パトロック




「最初の食事会のときも思ったんですけど、名字さんってたくさん食べますよね」

 昼神さんの言葉に手が止まる。コーヒー器具の買い出しを終え、近くのカフェでランチをしていた時に放たれた言葉だった。
 瞬きを繰り返し、食べる仕草を止めた私を見て昼神さんは慌てて付け加えた。

「あ〜違います。悪い意味じゃなくて、良い意味で。たくさん食べる女性って素敵だなってことを言いたくて」

 口の中に残るケーキを嚥下し、アイスティーを飲んで考える。パスタセットをがっつり食べた後のケーキはやっぱりそう思われてしまうんだろうか。思い返してみれば、確かにあの時も私はしっかり食事に勤しんできた気がする。
 昼神さんはプラスの意味で言ってくれたようだけど、奥底にしまっていた過去の苦い思い出が顔を覗かせた。

「でも私、昔それが原因でフられたことあるんです」
「え」
「相手が食の細い人っていうのもあったんですけど、自分よりたくさん食べる女子ってあんまり好きじゃないとかなんとか言われちゃって。だから出来るだけたくさん食べないようにしてたんですけど、ダメですね。楽しくてついたくさん食べちゃってました」

 苦笑しながら言うと、昼神さんはとても申し訳なさそうに眉尻を下げて「すみません」と沈んだ声で謝った。

「あ、違うんです。謝ってほしいとかじゃなくて、当時は結構ショックだったからプラスの意味で言ってもらえたの嬉しいなって。多分、本当に嫌だったらこのエピソード口には出せなかったと思うし」

 昼神さんが変な誤解をしてしまわないように、出来るだけ穏やかな声色で伝える。

「いや、でも女性に対して無神経でしたよね」
「いえいえ。昼神さんといるときの私って結構素でいられるっていうか、変に着飾ろうと思わないっていうか。だから言えたんだと思います。あ、良い意味で! きっと昼神さんとは波長が合うんじゃないかなと私は勝手に思ってるんですけど」

 今度は昼神さんが瞬きを繰り返す番だった。珍しく照れたように昼神さんは笑う。

「それは気恥ずかしいですけど、光栄です」

 昼神さんの表情に安心して、再びケーキを口に運ぶ。優しさをまとう昼神さんの視線。ケーキの甘さ。カフェのメローなミュージック。
 私たちの関係は友達というには何かが欠けている気がするし、ただの知り合いと呼ぶには過剰なものがあるような気がする。こういう曖昧な関係を示す言葉があると良いんだけど、私のボキャブラリーではなかなかそれが見つかりそうもない。
 でも昼神さんとは、空気感とか距離感とか雰囲気とか、そういうものがパズルのピースみたいにカチッと収まる感覚をいつも覚える。そういうのを人は何と呼ぶんだっけ。考えてみたけれど、やっぱり「波長が合う」としか答えは出なかった。






「お友達が選手って言ってましたけど、昼神さんはバレーやってなかったんですか?」
「やってましたよ。小さいころから高校の時まで、スポーツはバレー一択でした」
「バレー部ですか」
「全国にもいきましたよ」
「おお。それはすごいです」

 ランチを食べ終え、試合会場に向かう車の中で昼神さんに尋ねる。先程の私のように苦笑いをした昼神さんは一瞬だけ私のほうを向いて言う。

「でもあんまり好きじゃなかったんです、バレー」
「えっ、そうなんですか?」

 私は昼神さんの横顔を見つめた。

「俺の家、バレー一家なんですよ。だから俺もずっとバレーやってて。小さい頃はバレー選手になるものだとばかり思ってました。でも気が付いたら取り巻くものとか、自分の心とかしんどくなってて。そんな時に言われたんです。今から観る試合に出てる俺の友達に、やめればって」

 昼神さんの口調は柔らかく、声色は温かい。過去に想いを馳せるような表情。それは確かに、私の知らない昼神さんだった。

「そしたら急に視界が開けた感じがしたんですよ。別にバレーをがむしゃらに好きじゃなくても良いんだなって。その気になればいつだって辞めていいんだって。だから俺は高校最後までバレーを続けられたんだと思う」

 ちょっと、わかる。私はこれまで自分の「好き」に従って物事を行ってきたから昼神さんの言う言葉の真意は多分、本当に少ししか理解出来ていないんだろうけど、でも、わかる。逃げ道があるっていうのは、違う道があるっていうのは決して悪いことではないし、時には安心感を与えてくれる。

「ってこれなんかネガティブエピソードっぽくなっちゃいましたよね」
「そんなことないですよ」

 私たちは昔からの知り合いでもないし、こうやって親しくなったのだって最近のことだし、友達なのか知り合いなのかもわからない関係だけど。
 だけど、だからこそ、昼神さんの本髄に少しだけ近づけたような気がして嬉しい。

「私の知らない昼神さんのお話を聞けてよかったです。ほら、前に昼神さんのことも教えてくださいって私言ったじゃないですか」

 もっと昼神さんのこと知りたいです。そう言ったら昼神さんはいつものように微笑んでくれるのだろうか。

(21.07.23)

priv - back - next