同期のあの子@
「くーろおっ」
エレベーターを待っている最中、名字の声が聞こえた。同時に後ろから背中をトンと軽い調子で叩かれる。
「今日もおつかれ」
隣に並び、俺を見上げた名字は満面の笑みで言った。何か良いことがあったんだろう。仕事に忙殺されていた先週とは大違いだ。邪気のないその表情を見るとつい肩の力が抜ける。
「ずいぶん元気だこと」
「さっき課長にスイーツ買ってもらったんだ。良いでしょ〜?」
「ワー、ウラヤマシー」
「棒読み!」
仕事の鬱憤を晴らす飲みも、日々の働きを労う飯も、いつだって付き合うつもりだけれど、大変そうにしているよりはそうやって笑ってくれている方が良い。
この様子だと今日は誘われる事はなさそうだと判断し、残業でもしようかと考える。
「黒尾はこれから外?」
「そ。名字は?」
「私は課長のお使いでちょっと郵便局に」
「買収されただけじゃねぇか」
エレベーターの扉が開き、誰もいないボックスの中へ足を踏み入れると名字がボタンの前に立った。
視線は無意識に名字の後ろ姿を捉えてしまう。今日は髪をひとつにまとめているんだなとか、その髪留め初めて見たとか、さすがに同期から言われるには気持ち悪いだろうから口にはしない。
エレベーターは俺達以外を乗せることなく、ゆっくりと1階へ向かっている。沈黙を破るように名字が口を開いた。
「ね、ね。見て」
「あ、うん。なに?」
「これ新しく買った髪留めクリップなんだけど可愛くない?」
そっと髪の毛に手を添えながら振り向いた名字は、どこか得意気に笑っていた。
「黒尾全然触れてくれないから私から言っちゃうけどさぁ、絵画をモチーフにしたデザインがすっごく可愛くてつい衝動買いしちゃったんだよね。これはピカソのひまわりなんだけどモネの睡蓮もあってどっちにするか10分くらい迷って……ってなんか笑ってない?」
「いや、悪い。可愛くてつい」
気持ち悪いと思われるだとかなんとか考えず、さっさと思ったことを口にしとけば良かった、と笑いを耐えきれなくなって肩を震わせる。
「可愛いからって理由でそんな風に笑う人見たことないんですけど! 絶対可愛いって思ってない笑い方じゃん! 黒尾の前に立ってしれっと気付けよアピールしてたけど笑われるんだったら言わなきゃ良かった」
「アピールするならもっと分かりやすくアピールしてくれませんかね」
「じゃあ次からは事前に『明日は新しい髪留めを使うので話題に触れてください』って連絡するわ」
「わかりやすくて助かる」
ってこれじゃあただの業務連絡じゃん、と言って名字はまた笑った。鼻にくしゃっとシワが入って、なんつーか、有り体に言うとさっきよりも可愛い、俺の好きな笑い方だった。
エレベーターが1階に止まり、名字が開ボタンを押す。
「1階到着でーす」
「アザース」
図らずも名字と会えたことで良い気分転換になった。そのまま一緒に外へ、といきたいところだが郵便局に行くと言ってたし、正面入口よりも裏口から出た方が近いはずだ。
「じゃあ外回り行ってくるわ。名字も気を付けて郵便局行けよー」
「あ、待って待って」
「ん?」
「はいこれ」
俺を引き止めた名字はポケットから何かを取りだして差し出す。
「……チョコ?」
「幸せのお裾分け。午後も仕事頑張ろうね」
手のひらに置かれた1口サイズのチョコレート。何の変哲もない、コンビニで小学生でも買えるやつ。きっと名字は親しい相手なら誰にでもこうやって接するのだろう。
名字にとって俺は唯一の同期。それ以上でも、それ以下でもない。だけど俺はそんなありふれた1口サイズのチョコレートに、ひっそりと幸福感を得るのだ。
「名字」
「ん?」
「それ、可愛いよ。まじで似合ってる」
「え、あ、ええ? う、あ、ありがとう」
今更そう言われるとは思っていなかったのか、珍しく名字は狼狽えながら照れていた。
名字が俺を信頼しているのは唯一の同期だから。俺だってその信頼を簡単には裏切れないし、壊したくない。だけど少しくらい動揺して、恥ずかしがって、意識すればいい。
そんな身勝手なことを考えているなんて夢にも思わないだろうけど。
(24.09.19)