
『急用が入ったので、今日のデートの予定を延期させて頂けませんか』
そう彼からメールが来た。
時刻は深夜二時。
『大丈夫、また今度にしましょう』
返信を終え、充電器にスマホを戻したところで、インターホンが鳴る。
こんな夜中に訪ねて来そうな人間なんて、私は一人しか知らない。
「はいはいっと」
覗き穴から外を覗き、デートを断ってきたはずのスーツ姿の色黒金髪男を確認した私は、鍵を開けて彼を招き入れる。
「どうしたの?」
「ごめん」
彼はうちに入るなり私を抱きしめて言った。
服装と口調から、今は公安の仕事中で、あまり余裕がないことを悟る。
謝罪はデートを反故にした件だろうなとすぐに察しはついた。
「急いでるんでしょ?私は大丈夫って返信した筈よ」
にっこり笑って“だから早く行って”と続けようとしたがそれは叶わなかった。
彼は今にも世界が終わりそうな顔をしていた。
「零?」
「充電しに来たんだよ…なまえが足りなくて」
零は私の頬を撫でた。
おかしい。
違和感から、彼の顔や手を観察していると、彼の右手の中指と左手首が少し赤くなっているのを見つける。
「零…これ…」
「さっき、少しやり合ったから…大したことない」
誰と、かは言わなかったが、人と殴り合いをしたのであろうことだけは分かった。
「…………」
「なまえ」
誤魔化すように零が唇を重ねて来て、私の唇をしつこく吸い尽くす。
「ん、んん、れ…い!」
呼吸が乱れているのは私だけで、彼は息一つ乱さず艶っぽい目で私を見た。
「必ず…戻って来るから」
「違うの」
「何が?」
「お願い…怪我しないで…」
零は私を抱きしめて頸に舌を這わせた。
甘い疼きの中にチクリと痛みが走り、彼が跡を付けたのだとわかる。
「分かってる…この跡が消える前に、デートしよう」
デートの約束なんて今はどうでもいいのに、この約束のために必ず戻って来ると言わんばかりの彼の気迫に、私は押し負けた。
「うん…行ってらっしゃい、零」
私は新婚夫婦がするよう零のネクタイを直す。
彼は再度私の唇をしつこく貪ってから、行ってきますと部屋を出て行った。

零が出て行ってから、私は少し睡眠を取った。
先程、無理をして尋ねて来てくれたの零の様子がおかしかったのが、私の中でずっと引っかかっていた。
少し思案して、冷たいシャワーを浴びて頭を冷やしてから、青いAラインのワンピースに着替え部屋を出る。
昨晩の零の様子だと、ポアロの朝のシフトも休んでいる可能性が高いと私は踏んでいた。
時間は昼過ぎ。
遅めの昼食を取りに来たと言って彼のことを探っても誤魔化せそうだった。
「こんにちは」
「なまえさん!お昼から安室さんとデートだったんじゃ…」
「急用でドタキャンされちゃった。アイスコーヒーもらえますか?あと、ナポリタンも」
へらりと力なく笑うと、梓ちゃんは気遣わしげな顔で私を見た後、コーヒーの準備に取り掛かった。
「安室さん一体どうしたんでしょう…実は今朝突然ポアロもお休みの連絡が入って、折り返しても繋がらないんです」
「体調崩してないといいんだけどね…」
私はアイスコーヒーをブラックのまま一口飲んだ。何も入れていないのに無意味にストローでくるくる混ぜてしまうのは、昔からの悪い癖である。
透さんのとは少し違うが、梓ちゃんの入れてくれたコーヒーも私は好きだ。
「今日、安室さん楽しみにしてたのになぁ…」
梓ちゃんは、透さんがしっかりリサーチしていたことを教えてくれる。
「いいのよ、今日がダメでも…いつでも行けるんだから」
「なまえさんはもっと我儘言ってもいいと思います…」
ナポリタンを頬張りながら梓ちゃんと暫く話していると、歩美ちゃんと、彼女のお友達二人、保護者らしき男性が入店して来た。
「あーっ!なまえ先生だー!」
「なまえ先生もランチですか?」
「姉ちゃん、美味そうなもん食ってるな!」
「おや、みんな知り合いかの?」
口ひげを蓄えた男性が、私に会釈しながら子供達に尋ねた。
「あのね、薬剤師のお姉さんだよ!」
「みょうじなまえと申します」
「ワシは阿笠博士といいます…子供達がお世話になっているようで…」
阿笠さんは発明家で、発明品で生計を立てているらしい。
「今日はコナンくんと哀ちゃんはいないの?」
「僕達、今日は東都水族館に一緒に行ったんですけど、そこで会った記憶喪失の女性の体調が悪くなってしまって…コナンくんは毛利探偵と一緒に帰って、灰原さんは体調が悪いからって先に博士の家に帰っちゃいました」
いかにもしっかり者、といった感じの光彦くんが説明してくれる。
「そう…それは心配ね」
「おっ…噂をすればコナンくんじゃ…」
阿笠博士のスマホが鳴る。
彼はスピーカーにして通話を始めたが、盗み聞きの趣味はないので、私はナポリタンの残りを黙々と食べ始めた。
しかし私の気遣いも、コナンくんの切羽詰まった声に反応してしまった。
「博士{emj_ip_0792}ポアロにいるんだったな{emj_ip_0793}」
「あっ、ああ…」
「じゃ安室さんに代わってくれ{emj_ip_0792}」
「安室さんか?そういえば今日は見とらんのー…」
「安室さんなら今日は休みですよ…今朝、突然休ませて欲しいって…電話かかってきてそれっきり…何度か折り返したんですけど、繋がらないから心配で…聞けば、なまえさんとのデートもドタキャンしたっていうし理由も言ってないみたいですし…」
「…だそうじゃ。何もなければいいが…心配じゃのう…」
梓ちゃんの一言に一番反応したのはコナンくんだった。
「博士{emj_ip_0792}なまえ先生そこにいるのか?!」
「あ、あぁ…さっき歩美くんに紹介してもらったところじゃよ」
「私がどうかしましたか?」
「新…コナンくん、彼女に代わるか?」
「いや…大丈夫だ」
「何にもないそうじゃ、すまんの…名前を出してしまって」
「いえ、何もないならいいんです」
私は落ち着かないままナポリタンを平らげ、氷が溶けてすっかり少し水っぽくなったコーヒーを飲む。
「梓ちゃん。私、帰るわね」
「あ、はーい!安室さんのこと、何か分かったら教えてくださいね」
お会計をしようとしたが、デートのドタキャンに私より怒っている梓ちゃんが安室さんのお給料から天引きします!とぷんすかして聞かないので、私はそのまま店を出ることにした。