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真夏のプールに沈む謎


金曜日の朝、私は喫茶ポアロに来ていた。

「あ!先生!」

職業柄、先生と言われることは多いがこの可愛らしい声は…と思って振り返ると妃先生の娘である蘭ちゃんの姿があった。私はポアロに入ろうとしていた足を止める。

「蘭ちゃんおはよう…部活?」

「はい!練習があって…あの、梓さんから聞いたんですけど…みょうじ先生って安室さんと付き合ってるんですか?」

蘭ちゃんはひそひそと私に話しかけてきた。彼女の目線の先には、カウンターでお客さんと談笑する透さんの姿がある。

「えぇ…最近ね。堅苦しいからいいわよ、下の名前で」

そう言って微笑むと、蘭ちゃんもはにかむように笑った。
梓さんが彼女に言ったということは透さんは知っているはずで、付き合っていることが知られることについては特に問題ないのだろうと判断したのであった。

「じゃあ、えと…なまえ先生」

「らーん!」

少し離れたところからまたまた若い女の子の声がして、振り向くとブルーのカチューシャをつけた茶髪の女の子が駆けてくるのが見えた。

「園子!」

「だぁれ?この綺麗な女の人」

綺麗、というのはかなり語弊があるが、言われて嫌な思いをする人はいないだろう。

「うちのお母さんがお世話になってる薬局の先生なの…ほら、この間梓さんが言ってた、安室さんの彼女さん。園子会いたいって言ってたよね」

「へー!安室さん面食いだったのねぇ…納得。この人なら許す!」

園子、と呼ばれた女の子は私を上から下まで眺めて言った。

「園子!失礼よ」

「いいのいいの、園子ちゃんっていうのね。みょうじなまえといいます。よろしくね」

「鈴木園子でーす!なまえ先生よろしくね!」

元気いっぱいの園子ちゃんは私にウインクしてみせた。可愛いなぁと私は笑う。

「おや、なかなか来ないと思ったらこんなところにいたんですか」

「と、透さん…」

透さんが態とらしく箒と塵取りを持って登場したので、掃除はついさっきしたばかりだろうに全く過保護な人だなぁと思いつつも、私は驚いた風な芝居で彼に合わせた。

「安室さん!おはようございます」

「おはよーございまーす!今、安室さんが超面食いだって話してたとこ!」

JKは元気だなぁと私は二人を微笑ましく見つめる。

「あはは…なまえさんが美人なのは勿論ですが、僕が好きになったのは中身なんですよ…」

透さんはそう恥ずかしいことを言って私の肩を引き寄せた。

「ちょっと、」

「こうやって恥ずかしがるところもまた、意地悪したくなっちゃう原因なんですけどね」

「…」

とりあえず本日のハイライトは“安室透”が絶好調であるということくらいかしら。

「いいなぁ!大人の恋愛って感じよね!」

園子ちゃんは夢見る乙女、と言った感じでうっとりとした表情をした。

「なまえ先生、あの…」

蘭ちゃんが言いづらそうに私を呼ぶので、肩に置かれた透さんの手から逃れて彼女に近づいた。

「どうしたの?」

「えっと、実は相談に乗ってもらいたくて…」

彼女の恥ずかしがり方から、それが恋愛相談であろうことは容易に想像がついた。

「いいわよ、じゃあ連絡先交換しましょうか」

私はスマホを取り出して、蘭ちゃんと電話番号を交換する。

「んじゃ、私も私も!」

園子ちゃんもついでだからと交換して、私のスマホに可愛い女の子二名分の連絡先が増えた。

「また連絡します!」

「いつでもどうぞ。いってらっしゃい」

私はいってきますと手を振る二人に手を振り返し、透さんを振り向いた。

「お待たせ」

「僕の時はあんなに渋ったのに…」

彼の言う僕の時、とは初めて彼と出会った時のことであり、怪しさ満点の、しかも異性にそんなにホイホイ連絡先は教えないだろうと私は苦笑した。

透さん曰く、園子ちゃんはあの泣く子も黙る鈴木財閥の社長令嬢だという。
私はまた、とんでもない人とお友達になってしまったらしかった。


翌朝、私のスマホが園子ちゃんからのメッセージを受信した。

『なまえ先生!今日もしヒマだったらプール付き合ってよ!蘭もコナンくんも一緒だよ』

可愛いスタンプとともに送られてきたそれに、私は微笑んだ。
だが今日は午前中は仕事。午後からなら都合がつきそうだと返信したら、それでもいいから水着持ってきてね!とすぐに返信が来る。

