プラリネ・オン・マイハート

 天童さんのお店が閉店した後にルーブル美術館の前で待ち合わせという約束を取り付けて、翌日、私はピラミッドがあるメインエントランスの前で天童さんを待っていた。
 パリ市内にある複数の美術館の中でも一際有名なルーブル美術館。日が沈み、ライトアップされた建物は荘厳かつ優美な姿を見せている。

「名前ちゃんごめんねお待たせ〜」
「お疲れ様です!」
「さてさて行こうか」

 入場チケットを買う為の列が出来てはいるものの、チケットオフィスだけでなく自動券売機もあるから進みは早かった。お金を払おうとする私に「誘ったのは俺だから」と強引に支払いを済ませた天童さんはとてもスマートで、エスコートに慣れている様子がうかがえる。

「ルーブルはよく来るんですか?」
「たまにね。無料の日とか。人めっちゃスゴイけど」

 モナリザをはじめ多くの歴史的美術品を所蔵しているルーブル美術館は今日のように日々多くの来場者がいるけれど、広さもある分、入ってしまえばある程度は自由に所蔵品を見ることができる。もちろんモナリザやミロのヴィーナスなんかの前ではたくさんの人が留まっているけれど。

「名前ちゃんは何回目?」
「3回目……かな。でも広すぎるんでそれでも全部は見れてないですけど」
「全部見るには一週間あっても足りないって言うもんね〜」
「はい。なのでお恥ずかしながら有名どころしか見てないんですよね」

 それでも最初に足を踏み入れた翼は有名どころが集まるドゥノン翼で、長く続く廊下に並べられる美術品を写真に収めようとする人や写生をする人が目に入ってくる。

「それで、次のショコラの着想というのは?」
「ああ、ウン。次は絵画をモチーフにしたショコラを手掛けてみたいな〜って」
「絵画、ですか」

 視覚から得た感情を味覚に繋げる。素人の私は単純に難しそうとしか思えないけれど、天童さんならばやり遂げてしまうんだろう。
 きっと私の想像が及ばないような場所でショコラへの探究心を重ねるのだ。

「この前はオルセー美術館行って、その前はオランジュリー美術館行ったんだけどさ」
「ミレーの落穂拾いとか、ルノワール、モネ、あとゴッホ?」
「正解〜」

 絵画を見つめたまま言う天童さんの横顔をそっと見つめる。こんなことを言うと面白いどころか変人認定されてしまいそうなので口には出さないけれど、その横顔は絵に描かれた女性よりもずっと綺麗だと思った。

「ん? 何。どーしたの?」
「いえ! なんでもありません!」
 
 慌てて目を逸らして前を見る。

「例えばこの民衆を導く自由の女神なんかはさ、ブラックペッパーとか使ったら表現できる気がすんだよね」
「確かに……ピリッとした感じがこの絵の躍動感を表現してる感じがします」
「他の絵画だとどうなるかな〜って考えながら見んのおもしろくない?」

 子供みたいな無邪気な顔。それだけで天童さんのショコラに対する思いが伝わってくる。

「名前ちゃんはどんなイメージする?」
「私ですか?」
「うん。名前ちゃんならどんなチョコにするのかキョーミある」
「ええっと……」

 本職の人を前に考えるのは少し勇気がいるな。それでも、目の前にある別の絵画を見つめながら自分の経験則を加味して思案する。

「……カレー?」
「え、カレー?」
「この時代って東インド会社によってヨーロッパとアジアの貿易が盛んだったじゃないですか。で、香辛料貿易とかインドって言葉からカレーが浮かんで、そういえはカレー粉使ったショコラってないな〜と思って気がついたら口にしてたんですけどごめんなさい、これはさすがに飛躍しすぎましたよね……」

 顔を俯かせる私の横で、天童さんが笑いをこらえているのがわかる。ここが美術館じゃなかったらきっと声を出して笑っていたに違いない。

「で、でもモネの睡蓮とかはなんかこう、和三盆みたいな優しい味をイメージします!」

 慌てて言い加えた言葉が天童さんに届いているのかはわからない。普通の発想も出来るんですよと言う気持ちでアピールしたものの、天童さんの中に残ったのは多分カレーなのだろう。そして私はカレーの女。

「いや〜本当に名前ちゃん最高だよね。やっぱ一緒に来てもらって正解だった」
「……褒めてます?」
「そりゃね。ま〜今のでカレー食べたくなっちゃったけど」

 天童さん的に正解でも、私としてはあまり正解とは思えない。

「さて。満足したから帰ろっか」
「え」
「なんかもーそれを上回る発想できる気がしないし」

 充実した様子の天童さんはそう言うと本当に出口へ向かって歩き出した。完全にスイッチが切れたのか、他の絵画に目もくれずただ真っ直ぐに出口へ向かい足を進める。

「ホテルまで送ったげる。夜のパリもキレーだよ」

 出口手前の段差で振り向いた天童さん。手を差し伸べられ私はそっと重ねた。やっぱりエスコートがとてもスマートで、喜びと同時に私は少しだけ複雑な感情を抱くのだった。

(21.11.29)