「なんか無理矢理帰らせちゃったみたいになってないですか?」
お店から数十メートル程歩いたところで昼神さんは苦笑しながら言った。
「そんな、全然。帰ろうか行くか迷ってたんでむしろ帰る背中押してもらったっていうか」
「背中、押してましたか」
「押してましたね。気持ちがぐいっと帰るぞ! って方向に一気に傾きました」
私の言葉に昼神さんは笑う。今朝も巻いていたチャコールグレーのマフラーは夜になってもやっぱり昼神さんに似合っていて、私の目は引かれる。
「俺、実はちょっと名字さんと2人きりで話してみたいなって思ってたんですよ」
「え?」
不覚にも、茶目っ気を交えた笑顔にぐいっと一気に気持ちが傾いてしまった。背が高くて体格もしっかりしてるなってずっと思ってたけれど、そういう人がこんな風に笑うのってずるい。
「ほら、いつもは店員さんと客だったからこうやって話せるの面白いなって」
「あー……なるほど」
改めるように身長差を感じて私は昼神さんを見上げた。お店は少し段差があるからこんな風にちゃんと身長差を意識するのは初めてだ。私だって特段背が低いわけではないのに昼神さんの隣に並ぶとやけに小さい女の子になったような気分に陥る。
「まあ名字さんが迷惑じゃなければ、なんですけど」
「迷惑じゃないですよ。私もいつも来てくれているお客様とこんな風に話しできるの面白いなって思います。……あ、でもそれを意識したらだめなのか……せっかくなんで店員とお客っぽくない会話をしましょう!」
昼神さんは柔らかく笑うだけだった。
「店員と客っぽくない会話ってどんなのですかね」
駅前までの真っ直ぐな道のり。平日とは言えまだ駅ビルも開いている時間だからか繁華街を抜けても大通りは多くの人がいた。友達同士。カップル。仕事帰りの人。キャッチのお兄さん。私達の関係性を言い当てられる人なんてきっとここに誰一人としていないだろう。
友達でもカップルでも仕事の繋がりがあるわけでもないけれど、頭一つ抜きん出た昼神さんの身長なら、きっとどんな人混みでも一瞬で見つけられるんじゃないかな。
「昼神さん、身長は2メートルくらいあったりしますか?」
「さすがに2メートルにはならなかったけど190くらいはありますよ」
「凄い……何食べたらそんなにおっきくなれるんですか」
「え〜シュウマイとか、ですかね?」
「シュウマイですか」
「好きなんです、具が大きいシュウマイ」
可愛い。大人の男性にそう思って良いのかわからないけれど、好物を口にする昼神さんは可愛い。
「あ、でも」
微笑みを携えて昼神さんが私を見る。やっぱりここに言葉があって良かったと思ったのは私だけの秘密だ。
「名字さんが淹れてくれるコーヒーも好きですよ。今日も一日頑張ろうって思えるんで」
その微笑みに私の心が掴まれる。ずるい。それはやっぱりずるいですよ、昼神さん。自分が大切にしているものを好きって言ってもらえたら、どうしたってそんなの嬉しさで満たされるに決まってる。
一杯のコーヒーを大切に。それを飲んでくれている時間がその人にとって幸せなものになりますように。それが昼神さんにとってもそうであったら私はすごく幸せになれる。
「自分が好きではじめたお店なんですけど、でも、やっぱりそう言ってもらえるとすごく嬉しいです。なんかちょっと照れくさい気もするんですけど……昼神さんとか他のお客様がいるから成り立ってるわけだし……ってあれ。これ、店員とお客さんの会話になってません……!?」
ハッとして昼神さんの顔をまじまじと見つめると、私を見つめ返しながら瞬きを繰り返した昼神さんは声を出して笑った。
「なんだか、あれですね。駅までの道のりって案外短いですね」
「え? あ……確かに言われてみればもうバス乗り場ですもんね」
「名字さんはバスで帰るんでしたっけ?」
「ええっと、そうですね。まだバスあるんでそれに乗ろうかなって思ってます」
昼神さんは電車だっけ。確か飲み会の席で電車でここまで来たと言っていたような気がする。だとしたらバスに乗る私とはここでお別れだ。昼神さんの言ったように駅までの道のりは驚くほどあっという間だった。
それこそ、もう少しこの道が長ければいいのにと思えるくらいには。
「明日の朝、お店行きます」
「でも日曜日に昼神さんがうちに来たことないですよね?」
「今回の勉強会、うちの医院であるんで」
「そうなんですね」
「なので、また明日」
また明日。昼神さんのその言葉がやけに強く私の胸に残る。
「今日はありがとうございました。気をつけて帰ってくださいね」
「昼神さんも」
「それじゃあおやすみなさい」
「……おやすみなさい」
会釈をしてお互いに踵を返した。数歩進んで振り向く。駅の明かり。人の波。そんな中で頭一つ抜きん出た昼神さんが目に入って私の心は温かく灯る。
明日、昼神さんがやって来ることが楽しみだと思う気持ちは紛れもない事実だ。
(21.05.13)