Day4

 大人になってタイミングの重要性がわかった気がする。結婚はタイミング、なんて言うけれどその言葉の意味も今はなんとなく理解できる。それは今まさに、そうだった。結婚なんて大きなことではないけれど、人生とは少しのタイミングだ。少しのタイミングで、良くも悪くも流れは変わっていく。
 だからこれも私のタイミングが悪かったのだ。徹がお風呂に入ってることも、私がそこに視線を向けたことも、メッセージを送ってきた子も、全部タイミングが悪かったのだ。でもだって、と言い訳が許されるのなら言いたい。まさか、好きです。なんてメッセージが徹のスマホに表示されるなんて思わなかったんだから。女の子の名前でそんな言葉、示されるなんて思っていなかったんだから。だからこれは不可抗力。タイミングが悪かっただけの、不可抗力なのだ。
 私は視線を徹のスマホから背けるようにテレビを見ることにした。チカチカと点滅している光が視界のはしっこで輝いているけど、気にしない。気に、しない。⋯⋯スマホ、反対に置かせてもらおうかなと思い直し徹のそれに手を伸ばそうとしたときだった。ちょうどそのタイミングで徹がお風呂から上がって部屋に戻ってきた。

「⋯⋯おかえりなさい」
「⋯⋯ただいま。なにその変なポーズ」
「え?あ、いやリモコンでも取ろうかな〜なんて⋯⋯」
「あ、そ」

 スマホに伸ばしかけた手を慌ててリモコンに持っていって意味もなくテレビの音量を上げ下げした。別にスマホを見ていたわけでも見ようとしていたわけでも、なにかやましいことをしようとしていたわけでもないのに何だろう、このモヤモヤは。
 徹はテーブルにあったスマホを手にとって何やらフリック入力をしている手付きだ。私は怪しまれないように横目でその光景を見る。いや、なに気になっちゃってんの。別に別れたんだし、そんな元彼の今後の恋愛なんて気にしてるなんて、いや、そんな。違うぞ、断じて違うぞ、これたただのミーハーな乙女心である、はずだ。⋯⋯そうでなくては困る。

「ちょっと何さっきから百面相してんの。顔がとっても忙しそうだけど」
「え!」
「一人じゃにらめっこにはならないよ?」
「別ににらめっこしてないし!」

 呆れたような徹の顔に、怒りながら睨んでやる。怖い怖いと言いながら楽しそうに笑う徹の手にあるスマホに目が行かぬようにしても意識が持っていかれてしまう。悔しい。なんて返事をしたのかな。そもそも何が好きなんです、なんだろうか。やっぱりあれだろうか。徹自身のことが好きですってやつだろうか。昔からモテてる奴だったし、否定は出来ない。それどころか濃厚。

「あのさ」
「んー?」
「⋯⋯いや、あのさ」
「だからなに?」
「なんでもない⋯⋯」
「え、大丈夫?なんかあったの?名前がそうやって唇尖らせてるときは大体なんかあったときだけど」

 指摘された唇を慌ててクッションで隠して「別に」と言いはなった。勝手知ったると言えばいいのだろうか。付き合いが長いと隠し事をするのも簡単ではないらしい。

「なんでもいいけど、悩んでんならさっさと話したほうが楽だからね」

 その原因が徹ではなかったらすぐに言ってたよ!と喉まで上がってきた言葉を飲み干した。その優しさがまた妙に腹を抉るというか、疚しさを掻き立てるというか。いや、待て。悩んでなんかないぞ。ただちょっと気になっただけで別に、そんな。元彼の恋愛動向が気になるくらい普通、だ。だからほら、ラフな感じでさらっと聞くくらい、良い⋯⋯よね?

「⋯⋯それ、誰とやりとりしてんの?」
「え、いきなり何? 誰って大学の時の後輩の女の子だけど」
「あ、ふうん。そうなんだ。へぇ」
「⋯⋯気になっちゃった?」
「別に。まさか。楽しそうにやりとりしてて徹はモテモテで羨ましいなーと思っただけです。私なんて会社の男の子から業務連絡以外もらえないし世の中不平等だなーって」
 
 抱き締めていたクッションをさらに強く抱き締め、少し誤魔化すようにそう言うと、徹はふっとはにかむように笑った。なんだ、その笑い方は。おいおい、笑ってんじゃねぇよ! 死活問題だよ! ⋯⋯いや、というか、否定はしないのか。楽しそうに連絡取り合ってるってところ。それは少しだけ複雑だ。

「なにその子供みたいな悩み」
「そりゃあ、結婚適齢期も迫ってますから」
「ふうん」

 まあそりゃあ別れた彼女のことなんて興味なくて当然ですよね。すらすらと流れる徹の指はその子とまだ連絡を取り合ってるんだろうか。けどまあ、そんなこと私には関係ない、し。そう思おうとするけど、すればする分だけ無性に。

「あーもう、ムカつく!」
「いきなり何!?」

 こんな風に気にしちゃう自分も。そんな態度の徹も。
 ぎょっとした顔の徹を横目に、私は自分のスマホで岩泉に連絡をとった。よしもうこうなったら岩泉に愚痴ろう。これ以上ヒステリックではいたくないし。ちゃんと私らしく接していたいし。

 避難4日目。ただ少し、自分が思っていたよりもこの人の側が相変わらず心地よくて、その距離にまだ戸惑いを隠せないでいた。

(15.09.12)