
日曜日のポアロ開店直後、僕とハロとの早朝デートという名のトレーニングを終えたなまえが一番乗りで入店し、ホットコーヒーを注文した。
彼女は、今度ハロに牛すじをボイルしたものをあげようと思うけどどうかな?などと僕よりもハロを甘やかす算段をつけているようだった。
「あ!なまえ先生おはよ!」
コナンくんがポアロに入ってきて、なまえに挨拶をする。
その後ろから毛利先生が競馬新聞を持って付いてきて、いつもの窓際の席に座った。
「コナンくんおはよ…毛利さんもおはようございます」
「おう」
「今日は蘭ちゃんは?」
なまえは日曜日の朝なのに蘭さんが来店しないことに疑問を抱いたようだった。
「蘭姉ちゃんは空手の試合だって…ほら!」
コナンくんが窓の外を指差すと、蘭さんがこちらに手を振っているのが見えた。
「懐かしいなぁ、あの制服」
青春だねぇとなまえが蘭さんに向かって手を振り返して笑う。そういえば高校時代の話は聞いた事がなかったなと僕は毛利先生とコナンくんのテーブルにお冷やを置いた。
「へぇ〜なまえ先生も帝丹高校だったの?」
コナンくんは蘭さんから目線を外し、なまえを見上げた。
「そうよ」
僕はそうかそうかあの制服を着ていたのかとか、今度アルバムを見せてもらおうなんて、良からぬ事を考えながらカウンターへ戻り、洗い物を始める。
「帝丹高校だァ?」
毛利先生はなぜか折角持ってきたはずの競馬新聞そっちのけでなまえを凝視していたが、あぁ!と大声を上げた。
「どこかで見たことあると思ったら、なまえさんはもしかして…帝丹高校テニス部のコートの妖精…!」
「げ」
なまえは苦虫を噛み潰したような顔をした。この様子だと図星らしい。
「毛利さん、なんで…」
「ダチに誘われて観に行ったんだよ、12年前の引退試合。いやー可愛かったなぁ、スコート姿がもう」
「わーやだやだ!忘れてください!!忘れて!」
なまえはデレデレと鼻の下を伸ばした毛利先生の言葉を遮るように叫び、顔を隠して俯いた。
「僕も新一兄ちゃんから聞いたことあるよ。コートの妖精のお話!なまえ先生のことだったんだね」
コナンくんが聞いたことある、というのだ。それはそれは有名な話なのだろう。僕だけ蚊帳の外のようで少し気に入らない。
「ホォー?それは興味深いですね」
「お願いだから忘れて…透さんも聞かないで」
コートの妖精なんて魅力的な響き、恋人としては聞かなかったことにはできないだろう。
僕は毛利先生の前に立ち、是非教えてくださいと教えを乞うと、彼は高くつくぞ〜と言いながらコートの妖精について詳しく教えてくれた。
小柄ながら男顔負けの鋭いサーブを打ち、勝負強さは言わずもがな、その美しさで男性陣を魅了していたという。
しかし、学業を優先したいと高校三年になると同時に惜しまれつつも引退。
「ヤロー共は妖精のスコートが捲れるのを楽しみにしててな…彼女の後ろはいつもすごい人だかりだったなぁ〜」
特にサーブを打つときは捲れる確率が高くてなぁ!なんて毛利先生はデレデレ鼻の下を伸ばし、コナンくんは呆れ顔で彼を見ている。
なまえはといえば、もう聞きたくないと言わんばかりにカウンターテーブルに伏していた。撃沈、という言葉が正しいかもしれない。
「へぇ…僕も見たかったです、その素敵な光景」
「よし、今度テニスに行くか!」
「いいですねぇ、是非!」
その時ふと、僕の頭の中を水色のウエアに白いスコートがフラッシュバックした。
『ゼロ!今日テニ部の練習試合にスッゲー美人が来てるんだってよ!見に行かないか?』
あの日は珍しくヒロが興奮して教室に駆け込んできたのだった。
『なんだそれ…興味ないな』
『いいからいいから!』
結局、抵抗も虚しく無理矢理ヒロに引きずって行かれた先に、噂の“スッゲー美人”はいた。
パコン!というテニスボールがコートに当たる特徴的な音が響く。
『来るぞ来るぞ』
『なにが』
なぜか彼女の後ろに陣取ったヒロが興奮気味に俺の肩を叩いた。
