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 いつから、それを当たり前だと思うようになったのだろう。赤葦を目の前にして、名前は不意に出会った日の事を思い出した。恋の予感なんてなかったはずなのに、いつから私はこの人を好きだと思うようになったのだろう。それとも、私は自分でも気がつかないうちに恋に落ちていたのだろうか。
 夜も深まってしまったが、出来れば人気のないところで話がしたいと言った名前に、赤葦は少し考えて「……じゃあ、俺が名字さんを家まで送るよ」と言った。

「え? い、家まで?」
「夜遅いし、女の子が一人で帰るの危ないから」
「平気だよ。いつも一人だし」
「うん。でも今日は俺がいるから送らせて。歩きながらのほうが話もしやすいだろうし」

 赤葦の断りを受け入れない態勢に名前は負けた。考えていたのと違う。いや、どちらかと言えばこれは世間一般ではラッキーなのかもしれないけれど、今の私には心臓を槍でつつかれるような気分だ。いつ想いを貯めたハートが破れて爆発してもおかしくはない。
 いつもは一人で降りる駅を二人で降りる。名前自身でも不思議な気分なのだから、見慣れないこの駅で一緒に降りてくれた赤葦はきっともっと不思議な気分なんだろうと少し、他人事のように考えた。

「この駅で降りたの初めてかもしれない」
「特に何かあるって場所じゃないもんね。ベッドタウンって感じだし」

 思ったよりも普通に会話できることに驚いた。電車の中では人がいるのもあって会話はほとんどしなかったけれど、もう引くに引けない状況になると案外、冷静になれるのかもしれない。

「家、近いの?」
「歩いて15分か20分くらいかな」

 ただ、いつ本題を切り出して良いのかは分からなかった。それでも身体中の勇気をかき集める思いで、名前は口を開いた。
 通りすぎて行く車のエンジン音も、どこかの家から漏れてくるピアノの音も、なんだか壁を一枚隔てた世界の出来事のような気がする。自分が世界から浮いたようなそんな気分。

「あのね……その。えっと……ごめん、なさい」
「え?」
「光太郎くんから連絡きて。心配してくれてて。私、赤葦くんに可愛くない態度とってたなって分かってて。そもそもこうやって謝るのもなんかもうおこがましいかなって思うくらいなんだけど、でも今日の朝は意図的に電車ずらしたし、だから、ごめんなさい」
「あ……いや、うん……。そっか、意図的、か。……俺もごめん」
「え、謝らないで。赤葦くん悪くないし」
「けど何かしらの理由があるだろうし、それってきっと多少なり俺が理由だろうしさ。ただ、ごめん。自覚ないから教えてくれると助かる」

 赤葦の心の広さに名前に罪悪感が再び襲う。私はどうしてこんな素敵な人にあんな風に心の狭い考え方をしてしまったのだろう。

「や、本当に赤葦くんに非は全くないの! 私が考えすぎたって言うか何て言うか……その言い訳、を、したくて呼び出したんだけど……聞いてくれる?」

 赤葦は名前を見て少し口角を上げた。それが彼の返事だった。きっと上手くは伝えられない。それでもきっと、彼は耳を傾けてくれるだろう。名前はおもむろに言葉を紡いだ。

「……図々しくも、私は赤葦くんと凄い良い感じ、とか思っちゃってました」
「えっ」
「勝手にこう、知った気になっていたと言うか。でもよく考えたら家族構成も、得意な教科も、まだまだなんにも知らないなって分かって。なのに赤葦くんと仲良いとか色々思っていた自分が図々しい感じがして嫌で、恥ずかしくもあって、どんな顔して会ったら良いのかわからなくて。でも考えたらそれって凄い嫌なやつだし、でも明日から電車では会えないし、だからちゃんと赤葦くんに全部話すぞ! って授業終わるくらいまでは気合い入ってたんだけど、今やっぱり物凄く緊張しちゃってる……」

 たどたどしくも懸命に吐き出される名前の言葉に、赤葦は混み上がる感情を覚えた。

「……名字さんはやっぱり、木兎さんに少し似てる気がする」
「え、え?」
「俺はきっと、そんな風に真っ直ぐに伝えられないから嬉しいよ。そう言ってもらえること」
「いや、全然……感情のままに喋っちゃったし」

 いつから、それを当たり前だと思うようになったのだろう。ただ、朝に一目見られればよかったはずなのに。

「何でも答えるよ」
「え?」
「名字さんが知りたいって思う俺のこと」

 街灯の灯りが二人を照らす。夜のとばりは降りてもまだ籠るような暑さは残るというのに、どこかスッキリとした気分だった。

「だから俺にも教えてほしい。名字さんのこと。朝の通学時間以外でもっと、知っていきたいんだけど、どうかな?」

 今度は名前の感情が揺さぶられる。そうだ、赤葦くんはこう言う人だ。優しくて、思いやりがあって、人の話をちゃんと聞いてくれて。
 締め付ける胸の痛みは、確かに恋のそれだった。

(16.06.18)