コピ・ルアク




「すみません、おまたせしてしまって」
「いえ、お仕事お疲れさまでした」
「名字さんも」

 きっちり1時間後、昼神さんは小走りで待ち合わせ場所までやってきた。平日とは言え大抵の人が退社している時間の今、駅前にはたくさんの人がいる。頭一つ分抜きんでた昼神さんを見つけるのは私にすれば容易いことだけど、昼神さんはこんな人込みで私を見つけること困難ではないのだろうか。
 隣に並んで、そんなくだらないことを考えているなんてきっと昼神さんは想像もしていないんだろうな。

「何食べますか? クリスマスだし、ちょっと豪華なものも良いですけど予約ないから有名店は厳しいですかね?」
「確かにな〜。あ、近くに俺の馴染みの店があるんで、そこなら予約なくてもなんとか大丈夫かもしれません」
「じゃあそこに行きましょう。昼神さんの馴染みなら間違いないので」
「あはは。ご飯に関してはかなり信頼されてますよね、俺」
 
 いつも通りの柔らかい笑み。昼神さんと食べるご飯は居酒屋でもチープなイタリアンでも豪華な中華でも、なんでも美味しく感じるような気がする。
 全面的に信頼してますよ、ご飯に関することじゃなくても。その言葉はまだ心の中に留めるしかできないけれど。

「最近、私達よく一緒にご飯食べるじゃないですか」
「うん」
「楽しいです。新しいお店行くのも、一緒にいろんなジャンルのご飯食べられるのも」
「うん。……うん、俺もそう思う」

 街中に溢れるカップルを装うみたいに私たちは隣り合う。手を繋がずとも、腕を組まずとも、こんな寒い日でも私の心は温かい。
 歩いて約10分。鍋が絶品だというそのお店にたどり着けば、店内は活気と食欲をそそる香りであふれていた。店長さんらしき人に挨拶をした昼神さんは、タイミングよく空いたと言う奥座敷に私を案内する。

「俺のおすすめはちゃんこ鍋なんですけど、どうします?」
「それならもちろんちゃんこ鍋一択です!」
「あはは。やっぱり信頼されてるな〜」

 慣れた様子で店員さんに注文をして、先に運ばれてきたドリンクで乾杯を促した。ケーキも七面鳥もクリスマスらしい料理は一つもないけれど、私はこれをクリスマスの味として、きっとこれからもふとした時に思い出すのだろう。

「それと名字さんに渡すものがあるんです」
「渡すもの?」
「いつもお世話になっているのでお礼も兼ねて」

 居住まいを正し、背筋を伸ばした昼神さんはそう言って私に紙袋を手渡す。受け取り、上から覗けば淡い白のマフラーと手のひらサイズのクリスマスブーツが入っているのが分かった。

「えっ」

 驚きのあまり続く言葉が出てこない。お礼を言わなくちゃと思うのに私はただ昼神さんを見上げるしかできなかった。

「大きいクリスマスブーツのほうが中にたくさんお菓子入っていて楽しいかなって思ったんですけど、さすがに邪魔かなと思って」
「いや、そんな……と言うかマフラーがとても質の良い肌触りなんですけど! すみません。私、何も用意していなくて……」
「良いんです。俺が渡したかっただけだから」

 店内の盛り上がる声が遠くに聞こえる奥座敷はまるで私たちを隔離するようで、世間から少し離れた場所に居る気分になる。だけどそのせいで一層、目の前に座る昼神さんの存在を意識させられた。
 私は昼神さんにとって、ただのコーヒーショップの店員なんだろうか。朝に顔を合わせる馴染みの店の店員なんだろうか。時々一緒にご飯を食べる友人なんだろうか。

「ありがとうございます。嬉しい、です」

 それとももっと他の、素敵な何かになれているんだろうか。






「早速つけてもらうのって嬉しいけど、なんだか気恥ずかしい気もしますね」

 美味しいちゃんこ鍋を食べ終えて店を後にし、駅前のアーケードを歩く。
 今日はマフラーを巻いてこなかったからと理由を口にして、もらったマフラーを早速首に巻けば、柔らかい質感の生地が私を抱きしめる。

「温かいし生地気持ちいいです。すっごく気に入ったので愛用します」
「そんな風に喜んでくれると俺も嬉しい。結構悩んだんで」
「悩む昼神さんもちょっと見てみたいです」

 笑いあいながらアーケードを抜け、街灯が照らす道を歩けば頬に広がる冷たい感覚。

「雪だ」

 と、独り言のように昼神さんが言って、私の頬に触れたのが控えめに降り出した雪だということを理解した。雪。そっか。雪降る景色を今、私は昼神さんと一緒に見ることが出来ているのか。口元をマフラーに埋めるようにして、空を見上げる。深い色をした空に月がくっきりと浮かんで、夜空をデコレーションするみたいに星々が散らばっている。

「……私」

 気が付けば口が勝手に開いていた。
 私の初めてのお客様。常連のお客様。背が高くて、顔が整ってて、日曜日は仕事が休みで、コーヒーはブラック。学生時代にバレーボールをやっていて、獣医の仕事をしていて、具の大きいシュウマイが好きな昼神さん。
 今こうして隣に並んでいることが、たまらなく嬉しい。

「初雪が降った時、寒いけど綺麗だから昼神さんも一緒に見られたら良いのにと思ったので、今こうして一緒にいることが出来て幸せです。今日、お誘いしてくれて本当にありがとうございました。クリスマスイブに一緒に過ごす人が昼神さんで良かった」

 どうかこれはクリスマスの魔法ということにしてほしい。普段は言えないような言葉を言えちゃうことも、一挙一動に期待を込めてしまうことも。

「あ〜……」

 立ち止まり、悩まし気にこぼれる昼神さんの声。私も同じように足を止めて昼神さんを見上げた。昼神さんは瞳へ揺れるような感情を乗せて私を映す。
 どうしよう。言ってしまおうかな。私は昼神さんと恋の駆け引きがしたいわけじゃない。素直に気持ちを伝えたい。でも困らせることだけはしたくない。迷惑なるんだったら言わずにいたい。
 迷う私を目の前に、先に口を開いたのは昼神さんのほうだった。

「もしかして俺、試されてます?」
「試す?」
「そういう風に言われると期待します」
「期待……」
「このままだと俺、クリスマスに誘って断られないのも、一緒にいるのが幸せって言ってくれることも、自分の都合の良いように解釈するけどいいの?」

 私はただ昼神さんの言葉に耳を傾けて、言葉の真意を掴むしかできない。そんなの私だってそうなのに。今の昼神さんの言葉、私の都合の良いように解釈してしまうけれど。
 もしそれが許されるのなら、私が言うべき言葉ってもう1つしかない。

(21.10.03)

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