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 翌週末は冬晴れで、試合会場に繋がる道では多くの人が列を作っていた。

「人多いねー」
「ユニフォーム着てる人も結構居ますね」
「名前ちゃんもなんか買う? 買うなら付き合うよ」
「え、どうしよう。美羽さんどうします?」
「一旦試合見てから考える」
「なるほど……」

 一歩、足を進めるごとに気持ちは高まる。イタリア語で記載されたチケットに何が書かれてあるのかはほとんどわからなかったけれど、前の人に倣えば無事に会場へ入ることが出来た。

「わ、すごい」
「結構広いね」

 コートを取り囲むように配置された座席。私達が腰を下ろしたのは審判側のコートサイド。アリーナ席と呼ばれるここは、恐らく一般的に人気が高い場所なのだろう。コートの中では数人の選手が体を動かしていて、その中には飛雄くんの姿もあった。
 バレーはおろかプロのスポーツを生で観戦するのは生まれて初めて。心臓の動きがいつもより早い。身体の内側から湧き上がるこの感情は、だけど、緊張ではなく高揚感。

「水、持ってきたからあげる」
「ありがとうございます」

 隣に座った美羽さんからペットボトルのミネラルウォーターを受け取る。まだ少し冷気を保ったそれは、口に含むと幾分か体の火照りを冷ましてくれる気がした。

「昔から時々、飛雄ってバレーする為に産まれてきたのかなって思うときがあるんだよね」
「え?」
「まともに歩く事も出来ないような時からバレーが好きでさ。周りで流行ってるものよりもバレーだから友達と上手くやれてるか心配もしたなあ。もちろん日本で何回も試合観戦してるし、こんな事思うの今更だけど、我が弟ながら凄いなって思うわ」

 愛しさと慈しみのこもった瞳。美羽さんの見つめる先は言わずもがな、飛雄くんだ。

「私、ずっと思ってたんですけど美羽さんって飛雄くんの事、大好きですよね」
「……そりゃあ、まあ、姉弟だしね?」

 姉弟だからと美羽さんは言うけれど、そこにはきっと、目に見えない愛や、敬いや、礼儀があるのだと思う。
 
「なんかいいなぁ。私も美羽さんみたいなお姉ちゃんほしかったです」
「あたしも名前ちゃんみたいな妹だったら仲良くやれそう」
「そう言ってもらえるなんて嬉しいです」
「あ、飛雄と結婚したら義姉になれるよ」

 本気か冗談か。多分、冗談なんだろうけど。
 取り乱さないようにもう一度ミネラルウォーターを口に含んだ。私の手のひらの熱で温くなった水が、喉を通って身体の中へ落ちてゆく。付き合っている相手すらいないのに、結婚なんて遥か遠くの事だ。
 これはほどよく受け取って流すのが正解かな。

「確かに。かなり魅力的な提案です」
「あはは。でしょ?」

 改めて飛雄くんへ視線を向ける。すらりと伸びた手足。ボールを魔法みたいに自由自在に操っている。飛雄くんがイケメンと呼ばれているのは知っているし、実際そうだとも思う。きっと数多の女性から声をかけられたに違いない。でも、だからこそ飛雄くんの目に私はそういう対象として映らないんだろうなと思った。

「まあでも飛雄くんの意見を無視するわけにはいかないですし。そもそも飛雄くんは私の事そういう対象として見ていないと思いますし」
「それは分からないんじゃない?」

 美羽さんが意外と真面目に返答したから、私もつい真面目に考えてみる。

「この前3人でご飯行った時もあたしが思ってたより仲良くなってたし、飛雄は名前ちゃんのこと良く思ってると思うなぁ」
「それは私が美羽さんの友達だからですよ。だから、色々気にかけてくれるし良くしてくれるんです。嫌われてはいないの分かりますし私も飛雄くんの事いい人だなって思うけど、きっと私と飛雄くんはそんな関係性にはなれないと思います」

 ドキッとするときはあるけれど、飛雄くんと手を繋いで歩いたり、抱き合ったりする未来は上手に想像できないし。

「……って、美羽さん本気で言ったわけじゃないのになんか真面目に答えちゃってごめんなさい」
「ううん。こっちこそごめん」
「いえ、謝らないでくださ……ふふっ」
「え、笑うとこあった?」

 不意に飛雄くんの知らないところでこんな話をしている状況がとても面白く感じた。

「飛雄くんは目の前にいるのに、本人はこんな話してるなんて知る由もないんだなって思うと、なんか急に面白くなっちゃって」
「確かに。飛雄から恋愛関係の話聞いたこともないし、そうなってくれたら嬉しいなって個人的な願望もあってつい色々言っちゃった」
 
 美羽さんがそう思ってくれていることを光栄に思う。

「でも、飛雄くんと知り合えて良かったって思います。美羽さんから聞く話だけじゃなくて、ちゃんと接して飛雄くんの人となりを知れて良かったって」
「そっか。そう言ってもらえて嬉しい」
「そろそろ試合はじまりますね」
「よし、気合い入れて応援しよ!」

 さあ、集中しよう。飛雄くんが繰り広げる試合に。深呼吸をして、私は真っ直ぐコートへと視線を向けた。

(22.06.01)