オリジナルブレンド




 強く拳を握った。そうであってほしいと願っていたのに、きっかけをくれたのは昼神さんなのに、ここまできても私はまだ緊張に飲み込まれている。
 冴え渡るような冬の風が頬を撫で、冷たいそれは、どこか私の意識をクリアにさせた。

「……良いです」

 裏腹に、か細く紡がれた声。しかし昼神さんは頼りない私の声をこぼさずに拾ってくれた。大きく見開かれた瞳に、私は追って声を出す。

「むしろ昼神さんにとって都合の良い解釈してくれると、私も嬉しいです」 
「本当に?」
「はい。私は、昼神さんのことが好きなので」
「……まじか〜」

 雪が降り続ける空の下、昼神さんは独り言のようにそう言って深いため息を吐き出した。
 と同時に、顔を両手で隠しながらしゃがみこむから、私は慌てて同じ目線に身をかがめた。背中に手を当てる。コートを隔てているのにこうして触れるだけで指先を必要以上に意識するのだから、昼神さんにはそう解釈してもらわないと困る。

「大丈夫ですか!? え、わ、私やっぱり違いました!? 間違ってます!?」
「いや、ごめん。想像以上に嬉しくて」
「そんなに、ですか?」

 昼神さんの、羞恥や恍惚を含んだような瞳の色は初めて見る気がした。

「名字さんは気が付いてなかったと思うけど、名前を知る前からずっと気になってたから。人となりを知ってより一層良いなって思って……ちゃんと好きになって、存在が身近になって、名字さんも同じ気持ちだったら嬉しいのにって考えてた」
 
 細胞の一つ一つを刺激するような言葉が私の胸を撫でる。それはとても甘美で、これから共に過ごすであろう時間でさえ優しく照らす光のようだった。
 昼神さんは絵本の中の王子様のように私の手をとり、共に立ち上がる。慈しむ様に触れられた手は解かれることなくただ熱が増してゆくばかり。

「改めて言うよ。名字さんが好きです。俺と付き合ってください」

 重なった指先に冷たさなんて微塵もなくて、私は応えるようにほんの少しだけ手に力を込めた。

 遠回りも近道も、駆け引きがあったわけでもない。偶然が重なることはあっても運命的な何かがあったわけでもないと思う。ただ自然に昼神さんのことを好きになった。ごく普通に惹かれた。
 だけどそれで良い。特別なきっかけがなくても、ドラマみたいな出来事がなくても、こうして昼神さんと今日まで至ったことをとても嬉しく思う。

 だからシンプルに始めよう。昼神さんの好きな温かいブラックコーヒーみたいに。その奥深さに気付いて時々わからなくなることもあるだろうけれど、通い合わせた心を大切にしながらこれからも昼神さんのことを知っていきたい。そして、私のことも知ってもらいたい。

「ぜひ、よろしくお願いします」

 紡いだ言葉が雪と共に降り注ぐ。遠くではクリスマスソングが流れ、たくさんの人が往来する。イルミネーションは絶えず点灯し、冬の優しさを街中に色濃く残していた。






「本日のコーヒーお願いします」

 閑やかな声とコーヒーの香り。年が明け、寒さは一層厳しくなったけれどこの場所に漂う空気感は変わらない。コーヒーの温かさも、豆を砕く音も。朝、仕事の前にこうして「本日のコーヒー」を注文を受けることもまた。

「今日、ちゃんと起きれた?」
「うん。寒かったから出たくなかったけど幸郎くんからの連絡のおかげで起きられた」
「はは。連絡して良かった」
「最高のモーニングコールだった」
「俺も朝から名前の声聞けて良かった」

 恥ずかしげもなく言う幸郎くんの言葉はまるでコーヒーシュガーみたいに甘い。
 こう言う、ふとしたタイミングで恋人同士になったということを実感させられては、私が勝手に一人で気恥ずかしくなること、絶対に幸郎くんは気づいていない。いや、もしかして気が付いていて私の反応を楽しんでいたりするんだろうか。

「……そこまで堂々と言われると逆に胡散臭い気がしてきた」
「え〜、それは酷い言いぐさじゃない? 俺本気で言ってるのに」

 挽いたばかりの豆の深く苦い芳香。きゅっと胸を締め付けるような香り。ああ、今日もきっと良い日になる。

「ごめんね。だってまだ彼氏としての幸郎くんに慣れてなくて」
「早く慣れてくれないと困るんだけどな〜。それに、それ」
「それ?」
「呼び方。幸郎でいいのに」
「え〜! うーん……んー……幸郎?」
「はーい。よくできました」
「でもこの前まで昼神さんって呼んでたのに急に呼び捨てはやっぱり図々しい感じしちゃうなあ」
「付き合ったんだからむしろ図々しくしてくれないと」

 肩を小さく揺らして笑い合う。
 私達はこれから先、いろんなことを共有して、互いを知って、時には喧嘩をして、たくさんの時間を過ごすのだろう。

「じゃあそろそろ仕事向かうかな」
「いってらっしゃい。仕事、頑張ってね」
「名前も」

 そして幸郎くんは掠めるように一瞬だけ私の唇に自身のそれを落とした。
 不意打ちのキスにまぶたを下ろす暇もなく、私は眼前にいる幸郎くんを見つめるだけだ。されたと理解したのは唇が離れた後で、私は慌ててドア近辺を確認する。

「大丈夫。お客さん来てないの確認してからキスしたから。それに俺の背中で隠れてわかんないと思うよ」
「そうだけどそうじゃない……!」

 私の反応に幸郎くんは楽しそうに顔を緩める。そんな表情でさえ好きだと思うから、私はいとも簡単に優しい気持ちになれる。

「また夜に連絡する」
「うん」
「行ってきます」

 幸郎くんは私の淹れたコーヒーを片手に背中を向ける。ドアを出て、ガラス窓越しにもう一度手を振って、私はその姿が見えなくなるまで目線を向け続けた。

 さあ。1日が始まる。
 今日もまた美味しいコーヒーを淹れよう。
 飲んでくれる人の幸せを願って。

(21.10.04 / fin)

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