03

 東京駅と比べると小さいなという印象は抱いたけれど、さすがローマの中心駅というだけあってテルミニ駅は人でごった返していた。

「スリ、気を付けてください」
「え、あ、はい。気を付けます」

 物珍しさに辺りを見渡してしまう私は、キャリーケースを持っている事もあって誰がどう見ても遠方からやってきた観光客だった。そんな私を心配してか、飛雄くんが言う。

「やっぱり俺が持ちますか、キャリーケース」

 喧騒を忘れさせる飛雄くんの声。見上げる表情はさっきと変わらない。影を閉じ込めたような瞳が綺麗だと思う。改めて、こんなに背が高い人の隣に並んだのは初めてだなんて陳腐な感想が浮かんだ。パッと見る限りでも飛雄くんは群を抜いて背が高い。ジェラートを買っているお兄さんも、チケットを買おうとしているおじさんも、通常であれば背が高いと呼ばれる部類に入るのだろうけれど、飛雄くんと比べてしまえばそれはやはり言わずもがなだった。

「あの……?」
「あ、ごめんなさい。えっと、じゃあ、お言葉に甘えて……」

 先程は断ったけれど、ここで問題を起こしてしまったらそのほうがよっぽど迷惑になるとキャリーケースを飛雄くんに渡す。そこそこ大きいサイズを持ってきたつもりなのに、彼の隣に並ぶと一回り小さくなったような錯覚に陥った。

「どっちですか」
「確か、こっちです」

 先方が用意してくれた部屋はここからさらに地下鉄を乗った場所にある。ただ部屋の鍵は本社で保管されている為、一度そこへ寄らなければいけない。
 石畳の道。オシャレなカフェ。至る所にあるイタリア語。スーパーの窓から見える見知らぬパッケージ。そんな日常の中、私は飛雄くんと肩を並べる。

「わざわざ付き合ってもらって、しかも荷物まで持ってもらって本当にごめんなさい。しかも石畳だし運びにくですよね」
「まあ……でも、そんなに重たくないんで平気です」

 受託可能重量ギリギリまで詰め込んできたキャリーケースは決して軽いわけでもない。それでも飛雄くんは嫌な顔一つせず私に付き合ってくれる。美羽さんから言われた、という事も大きいのかもしれないけれど。

「後日、改めて今日のお礼させてください。あの、迷惑じゃなかったらですけど……」
「迷惑ではないです。それに、姉から言われてるんで」
「美羽さん?」
「名字さんを頼むと」
「美羽さん、そんな風に言ってたんですか」
「はい。なので、頼まれました」

 頼まれました。独特な言い方に私は思わず笑ってしまう。小さく肩を揺らした私を、飛雄くんは不思議そうに見つめた。

「俺変なこと言いましたか」
「いや、そうじゃなくて、なんて言うか、面白いなって」
「面白い?」
「顔色一つ変えないで言うのがちょっと面白かったです。あ、でも、頼もしいなって思いました。私、海外で生活するの初めてだから実はそれなりに心配もあって。言葉通じるかなとか、体調崩したらどうしようかなとか。でも、何かあったときに飛雄くんを頼っても良いんだって思ったら、安心しました」

 いや、でも飛雄くんからすれば私を助けるメリットなんてないし、むしろ迷惑になってしまうか。やっぱり私は浮かれているのかもしれないな、と思いながら続ける。

「ごめんなさい。頼りすぎるのは迷惑になるってわかってるんで、早めにローマに慣れるよう頑張ります」
「別に、気にしないでいいです」
「え?」
「俺はバレーが出来ればそれでいいんで」

 その言い方をされるのは二回目だ。「飛雄はバレーにしか興味ないからね」美羽さんの言葉を再び思い出す。困ったような、どこか呆れたような、でも確かに愛のこもった声色に心がやんわり温かくなったことを覚えている。
 私は美羽さんを介した飛雄くんしか知らないし、スポーツを極めた経験もないけれど、夢中になる気持ちは知っている。

「少しだけわかります。私も、カメラを撮れなくなったら絶望するだろうから」

 今は亡き父の趣味であり、仕事だったカメラ。幼い私はその価値もわからなかったけれど、それでもあの日から、父が私にカメラを手渡してくれた日から、私はカメラに恋をしている。これだと思える一枚を撮れた時の高揚感。そしてそれを認められた時の喜び。分野が違っても、好きなものを極めたいという欲望は同じだと思いたい。
 私をじっと見つめた飛雄くんの唇が、薄く開く。

「……名字さんのことを頼まれた時、姉から送られてきました。名字さんが撮った写真」
「そうなんですか? 美羽さん何も言ってなかったので、ちょっと恥ずかしいな」
「写真の事はよくわかんないんすけど、でも、すげぇ綺麗でした」

 とても単純で飾り気のない明瞭な言葉は、だけど、飛雄くんの本心だとわかる。言葉をレンズで覗けるなら、多分、それはとても鮮やかな色を放っていたことだろう。
 綺麗。飛雄くんの言葉を彩る、見えない色を想像して私は言う。

「ありがとうございます」

 少し、はにかんで。

(22.02.26)