はち!

 練習試合の最中、タイムの時に白布くんと目が合ったから思わず名前を呼びそうになった。白布くん頑張って、と。
 でもすぐに名前を呼ぶなと言われた事を思い出して口を噤む。白布くんの名前を飲み込んで、吐き出す安堵の溜息。

「牛島先輩、かっこい……」

 変わりに、誰にも聞こえない小さな声で呟く。
 体育館だからこの前の公式試合よりもよく見えるし、ギャラリーにも人が少ないから好きな場所に位置取り出来る。毎日でも練習試合やってくれないかな、なんて考えていると再び白布くんと目が合う。
 名前を呼ぶなと言われているけれど、手を振るなとは言われてないなと思って白布くんに向かって手を振る。ここにいるよって合図も込めて。

「えっ」

 試合中だし、振り返してくれることはないだろうと思っていた。でもまさかそんな苦虫を噛み潰したような顔をされるとは思っていなかった。いやもう試合中云々の前に白布くんに手を振っても振り返してもらえる想像が一切出来ない……。
 それでも、これも想定内だと気を取り直して再開された試合の行方を見つめる。白布くんのおかげでバレーのルールにも少しは詳しくなったし、前よりも楽しい。牛島先輩も相変わらずカッコイイし、尊い。
 そして白布くんもまた、教室で見せる顔とは違う真剣な面持ち。そういう顔もするんだって、まだまだある白布くんの知らない部分に、言葉には出来ない感情を覚える。
 なんかちょっと不思議だ。少し前まで白布くんの事全然知らなかったのに。もちろん今でも知りない事だらけだけど、こんな風に白布くんを応援する日が来るなんて思わなかったな。

「白布くん」

 その名前を口に出してみる。私はあとどれくらい白布くんに近づけたら牛島先輩の連絡先を知ることが出来るんだろう。あとどれくらい白布くんの事を知れたら牛島先輩の連絡先を教えてもらえるんだろう。
 視線の先にいる白布くんと牛島先輩を交互に見つめながら、ただそんな事をぼんやりと考えた。


「おい」

 白布くんに呼び止められたのは練習試合が終わって、少し時間が経過した頃だった。部活自体がこれで終わりみたいだしさすがに私も帰るかと体育館を後にしようとした時、後ろから呼び止められた。

「名字、家どこらへん」

 どうしたの、と言うよりも先に聞かれる。
 脈絡のない問いに戸惑いながらも答えた。

「え……ここからバス乗って20分くらいのところだけど」
「送る。とりあえずバス停まで。白鳥沢前のバス停でいいんだよな?」
「や、え、どうしたの白布くん? 白布くんがそこまで優しくしてくれるなんてちょっと想定外なんだけど……」
「うるせぇ。俺だって別に送りたくないけど先輩たちに言われたんだから送らないわけにもいかないだろ」
「納得……!」

 幻聴かなと思ったけれど幻聴じゃなかったし、白布くんの優しさが発動したかなと思ったけどそういう訳でもなかった。

「着替えてくるから少しだけここで待ってろよ」

 渋々といった様子で着替えに戻る白布くんの背中を見つめる。先輩に言われたからとは言え、なんか、さすがにちょっと申し訳ないな。

「ごめんね、白布くん」

 だから、着替えが終わった白布くんと学校前のバス停へ向かう最中、私は謝った。

「学校の前のバス停だけど疲れてるのに送ってもらっちゃって」
「本当にな」
「でも白布くんでもさすがに先輩の言うことには逆らえないんだなーって面白かった」
「あのなぁ……」

 まだそれほど遅い時間ではないけれど空はすっかり暗くなっていて、夜空に散らばる星は今にも落ちてきそうなほど綺麗に輝いていた。
 コンクリートを踏みしめる足取りは、置いていかれることはない。そんなバス停までの短い道のりが妙にもどかしい。

「そもそもどうして先輩たちにそんな事言われたの?」
「タイム中に名字が俺に向かって手を振ったから勘違いされたんだよ」
「勘違い?」
「……彼女かって」
「え!」
「安心しろ。すぐに否定した。俺だってそんな誤解されるのは困る」

 そうだよね。そんな誤解、困るよね。そもそも私だって牛島先輩に『白布くんの彼女』として認識されるのは困るし。
 バス停が目の前に迫る。
 白布くんはなんと言って否定したんだろう。ただのクラスメイトなのか、ただの友達なのか。
 でもやっぱり白布くんの事だから「ただのクラスメイト」なのかもしれない。

「今日試合見られてよかった。心の中でいっぱい騒いでた! 声に出したら白布くんに出禁くらってたよ」
「出禁と一生無視な」
「あはは。そうだった」

 遠方から光が見えて、バスがもうすぐやってくる事がわかる。明日も学校で会えるのに、なんとなく名残惜しさを感じた。
 それでも私は、今、目の前でストップしたバスに乗らなくてはならない。

「名字」

 乗り込もうとした瞬間、白布くんが私を呼び止める。

「……また、明日な」
「うん! また明日!」

 そらされる視線。白布くんの言葉が鼓膜を震わせ、残り続ける。
 バスの中から白布くんに手を振ってみても、やっぱり振り返してくれることはなかった。
 それでも私の心は満たされていた。

(24.04.30)