドウにはショコラだけではなくフランス伝統の焼き菓子もディスプレイされていて、その奥に見える店内はフランスらしい内装が広がっている。

「ディスプレイだけでも幸せになれます……!」
「本当にチョコレート前にすると名前ちゃんは生き生きするよね〜」
「チョコレートは私の生きる糧なので」
「アハハ。名前ちゃんのそういうとこ俺結構好きだよ」

 他意はないだろう天童さんの言葉に動揺しそうになる。天童さんのことだから「人として」以外の理由はないのだろうけれど。それでもこの人にそう言われると私の心はぼんやりと温かくなる。
 気持ちを表に出さず心を切り替え、肩を並べて足を踏み入れれば「Bonjour」と店員さんが笑顔で出迎えてくれた。
 目の前のショーケースに並ぶショコラの数々。すぐに私の心は奪われて、思わず恍惚の溜息がもれる。私にとってショコラは宝石。そこに存在するだけで輝いてみえる。

「これは……たくさんあって迷いますね」
「じゃあ名前ちゃんが気になるのぜ〜んぶ買ってベンチに座りながら食べよっか」
「え」
「せっかくだし好きなだけ食べるほうがいいでしょ」
「はい!」

 得意気な天童さんの表情。大好きなチョコラを買って天童さんと一緒にパリの街で食べる。想像しただけでとびきり嬉しくなって今日一番元気な返事をしてしまった。
 微笑ましそうにクスクスと肩を上下させる店員さんと、わかりやすく笑う天童さんに挟まれて少しだけ羞恥心を感じる。大人だと言うのに好きなものを前に子供のようにはしゃいでしまったのが恥ずかしい。

「あの、声が大きすぎましたすみません……」
「面白かったからだいじょーぶだいじょーぶ」

 ポンっと頭に手を乗せられ、そのまま優しく撫でられる。まるで子ども扱いされているみたいでちょっと嫌だけど、でもこれはこれで悪くないと思ってしまうあたり、尊敬だけではない気持ちを抱いているのだと自覚する。
 それにご機嫌な天童さんと一緒にショコラを選ぶのは楽しいし、私にとってこれ以上の空間は多分、他にない。

「結構買っちゃいましたね」
「どうせだしエッフェル塔の前の公園で座りながら食べる?」
「大賛成です!」
「じゃ〜決まり。移動しようか」
 
 お店を出ればすぐにトレンチコートの裾が風に遊ばれる。

 ここは私にとっての異国だから。
 だから、少しくらいは浮かれて良いよね。
 仕事はちゃんとこなすから、今だけは。

 秋晴れのパリの街はただ優しく私達を包み込むだけだった。

(21.11.26)