05

 赤葦と名前の距離はゆっくりとゆっくりと、しかし確実に縮まっていた。赤葦は名前への想いを日に日に募らせていったし、彼女のほうまた同じだった。
 最初こそ同じ車両で会えるだけで良かったと思っていたことが懐かしい。今となっては話をするのが当たり前と感じるようになっているのが時折、赤葦自身を驚かせる。
 そんな日々が続き、夏の暑さも増し、夏服にも慣れ、学生にとって山場の一つ、夏休み前の期末試験が始まろうとしていた時期のことである。
 いつもと変わらぬ電車内。今日もまた一日が始まり、次の駅で彼女がやってくると考えていた赤葦だったが、その日電車が次の駅に着いても車内に名前が乗ってくることはなかった。
 少なくとも知り合ってからはこんなことはなかったと心配にはなったかま、約束をしているわけでもないのだからそんな日があったっておかしくはない。と赤葦は己を納得させようとした。
 それでもついその姿をどこかに探してしまう自分に戸惑いながら、放課後の部活が終わり赤葦は迷った後、木兎に声をかけた。

「……あの、木兎さん」
「どうしたー?」
「その……名字さん、なんですけど」
「名前?」

 大きな木兎の瞳に赤葦は言いあぐねる。なんと伝えれば良いのだろうか。彼女の姿が見えなかったから心配してる、とでも言えばいいのだろうか。ストーカーのようで気持ち悪くはないだろうか。そもそも、自分たちはそんなところまで詮索できるほどの間柄なのだろうか。
 声をかけられたのにもかかわらず、それ以上何も言わない赤葦に木兎は首を傾げながら言う。

「名前がどうかしたのか?」

 赤葦は気まずそうに伝えた。

「……いつも電車で会うんですけど、今日は姿が見えなかったから、何かあったのか気になって。木兎さん、いとこですし」
「さあ。特に何も聞いてないな。つーか、よっぽどの事でもない限り朝から連絡なんてとらないからな」

 まあ、いとこだし確かにそうだよな。赤葦は思う。それでも自分と彼女を繋ぐものは今、この人しかいない。こんな時連絡先を知っていればと、それを聞く勇気がない自分を悔やんだ。

「そうですよね。すみません。ありがとうございます」

 毎朝電車で会えるのに。会うだけなのに。今更、連絡先をどんな風に聞いたら良いのかわからない。所詮、自分達はたまたま通学電車が同じなだけなのだから。友人かどうかすら危ういのに。
 じわじわと這い寄るように胸をくすぶる感情の正体に、赤葦はまだ戸惑うことしか出来ずにいた。


△  ▼  △


 赤葦の心配をよそに、翌日名前はいつもと変わらぬ様子で車内に駆け込んだ。「おはよう」と何事もなく歩み寄る彼女を見つめ、ほっとすると同時に少しの虚無感に襲われた。こんなものか。いや結局、こんなものなのだ。自分と彼女は。

「おはよう、名字さん」

 赤葦は普段通りを装った。特別だとは思っていない。だけど、少しだけ違うと思っていた。クラスの女子や、部活のマネージャーや、そういう自分の身近にいる女の子はほんの少し違うと思っていたのだ。多分、それは、自分だけだけど。それを目の前に突きつけられたような気がした。

「昨日、朝具合が悪くてね、遅刻して学校行ったんだよね」
「え、大丈夫?」
「あ、うん。それは全然大丈夫なんだけどね。ほら、毎朝、赤葦くんと電車で会うでしょ? だから、あ、今日は遅刻するから電車乗れないって連絡しなくちゃ〜とか考えたんだけどね、よく考えたら別に約束してるわけでもないのにね。なんかいつのまにか当たり前になってたのが自分でも面白くて。だってあの時までお互い全然知らなかったのに」

 楽しそうに語る名前を赤葦は見つめる。その言葉の1つ1つが柔らかく胸に届く。それはくすぐったさに似ていた。普段の生活ではくすぐられない部分を彼女は、こうやってたまに、くすぐってくる。それが赤葦にとって堪らなく、むず痒かった。

「それで、もしよかったら赤葦くんの連絡先知りたいんだけど、どうかな?」
「え……」
「あ、嫌だったらいいよ? 知っていて困ることはないかな〜って思っただけだから」
「嫌じゃないよ。むしろ俺も――」

 赤葦の鼓動は高まっていた。本人も気づかないうちに。

「俺も名字さんの連絡先、知りたいと思ってたから」

 たとえそれが自分だけの『他の人とは少しだけ違う』だったとしても、大切にしていきたいと赤葦は思っていた。

(16.03.25)