Day6

「岩ちゃんと飲みに行ってたんだって!?」

 深夜を回って、うい〜と酔っぱらいよろしく帰ってきたら、出迎えてくれた徹はおかえりの前にそう言った。その様子が余りにも必死だったから、私は思わず後退して「う、うん」と言うのが精一杯だった。

「なんで!」
「な、なんで?」
「なんで俺も誘ってくれなかったのさ!」
「たまには一人の夜を過ごしたいかな〜と思って」
「なんで一人で帰ってきちゃうのさ! 危ないでしょ!!言ってくれたら駅まで迎えに行ったのに!!!」
「あ、岩泉がタクシー代くれたから。いいって言うのに律儀だよね」
「なにそれ岩ちゃんかっこいい! 男前! 悔しい!」

 はいはい、と適当にあしらって私は徹の横を通りすぎた。この人が私をずっと好き?いや、違う。徹は優しいだけだ。女の子に。徹を好いてる人に。昔付き合ってた彼女に。

「とりあえずお風呂入るから」

 私は徹にそう伝え、お風呂場に向かった。
 徹とは、3年近く付き合った。高校のときからずっと好きで、だけどその時あっちには彼女がいたし、大学になっていざ付き合うとなったときは本当に夢のようだと思った。覚めない夢でもみているんじゃないかってくらいに私は浮き足立っていた。見る世界が全部輝いていたし、彼がいれば私はどこまでも強くなれるなんて思っていた。そして彼もまたそうである、と。
 なのに、別れるときは驚くほどあっさりだった。こぼれ落ちた砂が風にのって消えていくように、すっと私たちの関係は終わった。こんなものなのか。私たちの積み上げてきた3年という時間は。自分から別れを切り出したはずなのに、捨てられた気分だった。
 それから1年の時が流れ、今に至る。もう、全て吹っ切れていたと思ったのに。微かな恋心さえ風に流したと思っていたのに。

「待って!」
「なに?」
「岩ちゃんと何もないよね!?」
「何もって? いつも通りだけど。私と岩泉の関係性なんて徹が一番よく知ってんじゃん」
「実はいい感じとか、今日俺を呼ばなかったのは二人だけで会いたかったからとか、そんなのないんだよね?」
「⋯⋯ないけど、それって徹に関係ある?」

 本当はもっと優しい伝え方があるとわかっていたけど、私の口から出てきたのは刺々しい攻撃的な声だった。弱虫が自分を大きく見せようと虚勢をはるそれだ。お酒を飲んだせいか、岩泉に愚痴を吐き出したせいか、妙にムカムカする。こんなのは良くないって頭ではわかっているのに。

「怒ってる?」
「なんで?」
「刺々しい感じがしたから。⋯⋯しつこく聞いちゃったし、俺が悪かったら謝るけど」

 別に、劣等感を感じる以外にだって徹の嫌なところはあった。私が怒ったらとりあえず謝ってくるところとか、私に心配かけさせてくれないところとか、女の子に無駄に優しいところだとか。そうやって徹の嫌なところばっかりを集めていっそのこと嫌いになれたら楽だったんだろう。

「⋯⋯別に、徹は悪くない」

 そう。徹は全く、悪くないのだ。そう思いながら、私は盗み見るように徹の顔を見た。酷く傷ついたような、苦しそうな、悲しそうな辛そうな、うまく言えないけれどそんな感情が混ざった顔をしていた。徹のその表情を見て、私ははっとする。そして内側から妙な決意のようなものが生まれてきた。
 ここを、出よう。
 やっぱり元カレとはいえこんなことをお願いするのは待ちがっていたんだ。元カレだからこそ、徹だからこそお願いしてはいけなかった。ホテルだって、ウィークリーマンションだって、なんだって策はあったはずなのに、これは私の甘い心が招いた結果だ。心のどこかで、また昔のように戻れたら、なんてことを考えていたのだ。

「本当にごめん。俺、名前にそんな顔はさせたくないんだって」

 徹の言葉にいったいどんな顔だろうと疑問が浮かんだ。酷い顔をしているのだろうか。私はなにも言えなかった。

「⋯⋯徹は優しいよね」
「え? う、うん? そうなの?」
「徹といたら私は、嫌な女になっちゃう」

 なにそれ、と徹はそれだけ呟いた。本当になにそれ、だ。自分でもそう思う。徹が心配してくれてるっていうのに私は言いたいことを吐き出しただけ。可愛くない。好かれるわけもない。嫌われてしまうかもしれない。

「ごめん。今日の私、だめだ」

 そう伝えて足を進める。昔喧嘩したときもこんなんだったな。結局、私たちは何一つ成長出来ていなかったのかな。

「ねえ、名前本当に待って」

 徹が私の腕をつかんで、足が止まる。

「お酒入って感傷的になっちゃった?とりあえず俺のこと責めても大丈夫だから、落ち着きなよ。俺は自分のこと全然優しいとか思わないけど、名前には優しくしたいなって思ってるよ。岩ちゃんとのことに口を出しすぎたなら謝るから。だからそんな顔しないで笑ってほしい。徹はバカだなって言ってくれていいから」
「⋯⋯徹は誰にでも優しい。女の子なら誰でも」
「だとしても名前には輪をかけて優しくしてるつもりだけど」
「それは私が元カノだから? だって徹、この前告白されてたじゃん」
「⋯⋯ん?」
「スマホに表示された通知がたまたま目に入って⋯⋯。好きです、って。だから、その子と付き合うんでしょ?そうなったら私、邪魔だし。優しくしなくていいから、ほんとに」

 ああ、もう私は何を言っているんだろう。考えるより前に口が動いてしまっている。これじゃあまるで嫉妬してますと言っているようなものじゃないか。

「えっと、俺、告白なんてされてないけど」
「うそつき」
「ほんとだって!あれはBlu-ray貸してって言われて、こんなの好き? って会話の返事だから! 本当だから! 見ていいから!! ほら! むしろ見て! 俺が好きなのは名前だけなの!」
「⋯⋯見せなくてもいいけどさ」

 ぶわわ、っと徹がまるで言い訳をするようにマシンガンを飛ばされる。その様子が少し可笑しくて、ついでに早とちりしていた自分もなんだか可笑しくて、私は先程までの虚しさや自分への苛立ちが少し萎んだのを感じた。それは徹も同じだったようで、冷静な私の言葉に彼もまた冷静を取り戻す。なんだか全然、会話にすらなってなかったな。それもある意味、私と徹ならでは、という感じなんだけれど。⋯⋯いや、待って、それより、ん?

「え、今なんて?」
「え?俺は無実だよって」
「いや、割りと最後のほうに爆弾ぶちこまなかった?」
「え?」
「ん?」
「名前が好きだよって?」
「それ」
「名前のことまだ好きじゃなかったらいくら元カノでも一緒に暮らすとか、なくない?」
「そうなの?」
「そうだね」

 避難6日目。ここへきて、まさかの事態へ突入した。

(15.09.26)