トアルコトラジャ




「今度、一緒に試合観戦行きませんか?」

 日に日に増す朝の寒さが、より一層身に染みるようになってきたある日、いつものようにお店にやってきた昼神さんは言った。思わずドリッパーから目線を動かしてしまいそうになったけれど、寸前のところで耐えて「え?」と聞き返した。
 それってつまり、このお店とは関係のないところで会おうってことだよね。と私の心臓は急に忙しなく脈を打つ。

「友人がバレーボールのチームに所属しているんです。来月試合がこっちであるんで、名字さんが良ければ一緒に応援どうかなと思ったんですけど」
「バレーボールの試合……ですか」
「あ、もしかしてバレーは興味がないですか?」

 お湯を注ぎ終わってようやく昼神さんの顔を見る。興味がないわけではないですけれど、急な誘いに驚いているだけですと正直に言ったら、昼神さんは困ったように笑うんだろうか。

「興味ないわけじゃないです。でも、毎年時期になったらテレビで観戦するくらいなので詳しいことは多分、全然わかんないです」

 ほとんど毎日顔を合せて、取り留めもないような会話を繰り返してきたけれど、昼神さんからそんな風に誘われたのは初めてだった。
 それでも私は大人だから、そんな動揺は顔に出さず言う。

「じゃあぜひ生の試合を観戦しましょう。きっと楽しいですよ。解説なら俺がします」

 ほんのり赤い頬は、冬の寒さが故。だけど昼神さんはどことなく嬉しそうだ。私を誘ってくれることに、何か意味はあるんだろうか。そんなことを考える。

「わかんないことをすぐ教えてもらえるのは心強いです。初心者ですけど、ぜひ」

 コーヒーを手渡す瞬間、指先が触れ合う。温かい私の体温と、冷たい昼神さんの体温。思わず「冷たいですね、大丈夫ですか」と言ってしまいそうになる。けれどきっと手渡したコーヒーが昼神さんを温めてくれるだろうと、私の手元を離れていったコーヒーにその役割を期待した。

「日程、連絡しますね」

 あ、そっか。連絡先は食事会のときに交換していたんだったと思い出す。交換したは良いものの、一度だって稼働していないそれを私は今の今まですっかり忘れていた。
 昼神さんとはほぼ毎日こうして顔を合わせているのに、彼女でもない私がこれ以上連絡をとる理由は見つからないのだから仕方ない。
 別に日程だって、朝来るときに伝えてもらっても構わないんだけど。そう思ったけれど口にはしなかった。

「はい。待ってます」

 私はもらいたかったのだ。昼神さんからの連絡を。音を発しない昼神さんの声を。
 表情や声色がわからない状況で昼神さんはどんな風に私にメッセージを送ってくれるのか、それを私はただ単純に知りたかったのだ。






『こんばんは。今朝話したバレーの試合の件で連絡しました』

 そんな風に絵文字もない、ある意味淡々とした連絡がきたのはその日の夜のことだった。お風呂上り、髪を乾かしながらスマホを見ている最中に届いたメッセージに、私は思わずドライヤーの電源を切った。
 たった一行の文章なのに、画面の向こうで柔らかくしっとりとした笑みを携えている昼神さんが想像できる。

『来月第一週の日曜日、午後2時からなんですけど、名字さんご都合はいかがですか?』

 お店は私一人で経営しているから決まっている店休日以外に休みたい日があれば好きに設定できる。もちろん事前にSNSや店頭で告知をするようにしているけれど、試合は来月のことだし、その点に関しては問題なかった。

『もちろん大丈夫です!』

 2通続けて届いた昼神さんからのメッセージに、出来るだけ間を空けないように返信する。

『よかった。チケットはこちらで手配しますので任せてください。あと会場が少し遠いので当日は車で迎えに行きますね。時間は追々決めましょうか。もしついでに行きたいところがあったら遠慮なく言ってください、寄るので』

 お風呂上がりの濡れた髪はすぐに乾かさないとダメだってわかっているけれど、私は昼神さんからのメッセージに何度も目を通した。

『何から何までありがとうございます。昼神さんも当日までに用意してほしいものや私にしてほしいことあったら言ってくださいね。私に出来る事なら何でもしますので!』

 昼神さんの真意はわからないけれど、休日の誘いをするくらいだから好意的には思ってくれているはずだ。誠実さがあって外見も申し分なくて、他者への優しさも兼ね揃えているであろう人からこんな風に誘われて嫌な気持ちになる人はいないと思う。

「あ……どうしよう。普通に楽しみだ……」

 一人暮らしの部屋では私の言葉に返事がくることはない。やっぱりちゃんと髪の毛乾かさないと、と慌ててドライヤーの電源を入れた。しっかり乾いたらヘアオイルも塗らないと。

『うん。こちらこそありがとう。おやすみなさい、名字さん。また明日』

 友達くらいにはなれたんだろうか。なれてると良いな。お互い知らないことはまだまだあるけれど、とても緩やかに近づいてゆく距離はもどかしくも、私の心を優しく刺激する。

(21.07.20)

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