インドネシア




 2週間前と同じ状態に戻っただけなのに、ずいぶんと殺風景になったと思ったのはそれほどまでに濃い思い出が蓄積されていたからだろうか。命が1つ減った部屋はいつもよりも少し寒い感じがして、私は出かける前に暖房の設定温度を一度上げた。
 クリスマスの飾り付けが彩る街を歩けば、もうすぐ年末がやってくることを実感する。そう思うと足取りも早くなる。待ち合わせ場所の駅前は、こんな日も人で溢れていた。

「昼神さん!」
「名字さん、お疲れ様」
「昼神さんも」
「子猫は無事に?」
「はい。無事に」
「そっか。じゃあ、ご飯食べながら色々話聞かせてください」

 並んで昼神さんが予約しているというお店に向かう。凍てついた全身を強く締め付けるような空気。さらけ出した頬がピリピリと刺激されているのがわかった。
 だけど、それよりも私は昼神さんと一緒に向かう夜ご飯が楽しみでそんな寒さはなんてことなかった。やっぱり今日、誘ってもらえて良かったな。一人でいたらきっと部屋で寂しさを持て余していただろうから。

「シュウマイ楽しみです」
「俺のおすすめだから、名字さんも気に入ってくれると嬉しいけど」
「昼神さんのおすすめなら絶対美味しいと思う」
「そう?」
「うん。絶対そう」

 昼神さんの名前を知ってからもう3カ月が経とうとしている。知らないこと知って、一緒に時間を共有して。
 とても居心地の良いこの関係がいつまでも続いていけば良いと思うけれど、雪が降って溶けて花が咲くように、多分、いつまでも完全に同じままではいられないことはわかっている。
 年の瀬の折、願わくはどうか、出来るだけ長くこうして昼神さんと楽しい時間を過ごせますようにと私は思っていた。
 





「このシュウマイ美味しいです! じゅわ〜って肉汁たまりません」
「よかった、気に入ってもらえて」

 運ばれたセイロの中にあるシュウマイ。具が大きいから歯ごたえもしっかりあって食感も良い。外気とは裏腹に少し暑いとさえ思える店内は活気に溢れていて、じんわりと滲み出る汗を手で仰いでしまうほどだ。

「あれから子猫は問題もなく過ごせました?」
「はい。ばっちりでした」
「子猫、名字さんに懐いてたからな〜」
「そうなんです! もうすっごく可愛くて名前もつけそうになったんですけど愛着湧いちゃったら困るなと思って結局ずっと子猫って呼んでました。名前つけるとしたらどんなのがいいかなぁとか妄想して、そういうのも楽しかったです」
「そっか。でも名字さんの優しさだと思うので俺はいいと思いますよ。次の飼い主へ配慮したんですよね?」

 昼神さんはシュウマイを口に運んだ。大きく開けられた口にシュウマイは簡単に吸い込まれる。頬が膨らんで動いているのを見つめていると、身体の真ん中あたりが変に騒がしくて面映ゆい。
 昼神さんの言葉が嬉しいと同時に、全てを見透かされている気がしてちょっと悔しいとも思う。こんな風に優しく翻弄する昼神さんは狡い。するりといとも簡単に心に入り込んでくる昼神さんのことを私はいつからこんなに好きだと思うようになったんだろうか。

「……前々から思ってたんですけど」
「なんですか?」
「昼神さんって私のこと全肯定してくれますよね」
「え」
「そんな風に肯定されちゃうと私、昼神さんになーんでも愚痴っちゃいますよ?」

 我ながら子供っぽいとは思ったけれどわざとらしく言葉にした。昼神さんはそんな私を見つめて、肩を震わせて笑う。いつかの日みたいに。

「いいですよ、俺で良ければ。好きなだけ愚痴ってください」
「そこは否定してください……甘えちゃいそうになります」

 街中に流れる陽気な音楽のせいにしたい。一杯だけならと飲んだ冷えたビールのせいにしたい。年末特有の緩んだ空気のせいにしたい。
 理由の全てを何かに擦り付けて、もっと深く昼神さんに踏め込めたら良いのにと思う。こんな風に優しく近付いた関係の終着点を、私は知らない。

「名字さんと話すの楽しいから、それが理由になるんだったら俺は全然構わないけど」
「ほら、そういうところです!」
「本音なんだけどな〜」

 今、子猫がいなくなった寂しさを埋めてくれるのは間違いなく昼神さんだ。だけどそうじゃなくて、ただ埋めるんじゃなくて、幸せを増やしたいと願うのはわがままだろうか。

 ご飯を食べ終え会計を済ませてお店を出ると、昼神さんの背後にはカラフルなイルミネーションが光っている。光の海にいる昼神さんに見惚れてしまって、12月の世界は本当に厄介だと思った。

「送りますね」

 当たり前のように昼神さんは言う。設定温度が一度上がった部屋に帰るのは私だけだけど、満たされた夜にもう寂しさはどこにもないような気がした。

(21.09.25)

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