零は今日はバーボンとしての仕事があるようなので、たまには若い子達と一緒もいいかも、と思ったのだった。
問題は大学を卒業してこのかた、海に行くような相手がおらず大学六年生の時に買った水着しかないことだった。

「まぁ…いっか」

私は園子ちゃんに午後二時くらいに行くと返事をした後でタンスの奥から引っ張り出してきたブルーとイエローの花柄の白いビキニを引っ張り出し、着替えやタオルと共にバッグに詰めた。


ホテルハイドプライドのロビーに二時を少し前に到着した。

「なまえせんせー!」

連絡を入れておいた園子ちゃんが手を振りながら駆けてきた。

「ごめーん、今トラブっててプール入れないんだ!」

「あらそうなの」

「なぁ、その人がさっき言ってた人か?」

「世良ちゃん!」

園子ちゃんの後ろから、黒い癖のある髪、特徴的な瞳の中性的な子が声をかけてきた。あの“赤井秀一”にそっくりで私はフリーズする。
少し年は離れているだろうが、もし彼の兄弟だとしたら、おそらくこの子は声、身長と格好から女の子ではないか、と私はぐるぐると思考を巡らせていた。男の子なら彼と同じくらい背が高くなりそうだし、声も格好も男の子にしては可愛すぎる。

「そうよ!蘭のお母さんがお世話になってる薬局の薬剤師さん!なまえ先生っていうんだ!」

「へぇ…薬剤師さんか…ボクは世良真純。探偵さ!」

「みょうじなまえっていいます。よろしくね…えっと、真純ちゃん」

彼女の苗字は赤井だと踏んでいたのだが、どうも見当違いだったようだ。園子ちゃんは先程彼女のことを世良ちゃんと呼んだが、他の二人は下の名前なのに、彼女だけ苗字で呼ぶのはおかしい気がして、私は下の名前で呼ぼうとした。

「!」

「あ、気に障った?ごめ…」

「いいよ、真純ちゃんで。ボクこんなだし、いつも男に間違えられるからなんかその呼び方が新鮮でさ!」

真純ちゃんの驚いた顔にこちらがびっくりしたのだが、どうも嫌だったわけではないらしいので安心する。

「ちょっと今からプールの様子見に行きたいんだけど、いいか?」

どうやら、このホテルのオーナーの社長令嬢がプールでネックレスをなくしたと大騒ぎをして、客を全員追い出したらしい。
気になるので様子を見に行きたい、という彼女らの意を汲んで私はプールへと付き添った。

「えぇっ!?」

「永美お嬢様がいなくなった!?」

「プールでネックレス探してたんじゃないのか?」

プールの受付で、困り顔の社長令嬢の連れ三人と対峙する。
恐らく、一番年配のおじさんがホテルの支配人、若い男性が婚約者、女性が彼女の異母妹だろうと私は先程真純ちゃんから掻い摘んで聞いた話を思い出して当たりをつけた。

「そ、そのはずでしたが…突然姿を消されて…」

「プールの側の更衣室やトイレも探したんだけど…」

「ご自宅にも帰られてないようで…」

名前くらいしか知らない人間だが、人探しくらいは手伝うべきかと私が頭を悩ませたその時、プールサイドのボーイ達が急に騒がしくなった。

「おいあれ!?人じゃないか!?ホ、ホラ…プールに沈んでるアレ…」

「!?」

その言葉にいの一番に反応したコナンくんと真純ちゃんがプールサイドに駆けていく。
もし溺れたなら助けないと、と救命講習だけは受けている私はコンマ数秒遅れて駆け出した。

