冬の朝って、夏のそれよりもずっと眩しい気がする。射し込んでくる朝日を見つめながら、お客さんが誰もいないことを理由に大きなあくびをした。
ドアの開く音。顔を現した昼神さんとしっかり目が合う。チャコールグレーのマフラーをしているのは久しぶりだなと思いながら、見られてしまった醜態に羞恥が込み上げる。
「おはようございます、名字さん。寝不足?」
「……実は昨日撮り溜めしていたドラマを見てたらつい。ばっちり見てましたよね、今の。恥ずかしいです……」
「あはは。ごめん、ばっちり見てました」
昼神さんが注文を言うよりも先に本日のコーヒーであるモカハラーが入っている容器を手に取った。最近はずっとこんな感じだ。昼神さんは絶対に本日のコーヒーを注文するから、来店したら該当の容器を手に取るのが癖になってしまった。
「うう……どうか忘れてください」
穏やかな冬晴れが続いているからだろうか。知らず知らずのうちに気持ちが緩んでしまっているのかもしれない。見られたのが昼神さんで良かったのか、悪かったのか。
「名字さんの知らない一面を見れた気がします」
「そうですか?」
「名字さんはいつもしっかりしてるから」
一緒に試合を観に行く日まで残り約10日。初めてスマホで連絡した日から、昼神さんとは時々メッセージのやり取りを繰り返している。夜ご飯何を食べたとか、さっき見た星がきれいだったとか。
朝、顔を合わせて他愛もない話をするのに、夜も他愛もない話を繰り返すなんて時々、変なの、と思う。気を抜けばずっと昼神さんが近くにいるような錯覚さえ起こってしまいそうだ。
「昼神さんのほうが私よりよっぽどしっかりしてるじゃないですか」
「そう?」
「そうですよ」
「なるほど。俺は名字さんにそう思われてるってことか」
じわじわと変化していく関係性を私はちゃんと感じている。そしてそれは揺蕩うような関係性であることも。だけど、不思議とそれを嫌だと思うことはない。
「あ。そう言えば、この前昼神さんがおすすめしてくれた海外ドラマも見始めたんですよ」
「どうでした?」
「……もうすっごく面白くて。まだしばらくは寝不足確定しました」
す、の部分で言葉を溜めるように言うと、昼神さんは優しく笑った。
「おすすめしてよかったです。寝不足の手助けをすることになるのは申し訳ないけど」
「まさか昼神さんが寝不足応援側の陣営とは思いませんでした」
「寝不足応援側陣営……となると反対は寝過ぎ応援陣営?」
「うーん……寝過ぎ応援陣営もちょっと嫌ですね」
「あはは。快眠が一番ですね」
「ですね。あんまり夜ふかししないように頑張ります」
どうしようもない程くだらない内容だったとしても、昼神さんはいつもちゃんと言葉を返してくれる。昼神さんが醸し出す空気は揺らぐことなく、安らかだ。
「そうだ。昨日注文していた有田焼のフィルターが届いたんです。それ使ってみてもいいですか?」
「有田焼のフィルターなんてあるんですか?」
私は得意げに戸棚からそれを取り出した。
ザラザラとした表面。本当にこれが水分を通すのかと心配になってしまうビジュアルを持っているけれど、粒子と粒子の間に隙間がありそこから水分が通っていくらしいのだ。曰く、これを使うと水の分子集合が小さくなりまろやかな味わいになるらしい。ペーパーフィルターを使う必要がないので、直接挽いたばかりの豆を投入する。
「へえ、初めて見ました」
「コーヒーの抽出方法って結構色々新しいものも多いんですよ。エアロプレスとかもそうですし。いろいろ試したくなっちゃうんですよね」
そしていつものようにお湯を注ぐ。芳醇な香りが立って空間が一気にエレガントさを増した。
「再来週、行きたいところ決まりましたか?」
「え」
「試合は14時からだから17時頃には終わると思うんですけど、その後でも、その前でも。覚えてますか? 他に行きたいところあったらどこにでも行きますよって言ったの」
またしても視線を昼神さんに向けてしまいそうになったけれど、耐える。
行きたいところ。行きたいところ。行きたいところ。
「それを言うなら私だってしてほしいことあったら言ってくださいねって言いましたよ。決まりましたか?」
「俺はほら、一緒に行ってくれるだけで満足だから」
そんな風に言われるとは思ってもなくて、私は一瞬動揺した。
「まだ時間はあるんで、考えておいてください」
コーヒーを受け取った昼神さんは爽やかに言う。きっと私が動揺したことなんて知る由もないだろう。
「楽しみにしてます、再来週」
「……私も、楽しみにしてます」
それまでにあと何回私は昼神さんにコーヒーを淹れるんだろう。何回夜に他愛のないメッセージをやりとりするんだろう。
あっという間にやってくるであろうその日を、私はどんな気持ちで迎えることになるんだろう。
(21.07.20)