デカフェエチオピア




 室内に満たされる空気は消して悪いものではなかった。もう少し何かを話せたら良いのにと思う反面、話題も思い浮かばない。

「じゃあ説明も無事に終わったので俺は帰ります」

 しばしの沈黙が流れ、壁掛け時計を見た後、昼神さんは言った。確かに時間的にも良い頃合いだ。昼神さんが立ち上がったのを見て私も立ち上がる。
 昼神さんが私の部屋にいるという事実が今でも不思議な感じなのに、天井に届かんばかりの昼神さんの身長はどこか面白さも感じる。
 眼前に立って改めて身長差を実感して、私はそれでも昼神さんの醸し出す雰囲気や優しさが好きだなぁと思った。敢えて分類する必要のない「好き」を昼神さんに対して抱けることがとても幸せなことのように感じるのだ。

 コーヒーにミルクを入れたときのようなまろやかさ。キリリと締まったコーヒーの苦みや酸味をミルクのコクが包み込んでくれる時のような。
 そうなると私がコーヒーで昼神さんがミルク? いや、それとも反対かな。待って待って。なんかこういうコマーシャルか商品なかったっけ?

 と、頭をひねり出した私の耳にグゥと頼りない音が聞こえる。昼神さんのお腹が鳴った音だった。

「……ごめん。遅くならないうちに名字さんの家へ向かわないとと思って夜ご飯食べていなくて」

 咳き込んだ昼神さんは恥ずかしそうに顔をそらして小さくそう言った。隙が前面に押し出されたような、普段の昼神さんからはあまり想像できないそれに、私は正直、可愛いなと思ってしまう。
 そっか、急いで来てくれたのかと、その優しさに感謝をしつつ、冷蔵庫の中にある作り置きの惣菜達を思い浮かべる。昼神さんさえ良ければ夜ご飯をここで食べていってくれても構わない。一応言うだけ言ってみるかという思いで私は口を開いた。

「夜ご飯、食べていきますか?」
「いや、でも」
「って言っても出せるの作り置きのおかずなんですけど、昼神さんが嫌じゃなければ用意しますよ」

 少し迷うような表情を見せた昼神さんは、結果、小さく頭を上下に動かした。

「……じゃあ、お言葉に甘えます」

 良かった、と思いながらキッチンへ向かう。冷蔵庫を開けてタッパーを取り出して。あんな風に言ったけれど、誰かの為の料理となると盛り付け方から意識してしまう。口に合うと良いけど……と願いながら惣菜と残っていたお米をワンプレートに盛り付けて一人暮らし用の小さなテーブルに置いた。
 ひじきと枝豆の和え物。豆腐ハンバーグ。筑前煮。インスタントのお味噌汁を添えたら、それなりに見た目も悪くない和風夜ご飯が出来上がったと思う。

「すごい、いつもこんなちゃんとしたご飯作ってるんですか?」
「たまにテイクアウトもするんですけど基本的には自炊ですね。休みの日に作り置きして忙しい日はサボれるようにしたりしてます。それにお味噌汁はインスタントなんで、多分昼神さんが思うほどちゃんとしてないですよ」
「いや、俺なんてほとんどコンビニ飯だし」
「獣医さんって忙しそうだもんなぁ。でもほら、最近のコンビニご飯って栄養もしっかり考えられてるじゃないですか」

 昼神さんの持ってきてくれたケージの中で子猫が鳴く。
 いただきますと綺麗に両手を合わせた昼神さんは、まっすぐ背筋を伸ばした美しい姿勢のまま、私の作ったご飯を口に運んでくれた。大きな口の中に運ばれていく総菜。一口。また一口と、絶え間なく運ばれていき、それほど時間も経たないうちにプレートは空になった。

「ごちそうさまでした。美味しくて次から次へと食べちゃいました」
「あはは。口に合うかなって心配していたんで、そう言ってもらえてすごく嬉しいです。あ、ちょっと待っててくださいね」

 私はもう一度キッチンに向かって、コーヒーメーカーで淹れていたデカフェコーヒーをマグカップに注ぐ。湯気が漂うそれを昼神さんに手渡して、テーブルを挟んで対面するように座った。

「良ければこれもどうぞ。デカフェなので眠れなくなるとかはないです」
「いただきます」

 このコーヒーを飲み終えたら昼神さんは今度こそ部屋を後にする。与えた熱が、昼神さんの帰路を温かくしてくれれば良いと思う。

 コーヒーが私と昼神さんを繋いでくれる。この夜が終わってもまた明日、もしかしたら明後日、私と昼神さんは同じように相見えるだろう。湯気が漂うコーヒーを、また手渡すのだ。「おはようございます」というのが当たり前だったのに、今はこうして「おやすみなさい」と言えるようになった。
 猫と私と昼神さんと。過ごしたこのささやかな夜が、きっと私にとって生涯忘れられない夜になる。そんな予感を感じながら私はゆっくりとコーヒーを飲むのだった。
 
(21.09.19)


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