07

 それからの日々は目まぐるしく過ぎていった。
 イタリアに来てから3週間。生活の基盤も整い、ここでの日常を確立しつつある。イタリア語の勉強はそれほど進んでないものの、ほぼローマ字読みということもあって「読む」だけならある程度のレベルになったと思う。外出すれば新しい発見があるし、日本とは違うカルチャーや常識にたくさんの刺激をもらっている。
 反面、飛雄くんとはジェラートを食べて以来、1度も会っていない。
 空港まで迎えに来てくれた事へのお礼をしたいと思いながらも仕事や身の回りの事で忙しく今日に至ってしまった。仕事の勝手もわかるようになり、少し心に余裕が生まれた今ならとスマホを握った。

『お久しぶりです。飛雄くんの空いている日があれば、空港まで迎えに来てくれた事へのお礼をしたいと思ったんですけど、ご都合いかがですか?』
 
 2人きりでの食事は困らせてしまうだろうか。でも、社会人としてこのまま何事もなく過ごすのはどうかと思うし。私たちはビジネスパートナーでも友人でもない。多分、顔見知り。良くて知り合い。それこそ美羽さんがいなかったら絶対に知り合わなかった相手。
 この誘いに下心は一切ないけれど、相手は異性の有名人だということを考慮すると何が正解なのか正直わからなくなってしまう。お風呂上がりにドライヤーで髪を乾かしながら、そんな風に頭の中は忙しなく動いている。
 返事はまだこない。スポーツ選手だしもしかするともう就寝しているかもしれない。遅い時間じゃないけれど飛雄くんはバレーのために規則正しい生活を送っていそうだし。きっと返事は明日かなと考え直した折、スマホの画面にメッセージが表示された。
 
『来週の水曜日は14時に練習が終わるんでそれ以降だったら空いてます。名字さんの都合が悪いなら明日練習の時に予定確認してみます』

 文字が目に入った瞬間、飛雄くんの声が頭の中で再生される。低すぎず高すぎず、心地よい音程で。
 都合、大丈夫そうで良かった。練習が終わった後に来てもらうのはちょっと申し訳ないけれど、休みの日にわざわざ会うという方が悪い気がするし。水曜日はリモートワークで、今抱えているデータを処理して提出すれば良いだけだから丁度良い。今からデータの処理を進めれば水曜日の夕方までには仕事を終わらせることが出来るはず。

『水曜日、大丈夫です。時間つくってくれてありがとうございます』
『待ち合わせ場所、テルミニ駅で良いですか。練習終わるのが午後2時なので4時には着けます』

 お店は決まっていないけれど、テルミニ駅ならメトロのAラインとBラインが通っているからどこへ行くにも便利なはず。

『了解です。行きたいお店とか食べたい物とかありますか?』
『なんでも食えます』
『じゃあ、お店調べておきます。アレルギーとか嫌いな食べ物あったら教えてください』
『ないんで、名字さんが食べたいもので大丈夫です』
『わかりました』

 事務的なやりとりだけど本当に嫌だったら断ると思うし、とりあえず約束を取り付けられただけでも上出来かと肩の力を下す。
 多分もう飛雄くんから返信はこないと思うし『詳細はまた連絡します』と打って今日は終わらせれば良いかと入力しようとすると、短いメッセージが届いた。

『あの』

 手を止め、続きを待つ。

『店、俺が調べておいた方が良いですか』

 一応お礼だし、私が予約するべきだろう。美羽さんに飛雄くんの好みを聞いて、同僚におすすめのお店をピックアップしてもらうつもりだったし。下心があるかないかよりもセンスがないと思われるのは嫌だから。

『ありがとうございます。でも今回はお礼なので私が選びます!』

 でも、本当は気乗りしてないのかなぁと思っていたから飛雄くんからそんな風に言ってもらえて少し安心した。

『わかりました。じゃあ、任せます』

 妙な使命感がわいて、楽しみだなって思った。素直に、純粋に、それだけを。
 大好きな美羽さんの家族だからだろうか。ずっと美羽さんから飛雄くんの話を聞いていたからだろうか。飛雄くんを被写体にしたあの写真が自分でも満足いくものだったからだろうか。触れたいと一瞬でも思ったからだろうか。
 好きなものを生業にして生きている。私達の共通点はこれくらい。恋愛にも、友情にも満たない関係性。多分、顔見知り。良くて知り合い、そんな人に会うことが楽しみだと思う理由はどこにあるのだろう。
 
『おやすみなさい』

 ほんの少し迷って、そう送った。その7文字に心を乗せた。今の私が乗せられるだけの想いを。

『おやすみなさい』

 返事はすぐに届いた。全く同じ7文字の言葉は、私達の夜を確かに繋ぐのだった。

(22.03.26)