
観覧車のホイールが外れて動き出した時は、胃がキリキリと痛むほどだったが、大きいサッカーボールと、横から突っ込んできた重機がその動きを止めてくれたので、ホッと息をつく。
暫く大人しく座っていると、赤井さんが戻ってきて助手席のドアを開けてくれた。
「お嬢さん、待たせたな…」
私は車から出て赤井さんを見た瞬間、ギョッとした。
大きな怪我は見当たらないが、全身打撲や傷だらけだった。
「ちょっと、なんなのその怪我!」
私はハンカチを取り出し、背伸びして彼の顔を拭く。
一瞬目を見張った彼は、背伸びしなくても私の手が届くように屈んでくれた。
「大したことない…少し君の彼氏と殴り合いになったくらいだ」
「あぁもう!代わりに謝ります。ごめんなさい…痛くない?」
「あぁ」
透さんが赤井さんを恨んでいるのは知っていたが、まさかここまでとは思っていなかった。あの人は理不尽に人を殴るタイプではないと思っていたが、今私の目の前にいる赤井秀一に関しては何か変なスイッチがあるのかもしれない。
顔の血と汚れをあらかた拭き終えた頃、彼はもういい、と私の手首を掴んだ。
「こんな姿を見られたら、また安室君に殴られてしまう」
「でも…まだ血が止まってません…」
「ならこれを迷惑料としてもらっていく…それにしても細い手首だな…少し握ったら折れてしまいそうだ」
赤井さんは私の手からハンカチを抜き取り、ニヤリと笑った。なのに掴んだ手首を離してはくれないどころか、そこにチュッとキスを落とした。
「っ、こ…、これも迷惑料ですか?」
「ハハハハハハ!」
あまりに色気たっぷりで絡んでくるのでキャパオーバーになってしまった私に、赤井さんは一瞬きょとんとした後大笑い。
だから免疫ないんだからからかわないでってば!
「そうだな…そういうことにしておいてやろう…安室君の車なら、三ブロック先の角だ…早く行ってやれ」
「ありがとう、赤井さん…」
「おっと、彼も擦り傷だらけだが悪く思わんでくれよ…仕掛けてきたのは彼の方だからな…」
私は彼の言葉に頷いた後、お辞儀をして駆け出す。
赤井さんの言った通りの場所に、彼の車は停めてあった。
ボロボロ、という言葉がぴったりの彼は、車の前で落ち着かない様子で立っていた。
「透、さん…{emj_ip_0792}」
大きく息を吸ったつもりだったのに、走ったせいで息が切れていたのと、唇が震えたせいで上手く声が出せなかった。
消え入りそうな声でも、彼は気づいて振り向いてくれる。
「なまえ!」
いつもの柔和な“安室透”はどこへやら。力強い腕に引かれ、私は彼の腕の中に囚われた。
少し、焦げたような匂いが鼻腔を擽って、私は透さんの顔を見上げた。
「透さん、怪我してる…」
「大したことありません」
「見せて」
「イヤだ、君から離れたくない」
私の思い出の中のちょっと意地悪なゼロは、いつの間にこんなに甘い言葉を吐くようになったのか。
これでは心臓がもちそうにない。
「大丈夫、ここにいるから」
私はやっと透さんの胸を押し返し、顔を見上げる。それでも腰に手を回されたままだったが…まぁ怪我を見せてくれるだけでも一歩前進か。
彼の綺麗な顔は、擦り傷と血と煤でぐちゃぐちゃだった。
「もー…怪我、しないって言ったのに…」
私はもう一枚のハンカチを取り出し、傷口に触らないように、煤とこびり付いた血を拭き取る。
「君が赤井にノコノコついていかなければこんなことになりませんでした」
透さんの筈なのに、零が滲み出ている。可愛くって思わず、ふ、と笑みを零した。
「なんだよ…」
「煤が入るといけないわ…目、閉じて」
私は透さんが目を閉じた直後、不意打ちで、彼の唇に自分のそれを重ねた。
自分からこんな悪戯を仕掛けたのは初めてだったかもしれない。
彼はこの不意打ちに驚いたようで一瞬ピクリとしたが、離れようとした私の後頭部をしっかりホールドし、深く口付けてきた。
「んん…!」
相変わらずのしつこいキスは、私の脚に力が入らなくなるまで続いた。
「私だって心配したんだから…」
「すみません」
彼は、私の怒りは意に介さずといった感じで私の背を撫でた。
「零…」
私は彼の耳元で小さく彼の名前を呼ぶ。
「うん」
「おかえり」
彼は無事に帰ってきた。
もういいや、怒るのは止めにしよう。
私は彼の心音を聞きながら彼を抱きしめた。
「ただいま」
彼ニコリと笑って、私を抱き上げる。
「わ、ちょっと!」
なんで私が怪我人に抱き上げられなければならないのだ。
「デートを反故にしたお詫びに、今日は残りの時間を使ってあなたを徹底的に甘やかします」
「気にしてないったら」
彼は壊れ物を扱うように私を助手席に乗せてくれる。
「僕が、気にしてるんです」
彼は傷だらけの顔でにっこり笑うと、RX-7を発進させた。