スッゲー美人なのだから顔が見える真正面を陣取ればいいのに、皆彼女の背中側が特等席だと言うものだから僕は首を傾げながらヒロに促されるまま彼女の後ろに立つ。
彼女は何度かボールをバウンドさせてからすうっと息を吸い込むと、膝を少し折ってボールを投げ上げ、その華奢な体からは信じられない程の力でラケットを振り抜いた。
サービスエース。
彼女は圧倒的女王の貫禄を醸し出していた。
『うわ、あのサーブえぐいな』
思わず僕の口からそんな言葉が零れた。素晴らしいコントロールとパワーで、対戦相手の選手が不憫でならない位である。
そして彼女が見事なサーブを決めた瞬間、僕はヒロが“来る”と騒いでいたものが何だったのかを悟る。
彼女のスコートがサーブを打った勢いで捲れ、引き締まった太腿から形の良い尻が収まっていることが明白なアンダースコートまでが露わになったのだった。見えてもいいものとはいえ、それはグラビアアイドル顔負けの艶かしさで、僕も含めお年頃の男共にとってそれが素晴らしく良い眺めであることは間違いなかった。
『〜〜ッ!』
『な?』
良い眺めだろとヒロはニヤついている。
彼女はここに集まったギャラリーの目的を理解しているかのようにさっさとサーブ4本でこのセットを自分のものにしてしまった。
『そうそう。あの先輩…うちの学校では今日が見納めなんだと』
だから普段よりギャラリーが多いらしいとヒロは教えてくれた。
『二年なら引退はまだ先だろ?』
僕は卒業式が終わったばかりの三月である今、うちに練習試合に来ていることと、ヒロが先輩と言ったことから、彼女が僕らより一つ上の二年生であることを悟り、そのまま会話を続けた。
『何でも勉強に専念したいから二年で引退するんだってさ』
『へぇ…』
噂話に花を咲かせている間に、彼女はストレート勝ちを決めて小さくガッツポーズをすると、スコアラーを務めていた男子生徒からタオルとスポーツドリンクを受け取る。彼女はテニスをしているとは思えないほどの色の白さで、隣に並んだ僕顔負けの色黒なその男子によくやったと頭を撫でられていた。
『あーあ、相変わらず試合終わるの早いな…あれ、彼氏かな?』
『さぁな』
『なんかアイツ、ゼロに似てねぇ?』
『はぁ?そんなはず…』
僕は次の言葉が続けられなかった。
コートの中の彼女と、フェンス越しに目が合ったからだった。否、合ったような気がしただけで、多分僕の都合のいい勘違いだったのだろうと思うが、彼女はすぐに同級生と思われる女子生徒に早く早くと促され、ふいと僕から視線を逸らし、片付けを始めてしまう。
『おいゼロ、そろそろ戻んねーと休み時間終わっちまう』
『あ、あぁ…ヒロ、あの人名前何てったっけ?』
『俺も名前は知らねーんだ…皆コートの妖精って呼んでるよ』
ほら行くぞとヒロに背中を押されながら、僕はコートの女神、とポツリと復唱したのだった。

「おーい、安室くん?」
ボケっと突っ立っている僕に毛利さんが声を掛ける。
「あ、あぁ…何でもありません。なまえさんにテニスを教えて頂けると思ったらもう嬉しくて」
「お前…ジュニアの大会で優勝した腕前じゃなかったか?」
毛利先生は訝しがるように僕を見た。
「いえ、きっと僕より彼女の方がコントロールは完璧でしょうから」
コーヒー、淹れてきますねと僕は毛利先生達のテーブルから離れ、なまえの傍を通りながら、彼女にだけ聞こえる声でボソリと囁く。
「思い出しました…僕も見ましたよ、コートの妖精の可愛いお尻」
あれは高校生には刺激が強かったなぁなんて付け加えれば、彼女が消え入りそうな声で言った。
「うぅ…もう…死にたい…」
今にも溶けてしまうんじゃないかと思うくらいポアロのカウンターの上に平たく突っ伏したなまえの頭を撫でて、僕は彼女にサービスで出してやるつもりだったハムサンドと、毛利先生に出すコーヒー、コナンくんのオレンジジュースの準備を開始した。