サシ飲みの帰り道の話
頬を撫でるように吹く夜風が最高に気持ちが良い。覚束無い足でアスファルトを蹴りながらこのままふかふかのベッドにダイブ出来たらどれほど良いだろうかなんて事を考える。
おろしたての靴のせいで午後に右の踵を靴擦れしたけれど、アドレナリンが大量放出されているおかげか今はあんまり痛みも感じない。つまり、最高。
「オネーサン、ちょっと足元ふらつき過ぎじゃないですか?」
「あはは。まあたくさん飲んじゃったし。あははは」
「あははじゃないんすけど」
しっぽりとぼんぼりに明かりが灯る飲み屋街では私以上に酔っ払っている人がたくさんいて、私がちょっと足元をふらつかせたくらいじゃ誰もこちらを向いたりなんかしない。それを良い事に思う存分肩の力を抜く。
そもそも最高潮に忙しかった仕事が一区切りした夜なんだから飲まずにはいられないってもので。
「酒は飲んでも飲まれるなって言葉知らない?」
「でも酒は万薬の長って言うじゃん?」
「されど万病の元って続くんだわ」
今日飲まなかったらいつ飲むの、ということで飲みに行こうと黒尾を誘ったのはお昼休み。今日の今日じゃさすがに無理かなとおもったけどフットワークが軽くて本当に助かる。
「黒尾の、いつも飲みに付き合ってくれるところほんと好き」
「ハイハイ」
「ってことでもう1軒行きません?」
「行きません〜」
「急にケチになった」
「俺まで酔っ払うわけにはいかないでしょうが」
「でも今日、黒尾そんなに飲んでなくない?」
「今日の名字はたくさん飲むだろうと思ったからセーブしてんの。2人して泥酔するわけにはいかんでしょ」
確かにと思いながらも素直に頷くのはなんだか癪だったのでケチケチケチと連呼してみる。だけど黒尾は意志を曲げることなく飲み屋街を抜けて私を駅の方へ誘導した。
たくさんどころか今日は記憶がなくなるまで飲む覚悟はしていたんだけど、そんなことを言ったら次から付き合ってもらえなさそうだから口にはしないでおく。
「えーじゃあまた近いうちに飲みいこーよ」
「そん時はもうちょっと控えめに飲むように」
「あはは。はぁーい」
「つか駅まで歩けんの?」
「歩ける歩けるいえ〜い」
「ハァ……ベットボトルの水買ってくっからちょっとここで待ってろよ」
ただの酔っぱらいの適当な返事と判断したのか、黒尾は私を置いて自販機へ小走りで駆けて行った。
一人ぼっちになると急に冷静さを取り戻してくる。と同時に靴擦れの痛みも戻ってくる。日中より痛いかもと思って踵を確認するとカットバンが剥がれていた。新しいカットバンを貼ろうにもベンチはないし、駅まで我慢するしかないか。靴擦れが痛いなんて言って雰囲気変えちゃうのも嫌だし。
「ほれ」
「黒尾おかえりーありがとー」
手渡された冷たいペットボトル。キャップを開けて水を流し込むとまた一層思考がクリアになった気がした。結構迷惑かけてるし、靴擦れの事実は黒尾に悟られないようにしよう。
「終電なくなる前に帰んぞ。転ぶなよ」
ん、と短く返事をして黒尾の隣に並ぶ。私に合わせてくれる歩調。夜風が吹き荒んで髪の毛を乱したけれどやっぱり気持ち良い。
「……なんか歩き方変じゃねぇ?」
「そ、そう?」
「飲みすぎて体調悪くなった?」
「いや、今は結構酔いも醒めてきてるよ」
「でもなんっか普段と違うんだよな……」
立ち止まった黒尾は私の頭のてっぺんからつま先までまじまじと見つめる。ベイマックスかよ。
「気のせい気のせい。ほら終電無くなるし行こ」
バレる前にと今度は私が黒尾を引っ張ると、それが決め手となったのか私の体を上から下までスキャンし終えた黒尾が診断を下した。
「右の踵、靴擦れしてるだろ」
「……バレたか」
「なんで隠そうとしてんだよ。カットバンは?」
「貼ってたけど、剥がれちゃった」
「予備ある?」
「カバンの中に1枚だけ」
差し出される大きな手のひら。
「座るとこもないし、俺が貼るわ」
「え」
「早く。痛いんだろ?」
一瞬ためらう。でも黒尾はカットバンを貼る気満々だし、まあ痛いは痛いし……とおずおず新しいカットバンを差し出せば、黒尾は恭しく足元にしゃがみこんだ。いつもは見ることが出来ないつむじがすぐそこにある。髪の毛の分け目とか、流れとか、普段は知る事のない部分が視界に入ってきて変な感じ。
「靴脱いで。俺の肩に手置いていいから」
「ア……ハイ」
「うわ、痛そ」
言われるがまま黒尾の肩に手を置いて浅ばきの靴下を脱ぐしかなかった。何、この韓国ドラマっぽいシチュエーション。変に黒尾を意識しないようにできるだけ遠くを眺める。
これはベイマックス。ベイマックスが私を治療してくれているのだ。
「貼れたぞ」
「ア、アザッス」
「なんで片言?」
そっと靴を履けばしゃがんでいた黒尾は立ち上がった。もう見えないつむじ。不覚にも「なんかありかも」なんて考えてしまった自分が憎い。
「……ちょっと一回バララララララやっとこ」
「話が見えんのよ」
「っていうか悔しいからやっぱりもう1軒行こ!」
「行きません〜このまま帰ります〜」
しっぽり灯るぼんぼりの明かりを背に、黒尾に手を引かれて強制的に私の足は駅の方へ進む。
靴擦れはもう痛くない。
(24.09.17)