マッチングアプリを始めたい話
「マッチングアプリなるものを始めようかと思っているんですが」
「急にどうした」
「マッチングアプリ始める理由なんて1つしかないでしょ。彼氏が欲しいんですよ、私は」
「この前彼氏は作らなくてもいいみたいなこと言ってなかったっけ?」
「いや、あれはあれ、これはこれって言うか……」
会社近くのカフェで食後のコーヒーを嗜みながら先週の三連休を思い出す。どこにも出かけず、誰にも会わずアマプラで恋愛映画を見まくった3日間。そのせいか私の身体は完全に恋愛モードになっていた。
もちろん映画みたいな恋愛が出来るとは思っていない。ロマンティックな出来事ばかりじゃない。彼氏がいたってヒロインになれるわけじゃない。そんなことは重々にわかっている。
わかっているけれど欲しい。彼氏が欲しいのだ。
「んで、今度は何に影響されたわけ?」
「私が毎回何かに影響されて発言すると思うなよ!」
黒尾は何も言わず私をじっと見る。ばれている。その目は見透かしている目だ。
「…………この三連休はアマプラで恋愛映画三昧でした」
「そんなことだろうと思ったわ」
「だってめちゃくちゃよかったんだもん〜。一本だけ観るつもりがあなたへおすすめに出てきたやつも面白いしさ〜。気が付いたら三連休が終わっててビックリしたわ」
「単純」
やめて。そんな呆れたような目で見ないで。
このまま単純な女だと思われるのも嫌なのでマッチングアプリを始めるにあたって黒尾を説き伏せられるような理由を探す。
「そ、そもそも、私は独身のままでいるつもりはないし? 結婚願望くらいありますし? いつ運命の人と出会えるかわからないような時代なんだから待つより探しに行った方が早いですし?」
「運命の人、ねぇ」
「あ、なんなら黒尾も一緒にマッチングアプリ始める!? 黒尾なんて激務だから家に帰って彼女が出迎えてくれたら嬉しくない?」
深い溜息の後、コーヒーを飲み干した黒尾は再度私を見据えた。
「俺に彼女が出来てもいーの?」
「え?」
「俺、彼女が出来たらすんごい大切にするけど」
「……そんな感じはする」
「だから名字とサシでは飲みに行かねえし、名字からの連絡も仕事以外は返さなくなるかもよ? まじでいいの?」
なに。その脅しみたいな、私を試すみたいな言い方は。
私がどう反応するかを待つ黒尾の視線を浴びながら、前にタイ料理店で黒尾と話した事を思い出していた。あの時はもっと軽くとらえていたけれど、もし本当に黒尾が本気をだして彼女を作ってしまったら――。
「……待って。黒尾に彼女ができて私が独り身のままだった時が一番みじめじゃん!」
「そこかよ」
「やっぱり黒尾はマッチングアプリ始めないで!」
「まあ始めねぇけど、マッチングアプリ始めたからって彼氏できるとも限らないだろ」
「それはそうだけど……でも何事もやってみないとわからないし
「そもそも、付き合うに至るまで何人もの男とデートすんのわかってんの?」
「え……そうなの?」
「相性合わないやつとの食事なんて苦痛以外何者でもないだろ。名字に出来んの?」
「一回目でうまくいくかもしれないじゃん……」
「運命の人なんてそんな簡単に見つかるもんじゃないと思うけどな」
黒尾、やけに否定してくるな。っていうか私よりマッチングアプリの内情に詳しいじゃん。まさか過去にやっていたことがあるとか?
氷の溶けたコーヒーはすっかり薄くなった。そろそろお昼休みも終わるし会社に戻らないといけない。でもこのまま戻るのもなんだかモヤモヤする。そう考える私をふてくされていると思ったのか、黒尾は「名字」と改まるように私の名前を呼んだ。
「俺は心配してんの。名字がマルチとか結婚詐欺に引っかかるんじゃねぇかって」
「どんだけアホだと思われてるの、私」
「まあ結婚とか考えたら焦る気持ちも理解できるけど、変な奴に名字は任せられないってわけ。なんなら付き合う時は俺んとこに挨拶に来てほしいくらいだわ」
「父親か」
まあでもそこまで黒尾が私の事を大切に思ってくれているのなら、私もその気持ちを裏切るような事はしたくないし妥協せずに良い男捕まえるつもりで挑むけど。
なんだかんだ黒尾は寂しいのかもしれないな。一応、唯一の同期だし。そう思うと結構可愛いところあるっていうか。
「とりあえず次の連休用に俺のおすすめの映画とドラマ送っといたから」
「え? あ、うん。ありがとう?」
なにがとりあえずなのかはわからないけれど、届いたメッセージを確認する。
SUITS。ソーシャルネットワーク。マイインターン。イエスマン。……いや、系統よ。働かせる気満々じゃん。私に彼氏作らせる気ないじゃん。
「しばらくは俺と一緒に社畜街道でも走ろうぜ」
「嫌なんですけど!」
(24.09.17)