KODZUKENと話しをする話


 黒尾の家に泊まった翌日、リビングへ向かうとその姿がなかった。代わりに『悪い。急ぎの仕事で呼び出されたからいまから会社行く。腹減ってたら冷蔵庫の中のもん好きに使っていいから。鍵置いてくからポストに入れといて』というメッセージがスマホに届いていた。拍子抜け。安堵。でも釈然としない。空腹は感じなくて、軽く片づけをしてから黒尾の部屋を後にした。言われた通り鍵はポストに投函して。
 そうして迎えた月曜日。おつかれと返信はしているけれどそれ以降のやりとりはなく、顔を合わせるとしたら多分今日だろうと肩に力が入る。午前中にランチの誘いはなかった。午後、廊下ですれ違うこともなかった。退勤間際、もしかしたら今日は顔を合わせないかもしれないと油断した時、うちの課に黒尾がやってきた。
 課長と話す後ろ姿を見つめていると、隣の席の後輩が耳打ちしてくる。

「競技普及事業部、今忙しいみたいですよ。なんかミスがあったとかで」
「そうなんだ」

 あの日、急ぎの仕事は私を避けるための嘘だったんじゃないかと思う部分もあったから、それを聞いてちょっと安心した。通りでお昼の誘いも連絡も全くないんだと納得しながら、用事を済ませたであろう黒尾を追いかける。

「黒尾」
「ああ、名字」
「聞いたよ。忙しいんだってね」
「ちょっと部内でいろいろあってな。悪い、連絡くれたのに返信してなくて」
「ううん。それは全然。あの、鍵、大丈夫だった? それが心配で」
「ちゃんとポストん中入ってた」
「そっか。それなら良いんだ。あ、なんか手伝えることあったら言ってね。今こっち割と暇だから」
「サンキュ」

 あんなことがあったのにも関わらず、黒尾は普段と変わらない様子だった。いや、私も普段と変わらない態度を心がけたんだけど。
 戻っていく黒尾の背中を見つめながら、やっぱりなかったことにしたいのだろうかと考える。わざわざ掘り返すようなものでもないけれど、タブーみたいに扱われるのは嫌だ。
 増えてしまった余計な悩み。これからどうしようと思ったけれど、競技普及事業部の忙しさはなかなか終わりを見せることなく、私と黒尾もそれから2人でご飯に行くことは一度もなかったのだった。


 そんな風に黒尾と過ごす時間も減ったある日、社内で有名人とすれ違った。

「あ、名字さん」
「孤爪さん! おつかれさまです。黒尾と打ち合わせですか?」

 KODZUKENこと孤爪研磨さん。黒尾の幼馴染で共にバレーボールをやっていた仲間でもあり、時々黒尾の企画に協力してくれる我が社にとっても心強い存在。私の部署はコヅケンさんと直接的な関わりがないけれど、黒尾から個人的に紹介されて何度か話したことがる。

「うん。もう終わったけど」
「1人で玄関まで?」
「クロ、忙しいみたいだから見送りは断っただけ」
「あ、それなら代わりに私お見送りします」
「いいよ、別に」
「一応私も社の人間なので形だけでも」

 隣に並んで玄関へ向かう。孤爪さんとは友達というわけではないけれど、仕事上の付き合いだけの人ってわけでもない。こういう微妙な距離感の時、会話にあがるのはどうしても共通の友人である黒尾の事。

「でも噂ではそろそろ落ち着くんじゃないかって聞いてますよ」
「そうなんだ」
「私も最近はあまり連絡とれてないんで現状はわからないんですけど」
「名字さん」
「はい」

 玄関までたどり着くと改まるように名前を呼ばれる。

「クロのことよろしく」
「え?」
「この間会った時、悩んでたみたいだったから」
「く、黒尾が私のこと話したんですか?」
「詳しいことは聞いてない。ただ、なんか困らせたかもって言ってたから」

 そっか。黒尾は悩み事として孤爪さんに相談していたのか。困ってはいないけれど、それが黒尾の悩みになってしまっているのだったら、自責の念に駆られる。

「そうですか……」
「別に俺が心配するようなことじゃないとは思うけど、名字さんじゃないとダメってこともたくさんあるだろうし、だからそう意味でのとりあえずよろしくってこと」

 私じゃないとダメな事ってあるのかな。今現在黒尾を悩ませているのに。

「じゃあ、また」
「はい。おつかれさまでした」

 小さくなる背中を見送り、深く長い溜息を吐き出す。
 よし、なかったことにしよう。黒尾を悩ませたり困らせたりはしたくない。あのキスを嫌な思い出にはしたくない。だからお酒を飲んだ勢いと夜のテンションのせいだったことすればよい。そしたら今まで通りに戻れる。
 ただの同期の、私と黒尾に。

(24.11.19)
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