しかし永美お嬢様は既に心肺停止状態であったため、私は何もできないままただ救急車と警察の到着を待つことになってしまう。

病死の身内の遺体くらいしか見たことがない私には、溺死の遺体はだいぶ堪えるものがあった。
それでも足を切ったホテルの支配人の手当てを手伝い、吐かずに大人しく待っていられた自分を褒めてやりたい。軽めの昼食にしておいて本当に良かった。

「あの…顔色が悪いですが大丈夫ですか?」

優しそうな刑事さんが声を掛けてくれる。

「すみません、溺死した遺体なんて見るの初めてで…」

「ですよね…お気持ちお察しします。ご気分が優れないところ申し訳ないのですが…僕は警視庁捜査一課の高木といいます。事件の発見者としてお話を伺いたいのですが、お話しできそうですか?」

彼は警察手帳を見せながら私に言った。
幸い、今は吐き気はだいぶ落ち着いている。

「あ、はい…」

高木刑事は遺体が見えない奥の椅子に私を座らせてくれた。

「体調が悪くなったらすぐ言ってくださいね。まず、貴女の職業とお名前を伺ってもよろしいですか?もし、身分証明書があるようでしたらそれも見せて頂けると助かります」

「ジキル薬局で管理薬剤師をしているみょうじなまえといいます…ええと、こちらが名刺で…身分証明書は免許証でいいですか?」

「もちろん!助かります」

高木刑事は私の手から名刺と免許証を受け取ると、手帳に私の住所と生年月日を書き写し、免許証を返してくれる。

「コナンくんから少し聞きましたが、みょうじ先生は遺体発見の直前に到着されたばかりだったんですね?」

「はい…仕事を終えてからこちらに来て…午後二時前に昼食を終えた彼らと合流しました。永美お嬢様がプールでネックレスを探していたことは聞いていますが、彼女の姿は見ていません」

「なるほど…ここへはどのような移動手段を使われましたか?」

「徒歩です…午後一時半までは職場にいましたので、必要であればうちの事務に確認を取ってください」

「あ、いえ…死亡推定時刻は昼の十二時から午後一時の間ということでしたので、ホテルの防犯カメラだけで事足りると思いますよ、安心してください」

高木刑事は人と接するのが上手いタイプだな、と思った。刑事にしては大分柔和なタイプである。

「では、僕は捜査に戻りますが…気分が落ち着くまで、座っていてくださいね。もし体調が悪くなるようなら鑑識でも僕でも、すぐ呼んでもらって構いませんから」

そう言い残して彼は去っていった。

座っていると、ちらりほらりとコナンくんと真純ちゃんが推理する声が聞こえてくる。
ていうかみんななんで平気なの?

永美お嬢様が消えたのは、支配人と婚約者が探しに来た間の話。
この二人が嘘をついていなかったと仮定すると、死体が見つかるまでの間隠しておけるような場所があるならば支配人が犯人か…いや、悠長に推理なんかしている場合ではない。

私はハァと溜息を吐いて項垂れた。先程聞こえてきた話の内容から、これは事故ではなく事件らしいということは分かっていた。
事故でも嫌だが、殺人事件に巻き込まれるなんて本当についてない。

