
それはお得意様への配達を終え、ポアロに戻る途中のことだった。
「あぁ、みょうじ先生でしょう?」
道端のおばさま達の井戸端会議からなまえの名前が飛び出したので僕は思わず足を止めた。
「あの子なら気立てもいいし、美人だし言うことないわよねぇ?」
「若先生、あの薬局始める時に社長さんにみょうじ先生じゃないと認めない〜って言ったらしいじゃない?」
「そうそう!ベタ惚れだって聞いたわよ」
「若先生もイケメンだしお似合いよね」
僕は焦る気持ちを落ち着かせるために深呼吸をしてから、おばさま達に話し掛けた。
「こんにちは。僕もみょうじ先生にお世話になっているのですが…今のお話詳しく教えて頂けませんか?」
キラースマイルでそう言うと、おばさま達は色々と教えてくれた。
ジキル薬局の門前のクリニックである佐藤病院の院長の跡継ぎ息子が杯戸病院での修行を終え、一年前に佐藤病院を継ぐべく戻ってきたこと。代変わりにあたって院内処方を廃止する運びとなり、なまえの薬局の社長に薬局開局の話が持ちかけられたこと。若先生は彼女のことをいたく気に入っており、開局時には彼女を薬局長にするよう指名したという噂があること。
「今度の学会もね、若先生が招待したんですって!」
「ホォーそれはそれは…ご執心ですね」
僕は平静を装っているが、内心それどころではない。
そんな事を露とも知らずおばさま達は僕に追い討ちをかけた。
「若先生って言ってももう35だし、みょうじ先生みたいないい人なかなか見つからないから、私達は結婚しちゃえばいいのにって思ってるのよ!」
「そ、そうだったんですか…」
僕は話を聞かせてくれたおばさま達にお礼を言ってその場を去る。
学会に、他の男から招待されたなんて話、聞いてないぞ。
大方、僕を不安にさせまいと黙っていたのだろうしなまえの方は何とも思っていない…と信じたいが、この話が耳に入ってしまった以上、じっとしているわけにはいかなかった。

「佐藤先生!この度はお口添え頂きありがとうございます」
私は深くお辞儀をした。
兼ねてより参加したいと思っていた学会だったが、薬局業務をこなしながらではそれも難しい。今回、この学会に参加させて貰えたのも、佐藤先生の口添えがあったからだった。
近場の横浜での開催に加え、門前の院長先生の大舞台。先生から“みょうじくんにも是非来てもらいたいのですが…どうですか?”と言って貰えればうちの社長もイチコロだった。
「気にしなくていい。君には杯戸病院にいた頃から随分世話になっているからね…」
「先生のご講演、楽しみにしていますね」
「あぁ、また感想を聞かせてくれ。君はなかなか鋭いところをつくからな…質問はお手柔らかに頼むよ」
「買い被りすぎですよ」
ではまた講演の時に、と佐藤先生と別れた。
取り敢えず、感謝の意を込めて持ち上げられるところまで上げておこう。
そう私が思った時だった。
「なまえさん」
お久しぶりです、なんて甘い声で鼓膜を震わせ、白々しく私の背後から現れたのは。
「と、透さ…」
透さんはグレーのスーツをビシッと着こなし、爽やかなブルーのネクタイをきっちり締めている。まるで、学会関係者のように。
「スーツ姿も素敵ですね」
そう言って透さんはあまりにも自然に私の荷物を持ち、腰に腕を回した。
「…なんで…透さん今日仕事じゃ…」
透さんに促されるまま足を進めるが、佐藤先生に見られたのではないかと気になって仕方ない。
「気になりますか?あの若先生が」
今日の透さんは機嫌が悪い。珍しく…というか初めてと言っていいくらいにこんなにもイライラを炸裂させている彼を見て妙に違和感を感じた。いつもなら絶対にこんな言い方はしない。
「ねぇ…何かあった?」
「あの若先生と…どういうご関係で?」
あぁ、分かってしまった。
透さんは疑っているのだ、佐藤先生と私の仲を。
今の彼の状態では、ちゃんと話が出来そうにない。
そもそもこの状態になってしまったのは、私が彼にした隠し事と、彼が私を心配するが故の詮索癖が悪いように重なり合ってしまい起こった事故のようなものであることは明白だった。
正直に話そう…そうすれば彼だってちゃんと分かってくれる筈だ。
「まず、ひとつめ」
私は学会会場の建物の死角に透さんを押し込み、ピッと人差し指を立てる。
「私はかねてより自己研鑽の為にこの学会に参加したいと思っていましたが、この時期は繁忙期でなかなかOKが出ませんでした…今回は貴方もご存知の通り、門前クリニックの佐藤先生のご講演があったことから、彼の口添えもありなんとかうちの社長を丸め込むことができました」
透さんは黙って私を見つめている。
「ふたつめ…佐藤先生とは、私がベイカ薬局にいた頃に知り合いました…と言っても電話やファックスでのやりとりが殆どで、病院の勉強会に呼んでくださった時にお会いしたのが初めてです。仕事上仲良くはさせて頂いてますが、プライベートでのお付き合いはありません」
透さんが何か言いたげな顔をしているのは分かっていた。
「みっつめ…私の恋人は二人いて、二人とも今、私の目の前にいます」
「二人?」
態とらしく透さんが聞き返す。分かっているのに聞くのは彼の悪い癖だ。
「安室透と降谷零…それから」
私は、覚悟を決めて息を吐いた。本当は黙っていようと思ったが、今の透さんの前で隠し通せる自信はもうなかった。
「最後に…今日は夕方には帰れるので、晩御飯を作って透さんをポアロまでお迎えに行くつもりでした…サプライズで、ん!」
最後まで言い切る前に、透さんに腕を引かれて口付けられる。建物の隙間に隠れてキスなんて恋愛小説の中だけにして欲しい。しつこく唇を貪った後、透さんはぽつりぽつりとここに来た訳を話してくれた。
たまたま薬局の近くを通った時におばさま方の井戸端会議が聞こえてしまって不安になったという。
井戸端会議をしそうなおばさま三人組といえばもうあの三人しかいないだろうと私は彼女らの顔を思い浮かべる。顔というよりは、先に渡している薬の名前が出てくるのが職業病めいていて、自分でも呆れてしまうのだが。
「すみません…」
透さんはしょんぼりとして俯いてしまう。可愛いと思うのは、きっと私が彼を好きすぎるせいだ。
「透さんを驚かせたかったのは事実だし、その点については残念だなと思うけど…」
「けど?」
「不思議と、怒ってない…透さんの意外な一面が見られたからかな」
私は素直にそう伝える。
「あぁもう!可愛いの大渋滞だ」
珍しく真っ赤になった透さんが私をぎゅうぎゅうと抱きしめた。苦しいのに、離さないでと思う自分がいて、私は透さんの背中をポンポンと叩く。
可愛いの大渋滞って何よと笑ってしまった。
肺一杯に満たされた透さんの香りにクラクラしながら、私は暫く抱きしめられていた。
そのあと、医薬分業の観点から若先生と私が結婚すれば私が薬局を辞めなければジキル薬局の保険医療機関としての指定が取り消される可能性があるため、社長がそんなこと絶対に許すわけがないと教えてあげれば、透さんはキョトンとした後、なんだそうだったのかと安心したように笑った。