映画と言えばポップコーンの話
今夜の予定が決まったのは突然だった。
『名字、今日何時まで残る?』
『1時間くらい残業しようかなって思ってた。なんかあった?』
『終わったら映画観に行かね? 時間的に観られそうなの限られるけど』
午後、うっすらと眠気が姿を現した頃に黒尾から届いた連絡。船を漕ぎそうになったのを見られていたんじゃないかと思えるほど絶妙なタイミングに眠気はどこかへ飛んで行く。
全然構わないけれど黒尾から突然映画を観に行こうと誘われるのは初めてだし、何か特別な理由があるんだろうか。
『いいけど、突然だね?』
『かなり前に映画のペアチケットもらったんだけど使用期限が今日までだったのさっき思い出して。すぐ誘えんの名字しかいねぇし』
『待って。私が家に帰っても何もしないだろうと思われている……?』
『^^』
『私だって帰ったらちゃんと掃除とか料理とか洗濯とかやってるから! まあ行くけど!!』
『行くのかよ笑』
『丁度観たい映画あったの思い出して』
『前にサブスクで観たって言ってた映画の続編だろ?』
『なんでわかるの? 怖いんだけど』
『じゃあ19時に駅前集合な。飯食ってから行こうぜ』
言いたい事はまだあるけれど一応仕事中だし、時間も決まったわけだしと、これ以上は返事をしなかった。
5分足らずでスルスルと決まった今夜の予定。頭の中で残りの仕事量と時間配分を考えながら気合を入れてパソコンに向き合い始めた。
でも俄然やる気が出たって言ったら、多分黒尾は笑うのだろう。
19時に駅前で待ち合わせた私たちはそのまま駅ビルのレストラン街で適当にご飯を済ませ、映画館に向かった。
平日の夜でもフロアにはそれなりの人がいて、夜ご飯を食べたばかりだというのにボップコーンの香りが食欲を優しく刺激してくる。
「ポップコーン食いたいんだろ」
「だからなんでわかるの」
「それだけ熱心にフードメニューの写真見てたら誰でもわかる」
だって久しぶりの映画館だったから。
定番っぽいことをしたくなって、売店カウンターの上に掲げられた写真を凝視してしまったのは否めない。
「でもね、一応こうなることを見越して私は先手を打っておいたの」
「どんな?」
「カロリーの少ないメニュー選んでご飯も少なめにした」
得意げに言えば黒尾は肩を震わせ小さく笑った。
私は黒尾みたいに基礎代謝があるわけでもたくさん食べられるわけでもないからこうしないと食後のポップコーンは無理なんだってばと口を尖らせる。
「問題は塩味かキャラメル味かだよね」
「そんな悩むもんじゃないだろ」
「悩むもんだよ」
「お。塩とキャラメルのハーフもあるみたいだけど」
「や、あれはさすがに量が」
「じゃあ俺と半分ずつ食うのは? 飲み物も欲しいしセットにしようぜ」
そう言ってスタスタと歩き出した黒尾は注文待ちの列に並んだ。このままポップコーンを買ってくれそうな勢いだったから慌てて黒尾に言う。
「ここは私が出すから」
「いや、良いって。誘ったの俺だし」
「だからこそじゃん。私一円も払ってないもん」
「それ言うなら俺も貰い物のチケットだから一円も払ってないけど」
「でも」
「せっかくデートっぽい流れなんだし、こんくらいかっこつけさせてくんない?」
渋る私を前にニヤリと黒尾が笑った。そんな言い方をされたらこれ以上は食い下がれない。デートじゃないけど、と続けるのは野暮な気がして結局何も言い返せないまま。
「余裕あるけどこのまま中入るか」
「うん、そうだね」
購入した飲食物を持ってシアターへ向かう。程よく照明が落ちた部屋の中、黒尾が予約してくれた席は後方座席の真ん中だった。
「私真ん中あたり選びがちだから視界が新鮮」
「俺は基本ここらへんが多いな。一応後ろへの配慮っつーか」
「ああ、トサカ?」
「ボク、高身長なんで」
「でも全体を見渡せるのも悪くないね」
「だろ」
スクリーンに流れる予告編やCMを見ながら、私と黒尾の間に置かれた大きなポップコーンバケットに手を伸ばす。不意に触れ合う指先。キャラメルポップコーンの甘さを感じながら、確かになんかデートみたいだと今になって黒尾の言葉を意識してしまった。
開演時間が迫り、シアター内は徐々に暗くなる。つい、薄明かりに照らされる黒尾の横顔へ視線が向かってしまう。
「見つめるのは俺じゃなくてシアターな」
「わ、わかってるってば」
「あと暗くなったからって寝るなよ」
「寝ないよ!」
顔を寄せあい小声で交わす会話。暗闇の中で笑う黒尾。非日常的な空間が私に与えるものは何なのか。
あと何度指先が触れ合うのだろうかと考えながら私は再びポップコーンに手を伸ばした。
(24.10.01)