「なまえ先生、大丈夫?」

「コナンくん…」

「あのね、今から謎解きするんだ!先生も来れる?」

「うん…行くわ」

私はコナンくんに手を引かれるまま立ち上がり、プールサイドに向かう。

「おーい高木くん!出てきてちゃんと説明しろ!おい高木!?…ったく、どこに行ったんだか…」

先程、目暮と名乗った警部さんが高木刑事を探している。

「いるよ高木刑事…プールの中に!」

コナンくんはプールの中を指し、彼が水中の釣糸を切るとボコッと大きな音がして、高木刑事が水面に姿を現した。

「あ、僕の姿…見えませんでした?」

高木刑事…なんか楽しそう。
どうやらコナンくんや真純ちゃんが推理したトリックを、高木刑事に実演してもらったようだった。

「光の全反射さ!」

コナンくんも真純ちゃんも活き活きとしている。人一人が亡くなっているのに不謹慎だが、水を得た魚というか、なんというか。

結局、犯人はホテルの支配人である豊島さんであった。
釣糸から指紋が採取できるなんて知らなかった。今の警察はすごいんだなぁと私はいたく感心する。

「ゴメンな…せっかく来てくれたのにあんまりおもてなしできなくてさ…」

「仕方ないよ、事件だったんだもん…」

「なまえ先生も、ゴメンな…結局なんか巻き込んじゃって」

「大丈夫、もう気分は治ったから…あ」

スマホが着信を示してブルブルと震えているのに気がつく。

「ごめんね、仕事の電話みたい…またね」

着信画面には“安室透”と出ているのだが私は咄嗟に嘘を吐いた。

「またな!」

「次こそは女子会しよーね!先生」

「気をつけて帰ってくださいね」

「なまえ先生、バイバーイ!」

真純ちゃん、園子ちゃん、蘭ちゃん、コナンくんの順で挨拶をしてくれ、私は彼女らに手を振ってから電話を取る。

「もしもし?」

『なまえさん!全然連絡が取れないから心配しました…何かありましたか?』

少し焦ったような声。
そういえば何度か鞄の中でスマホが震えていた気がしたが、殺人事件でそれどころではなく確認もしていなかった。
メッセージが既読にならなかったために透さんは心配して電話をしてきたのだろう。

「実は…今日、仕事終わりにコナンくん達とプールに行くはずが、殺人事件に巻き込まれて…今やっと解放されたところ」

『今どこです?』

「どこって…ホテルハイドプライドだけど…」

『十分…いや、五分で行く。正面玄関にいてくれ』

プツッと一方的に電話が切れた。
最後は完全に零に戻っていた。安室透の設定じゃなかったの?ていうか一方的に電話を切るなんて…
ブツブツと悪態を吐きながら私は透さんに言われた通りホテルの正面玄関で待機していた。
きっかり五分で彼のRX-7が目の前に到着する。

「大丈夫か?」

車に乗るなり、透さん…というかすっかり零に戻った彼が私の顔を覗き込んだ。

「まぁ、一応…」

「少し顔色が悪いな…帰るぞ。僕の家でいいか?」

顔色は良くなったと自負していたが、やはり彼には隠し通せなかった。

「うん」

帰り道、お喋りなはずの透さんは一言も喋らなかった。
怒っているのかなと思ったが、透さん…もとい、零のアパートに着くなり、私は思い切り抱きしめられた。

「ついててやれなくてごめん、心細かったし怖かっただろ…」

「零が謝ることじゃないでしょ…まぁ溺死した死体なんて、まず見る機会ないから…ちょっと気分悪くなっちゃったけど」

「今日は一緒にいるよ…なまえは自分で思ってる以上に顔色悪いぞ」

「敵わないなぁ…でも助かる、ありがとう」

私はソファで後ろから抱きしめられたままバッグに入れてきた荷物を取り出す。着替えはリゾートファッションのような洋服しか持ってきていないが、明日は日曜日だし仕事もないからこれでいいか。

「なまえ、その水着…」

ぽそりと零が呟いて、食い入るように水着を見ていた。

「今日はプールの予定だったから…急に決まって、大学時代の水着しかなかったんだけど…買い直す暇もなかったし」

「大学時代って…六年くらい前か?」

「へ?うん…そうだけど、なんで?」

「…そうか、そうだったのか」

零は一人で笑っている。何が何だかわからない私はポカンとして首を傾げた。

「なぁ、今度…海行こうか」

「行きたいの?」

「うん、君と行きたい。その水着…絶対似合うから、買い直すなんて言うなよ」

零が私の首筋に顔を埋めた。こしょこしょと当たる癖毛がくすぐったい。
なんだか妙にこの水着が気に入ったらしい零の匂いに包まれると妙に安心して、私はうつらうつらと居眠りを始めてしまった。

「運命、だったんだな」

零が遠くでそんなことを言ったような気がした。