09

 誰かを好きだと認めるのは、怖い。だって、認めてしまったらもう戻れないから。好きと言う感情が体の中に入り込んで、抜け出てくれないから。苦しいことも、悲しいことも、辛いことも全て、受け止めなくてはいけなくなるから。
 名前は混み合う車内で揺られながら、そっと赤葦を見上げ己の感情と向き合っていた。いつもと違うのは自分がこの気持ちを認めてしまったこと。そして朝の電車ではなく、帰りの電車で偶然一緒になったこと。

「名字さんはいつもこのくらいの時間?」
「部活ある日は、うん。だいたいこのくらいかな。赤葦くんは?」
「いつもはもっと遅いんだけど今日はミーティングだけで、体育館も使えないから自主練習もなし」

 全国区だもんね。そう納得しながら、名前は自分とは全く異なる赤葦の人生にどこか寂しさを感じた。きっと自分がこの車両に乗らなくなったら赤葦は自分のことなんてすぐに忘れてしまうのだろう、と。

「まさか会うとは思ってなかったからびっくりしたよ」
「俺も驚いた」
「えっと……梟谷はテスト期間中?」
「明後日からね」
「そっか。お互い踏ん張り時ってやつだね。でも赤葦くん、頭良さそうだしサラッとなんでもこなしちゃいそう」

 電車の揺れは心をも揺らすのだろうか。サラリーマンの肩越しに見える外の景色は茜色に染まっている。都心部から徐々に離れて行くこの電車だけが、名前と赤葦が会える場所だった。けれど、ただそれだけ。それだけのことなのだ。

「必死だよ」
「え?」
「勉強も、バレーも、他のことも、これでも結構必死にやってるつもり。周りからは名字さんと同じように思われてるみたいだけど」

 西日が赤葦の顔を照らして、つい見とれてしまう。朱色に落ちる光がその輪郭を形作る。赤葦にとって自分はどのような存在なのだろう。そんな疑問が降って湧いたその時だった。電車が大きく揺れる。ぐらりと傾いた名前体を支えてくれたのは赤葦の逞しい腕だった。背中に回されたそれに思わず心が跳ねる。

「大丈夫だった?」
「あ、ありがとう……」
「これくらいは、別に」

 恋とは厄介だ。ただの友達ならそれだけで済んだのに。心が揺らめいて、戸惑って、そして高鳴って。落ち着かなくなる。どうしてこの人だったのだろう。どうして同じ電車だったのだろう。どうしていとこの知り合いだったのだろう。考えればきりがなかった。どうして好きになってしまったのだろう、と。

「あのさ」

 声をかけたのは赤葦のほうだった。

「この後、時間ある?」
「うん。あるけど、どうしたの?」
「どこかでゆっくり話ができたらいいなって思って」
「えっ」

 赤葦の誘いに驚いて、その顔を見上げる。想像していたよりも近い距離に、名前の胸は一層高鳴った。

「この前、名字さんが言ってくれたこと、俺も同じように思うから。知りたいってやつ」

 期待する。自惚れてしまう。赤葦くんがたとえ私を好きと思っていなくても、可能性があるんじゃないかって錯覚してしまう。名前は戸惑う想いを隠して、平然を装うように「うん」と答えた。


△  ▼  △


 駅以外の公共の場で顔を合わせて会話をするのは、試合会場で会った時以来だ。しかしあの時は自分が一方的に彼女のことを知っていただけだからノーカウントだろう。と赤葦は思いながら、名前と向かい合っていた。
 駅近くのビルに入っているカフェ。初めて入ったけれど、親しみやすい雰囲気のおかげか、比較的年齢層も幅広く、学校帰りの自分達が浮いている感覚もしなかった。

「本当はさ、勢いで誘ったところもあるんだけど」
「そうなの?」
「うん。でも、誘って良かったかな」

 赤葦の言葉の意図を名前は分からない。けれど、そこに期待はする。高まる感情を前に、ただ頷くことが、名前にできる精一杯だった。

「でも本当にまさか帰りの電車で会えるとは思わなかったな」
「俺も顔見た瞬間、自分の目を疑った」
「ははは。本当は一本早いのに乗るつもりだったんだけど、改札で定期見つからなくて。で、急いでホーム行ってももう電車出ちゃったし。……今回は赤葦くんのほうが駆け込んできたね」
「そうそう。あの時、名字さんの気持ちわかったかもって思ったら、本人がいたからさ。本当に驚いた」

 楽しげに言う赤葦を見つめながら名前は思った。運命と言うのは大げさだけれど、もしかしたら、縁のようなものがあるのかもしれないな、と。その「縁」が私を彼のいる車両に駆け込ませてくれるのではないか、と。

(16.04.18)