
日曜日の午前五時。
ポアロ出勤前に、ハロの散歩がてらトレーニングコースを走っていたら、珍しく先客がいた。
「アンッ!」
ハロが猛ダッシュで先客であるその女性に飛びつき、女性は小さな悲鳴を上げて尻餅をついたので、僕は慌てて女性の元に駆け寄る。
「すみません、うちの犬が。大丈夫ですか?って…あれ?」
「あ、安室さん?」
先客はあのジキル薬局のみょうじ先生で、ハロは彼女の顔を舐めながらブンブン尻尾を振っている。ハロがこんなに懐くなんて珍しいなと僕は目を丸くした。
「ふふ、くすぐったい!このワンちゃん、安室さんが飼ってるんですか?」
「!…はい。名前はハロです」
初めて見たみょうじ先生の笑顔に、どきりと心臓が不規則な音を立てた。
「あなたハロちゃんっていうの?」
「アンアンッ!」
ハロはこのみょうじ先生が相当気に入ったようで、彼女から離れようとしない。
「日本式表記のハとロの音に反応したので、ハロになったんですよ」
「ふぅん…ドーレーミーファーソーラーシードー♪」
「アン!………アン!!!」
彼女は音階をひとつも外さず綺麗に歌い上げ、ハロはドとシの音でしっかり反応した。
「ほんとだ!」
嬉しそうに笑う彼女はやっと身体を起こし、ハロを抱いて立ち上がる。
「怪我、しませんでしたか?」
パタパタとお尻の砂を叩くみょうじ先生に、僕は声を掛ける。僕もハロも、彼女を転かす名人のようだ。
「ええ、少しびっくりしただけですから」
「みょうじ先生もトレーニングされてるんですね」
UVカットのパーカーと、トレーニング用のレギンス、短パンを履いた彼女は、長い髪をポニーテールにしている。
身体に沿ったデザインのウェアは、彼女のスタイルの良さを際立たせていた。
「お休みの日、気が向いた時だけです。ほら、ずっと薬局にいると体が鈍るので」
「そうだったんですね…ほらハロ、こっちにおいで」
僕がハロをみょうじ先生の腕から取り上げようとすると、ハロは嫌だと言わんばかりに身体をくねらせて、僕の手から逃げようとした。
「こら!迷惑を掛けるなよ」
少しキツく叱ると、ピクッとハロの耳が動き、尻尾が垂れる。
「安室さん、いいんですよ…私ワンちゃん好きなので、こうやって抱っこさせてくれて嬉しいです」
みょうじ先生がハロをギューっと抱きしめると、ハロは嬉しそうに彼女の頬を舐めた。
「すみません…そういえば、なにか音楽をされていたんですか?」
「え?」
「先程、音階をひとつも外さず歌われていたので」
「昔、ピアノを少しだけ」
ハロを撫でる彼女に見惚れる。笑うとこんなに可愛らしいのか。
気づけば、僕は彼女の頬に触れていた。
「あ、あの…?」
彼女が目を丸くして僕を見上げた。少し頬が赤いのは、僕の自意識過剰ではないと思いたい。
「ハロの毛がついてました」
そう言い訳して彼女の頬から手を離す。
「みょうじ先生、もしよかったら今日ポアロに来ませんか?僕の特製サンドイッチをご馳走しますので」
美味しいコーヒーも付けると念押しし、僕は半ば強引に彼女に約束を取り付ける。
「ハロちゃん、またね」
「アン!」
「みょうじ先生、ではまた後ほど」
「はい」
みょうじ先生は僕の腕の中にいるハロの頭を一撫でし、走り出す。ポニーテールが、彼女の動きに合わせて大きく揺れた。
ハロはいつまでも名残惜しそうに彼女を見つめていた。