02
そして現在、飛行機は無事にフィウミチーノ空港へ着陸した。
入国審査を済ませ、荷物を受け取り、到着ロビーへ足を踏み入れる。出迎えの人々が並ぶ中、私は一人の男性の顔を思い浮かべた。初対面だけど何故か勝手に知った気になっている相手。人混みを抜け、視線の先にいる誰よりも背の高い人物。
「名字名前さんですか?」
目があった瞬間、私よりも先にその人は口を開いた。初めて聞く肉声に名前が乗って、音は優しく私の鼓膜を撫でる。影山飛雄さん。美羽さんの弟。国を代表するバレーボール選手。
やっぱり背が高いんだなとか、目が美羽さんと似てるなとか、思う事はいろいろあったけれど、まずはここまで来てくれた事へのお礼を言わなければと慌てて頭を下げた。
「そうです。空港まで来てくれてありがとうございます」
「姉から散々言われたんで」
「あはは……。美羽さんには本当に良くしてもらってて」
写真では何度も見た。美羽さんからたくさん話を聞いてきたし、ネットニュースで記事を読んだことも。日本を発つ前に挨拶の連絡もしたのに、本人を目にしたのはこれが初めてなんてやっぱりどこか奇妙で、面白い。
「荷物持ちますか?」
「え?」
「重そうなんで」
夜露のような眼球に私が映る。スラリとした長い脚。しゃんと伸びた背筋。切れ長の二重。薄い唇は真っ直ぐに結ばれて、一度も染めたことがないだろう黒髪は艶めいている。
仕事柄、背の高い人や整った容姿の人と接することが多いけれど、不思議と飛雄くんはこれまで出会ったどの人よりも興味を引かれた。
この人をモデルに写真を撮れたらきっと楽しんだろうな。どうやったらその魅力を伝える事が出来るだろうって考えながらシャッターを切ることが出来たら――。
「名字さん?」
「……あっ、ええっと、大丈夫です。自分で持てます! ありがとうございます」
名前を呼ばれて我に返る。キャリケースの持ち手をぐっと強く握りながら過ぎった考えを打ち消す。
初対面の相手にこんなこと考えるなんてさすがに図々しい。
「そう言えば、美羽さんから預かったお土産があるので後で渡しますね」
「あざっす」
「いつも美羽さんから飛雄くんの事聞いていたので……あ、いや、うーん、影山さん……影山選手? ごめんなさい、美羽さんが呼び捨てしているのでつい私も飛雄くんって呼んでて……」
「別になんでもいいです。敬語じゃなくてもいいんで」
多分、呼ばれる名前にも言葉遣いにもさほど興味がないのだろう。美羽さんが前に「飛雄はバレーにしか興味ないからね」と言っていたことを思い出す。淡々とした声色に、大げさでもなんでもなく本当にそうなんだと思った。
「じゃあ、えっと、飛雄くんで」
「このまま駅に向かっても大丈夫っすか」
「はい、大丈夫です」
列車の絵が描かれた案内が所々にあるのを確認しながら、空港の駅へ向かって足を進めた飛雄くんに置いていかれないよう慌ててついてゆく。
「テルミニ駅までは乗り換えないんで」
「わかりました」
ローマ中心部の駅、テルミニ。事前に調べたSNSでは美味しい食べ物のお店の紹介と共に治安の悪さを警告する動画もたくさんあったから少し緊張する。
タクシーや乗り合いバスの声掛けを無視して進む飛雄くんの横顔を見上げた。案内板には、駅は地下にあると書いてあるけれど飛雄くんは一向に地階へ行く気配がない。
「あの、空港の駅って地下……ですよね?」
「え」
「え?」
「そうなんすか」
「案内板には下って書いてますね。多分このまま真っ直ぐ進んだらバス乗り場に着いてしまうかな、と」
眉をひそめ、飛雄くんは「……すいません」と控えめな声で呟いた。
「いえ、全然! 空港って広いし、たくさんの言語が案内板に書かれているから逆に分かりづらいですよね」
「名字さんは慣れてるんすね」
「事前にちょっと予習してきたので」
飛雄くんって地図を見るのが得意じゃないのかな。道を間違えやすかったり。ちょっと意外だ。でもさっきまで隙がない完璧な雰囲気だったから、人間味を感じられてなんか、良い。なんなら少し可愛いとすら思う。
結局、私が誘導する形で空港の駅へと辿り着き、チケットの買い方を飛雄くんから教えてもらい、無事にテルミニ行きの電車へ乗り込む事が出来た。
きっと私1人だったらもっと手間取っていただろうから飛雄くんがここにいてくれて良かった。美羽さんにも改めてお礼を言わないと。
「30分くらいです」
「え?」
「テルミニまでの時間です」
電車が動き出すと、向かい合わせに座った席で飛雄くんが言う。
「わかりました」
対面で目を合わせながら会話をするのはなんだか緊張するから、その視線から逃れるように窓へと顔を向けた。
初めて見るイタリアの風景。飛雄くんが暮らしている街で、これから私が仕事をする街。私の新しい挑戦はまだ始まったばかり。
(22.01.01)