同期のあの子A
「て言うか、一緒に寝ても良くない?」
そう言われた時の衝撃たるや。
名字が俺のことを同期としか思っていないのはわかっていたが、いかに俺を意識していないかを真正面から突き付けられたような気がした。普段であれば笑って冗談にしていたはずなのに、同時に覚えた苛立ちがそれを阻止する。
「それもいいかもな」
それでも、2人で寝るには少し狭いベッドで背中に名字の体温を感じながら、やはりどうかしていたと考える。
だから正直、名字が「私が黒尾に手を出す心配はしないの」と聞いてきたときは驚いた。暗闇で見つめ合うには相当な忍耐力が必要で、さすがにこのまま朝を迎えるわけにはいかないだろと、今度は出来るだけ冗談めかして答えてみる。
「え、なに。俺襲われちゃう感じ?」
「……あんまり簡単に男の部屋に泊まるなって言うけど、黒尾だってあんまり簡単に女の子部屋に泊まらせたら駄目だよって話」
「一応、この部屋に異性が泊まるのは名字が初めてなんで」
誰にだってそんなことを言うわけではない。そもそも部屋に招かないし、泊まりの提案だってしない。だけど名字はそんなことを知るわけもない。知るわけもないまま、俺を見つめる。俺たちの間にあるわずかな距離が俺と名字の今までを繋ぎとめている。手を出すつもりはない。いや、なかった。でもこんな状況で耐えろとかどんな拷問だよ、とも思う。
静寂が支配する暗い部屋の中で名字と見つめ合いながら、だけど少しくらい俺の事を意識すればいいと意地悪で利己的な考えが頭をよぎった。だから手を伸ばした。ほんのり冷たくも柔らかい頬と少しだけ身を寄せた名字に俺の限界がやってくる。
触れたら怒るだろうか。困るだろうか。悲しませるだろうか。悩ませるだろうか。でも、触れたい。戸惑いと欲望が入り乱れる中、唇を合わせる。名字の反応を確認しつつ、嫌がられない事を良いことにキスを続けた。考えることを放棄したくなるくらいに気持ちが良いキスだった。
「……くろお」
だけど名字が俺の名前を呼んだ瞬間、我に返る。下から見つめてくる名字を見ながら、ここがギリギリのラインだと悟る。いや、ギリギリっつーかアウトだろ。付き合っても居ないのに、気持ちを伝える事すらしていなのに、雰囲気に身を任せてキスするとか狡いだろ。
「言っておくけど、名字が嫌とかじゃないからな」
溜息を飲み込んで、そう伝えてベッドから抜け出した。果たしてそれはフォローになっていただろうか。名字を傷付ける言葉になっていなかっただろうか。
自己嫌悪に陥りながらもリビングのソファで朝を待つ。太陽の光が差し込む部屋で話をしよう。仕事が立て込んでまともに名字と話すこともない日々が来るなんて知らずに、そんな決意をして瞼をおろした。
「クロ、ちょっと顔色死んでない?」
「休日返上で連勤してんの」
多忙の合間を縫って研磨の家に行ったのは仕事の話も兼ねてだった。
「やばいね。大丈夫?」
「仕事はどうにかなりそうっつーか、どうにかするんだけど」
「仕事、は?」
「……他でちょっとやらかしちゃって」
「珍しいね」
「それでまあ、困らせたくない人を困らせちゃったと言いますか」
「名字さん?」
研磨の口から発せられた名前に口を噤む。いや、いくらなんでも名探偵過ぎるだろ。
「え、俺そんなにわかりやすい?」
「まあ。クロがクロらしくなくなる時、大体名字さん関連だから」
「……そっすか」
「それ、詳しく聞いた方がいいやつ?」
「いや」
「じゃあ聞かないでおく」
詳細に伝えることは勿論、告白もせずに泊まりに誘ってキスまでしましたなんて簡潔に伝えることもはばかれる。これも大人の恋愛だと言い換えれば聞こえは良いけれど、結局、これまで積み上げてきたものを壊したことには変わりない。
この感情は後悔なのか、それとも不安や恐怖といった類のものなのか。嫌われたくないと願うのは身勝手なのか。
「ハァー……」
「あのさ、クロ。名字さんと何があったかは聞かないでおくけど、一応幼馴染だし、名字さんとも顔見知りだし、俺にできそうなことあればするから。面倒くさくなければだけど」
研磨なりの励ましに少し気が軽くなる。
溶けるほどに気持ちよかったあのキスが、名字にとって嫌な思い出になっていなければ良い。
(24.11.20)