コンフィチュールに浮かべる

 紙袋に入れられたチョコレートを持ってエッフェル塔を目指す。正確にはエッフェル塔のそばのシャン・ド・マルス公園だけど。
 シャンゼリゼ通りからエッフェル塔までゆっくり歩いても1時間ほど。天童さんにとっては見慣れたパリの街だけど、私はこの街のどこを歩いても気分が上がる。重圧な石造りの家が隙間なく並んでいるのも、花の並ぶテラス席があるカフェも、世界的に有名なファストフードのお店でさえ見ているだけで楽しくなる。
 そんな私の心中を察してか、天童さんは私と足並みをそろえて共に街を堪能してくれた。徐々に近づくエッフェル塔。公園で一緒にショコラを食べるという目的を一瞬忘れてしまいそうになるくらい、パリのシンボルは今日も存在感を放っている。

「髪短いとさ〜この時期メチャメチャ寒いの。夏はメチャメチャ涼しいんだけど」
「天童さん、高校生の時は髪の毛もっと長かったですもんね」

 高校の頃とは違って短く切りそろえられた天童さんの髪型は、耳たぶも首筋も頭の形でさえも隠されることはない。

「エッ高校の時の俺、覚えてんの?」
「バレー部って全国常連だから大会も応援行くし大抵の生徒は認知してたと思いますよ」
「そういうのは若利君だけだと思ってた」

 牛島先輩は特に知らない人はいないという感じだったし実際そうだったけれど、あの頃は天童さんもかなり目立っていたと思う。バレーのこと詳しくはわからない私でさえ周りの目を引くプレイをするという点においては天童さんも牛島先輩と同じくらい印象的だった。

「私もギャラリーから応援してたんですよ。しーらとりざわ! って」
「マジか〜見てみたかった」

 天童さんは軽い調子で言う。でも、と私は思う。
 でもきっとあの頃の私達だったらダメだった。今の、大人になった私と天童さんだから。甘くとろけるチョコレートが間にあったから、私たちはこうして一緒にパリの街を並んで歩くことが出来る気がする。

「そういえば名前ちゃんはサマータイム終わってもパリにいるんだよね?」
「あ、はい。11月の頭までは滞在予定です。今回は有休も申請してちょっと長めにホテル予約したんです」

 フランスでは10月の最後の日曜日にサマータイムからウィンタータイムに切り替わる。時計の針を1時間遅らせて、否応なしに人々へ冬を運ぶのだ。
 あと数日後に私の腕につけている時計も一時間針を進めなければいけなくなる。日本にはないこの習慣は、頭では理解していても不思議な感じだ。

「そっか。じゃあサロン・デュ・ショコラが終わった後も一緒にご飯行けるね」
「……天童さんが良ければ、ぜひ」

 そこにどんな意味が込められているのだとしても勘違いしないように気を付けようと言い聞かせて笑顔を返した。

「名前ちゃんが喜ぶような食事場所考えとかないと」

 どこだとしても心から喜びますよと言いかけて、気が付けば目の前にそびえ立っていたエッフェル塔に息を呑んだ。鉄の貴婦人と呼ばれるだけあってどの位置から見上げても優雅で美しい。
 そんなエッフェル塔を後にして公園まで抜ければ、綺麗に整備された芝が長く続くシャン・ド・マルス公園にたどり着く。

「あっと言う間に着いちゃいましたね」
「だね〜」

 真正面からエッフェル塔を見渡せることもあって、公園内には多くの人々がいる。邪魔にならない場所に腰を下ろし、そっと紙袋の中から先程購入したショコラたちを取り出した。
 ピスタチオのボンボン・ショコラ。シャンパンを使ったトリュフ。ヘーゼルナッツのジャンドゥーヤ。オレンジピールにプラリネ。
 自宅用だからと簡素なボックスに入っているだけなのにこんなにも心が躍動するなんて。

「私このトリュフ食べてもいいですか? ……あっ、ごめんなさい。天童さんが買ってくれたので、天童さんが先に選んで下さい」
「名前ちゃんが先に選びなよ」
「じゃあ、お言葉に甘えてトリュフを……」
「ウン」

 トリュフを口に含み、そのとろける食感と鼻を抜けるように広がるシャンパンの香りを堪能する私に天童さんは言う。

「名前ちゃん明日の夜は予定あるんだっけ?」

 ビターな味がみせる大人らしさとは一味違うアルコールの風味。酔う事はなくてもどこか特別な時間を演出してくれる。

「いえ、特にないですけど何かありましたか?」
「一緒にルーブル美術館いかない? 水曜日だから遅くまで開いてんの」
「ルーブル美術館ですか?」
「そ。次のショコラの着想を得たくて」

 瞬きを繰り返して天童さんを見つめる。ルーブル美術館は絵画のみならず彫刻や工芸品などのたくさんの美術品が展示されているけれど、ショコラにまつわるものは聞いたことがない。

「良いんですか? ご一緒しても」
「ご一緒してくれるほうがインスピレーション湧く気がすんだよね」

 妖艶に笑う天童さんにくらりと容易く酔ってしまえたのなら、もっと柔らかい場所に触れることは出来るのかな。なんて。

(21.11.28)