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渦中の人たち


「そうなの?大変だったね」

私は大学の後輩である薬丸くんからの近況報告の電話で、先日あった麻薬密売人の逮捕時のトラブルを聞いていた。
彼が昔近所に住んでいた女の子と喋っていたら、ものすごい剣幕で胸倉を掴んできた男の子がいたらしい。

“俺の和葉に何さらしとんじゃ!!!”

その子がそう怒鳴ったというから、若いっていいなぁ、可愛いなぁと二人で話していたのだった。

『そうなんや。なぁなまえさん、大阪来ぉへんのか?ていうか関西弁やないと気色悪いわぁ』

「ごめんごめん、今んとこ予定はあらへんねん。また行くことあれば連絡するからそれまで大人しゅう待っとって」

『へいへーい』

「ほなまたね〜」

電話を切ると、コナンくんがじぃっとこちらを見ていた。
ここは喫茶ポアロの前であり、コナンくんの住む毛利探偵事務所でもあるから、別にばったり会ったところで何の不思議もないのだが。

「どうかした?」

「なまえ先生…関西の人?」

「両親が、よ。私は生まれも育ちもこっち。関西弁は喋れるけど。大学の後輩が関西で麻薬取締官マトリしててね…この間大阪のひっかけ橋で囮捜査してた時に、昔ご近所さんだった女の子と話してたら彼氏らしき男の子に胸倉掴まれたんだって…若いっていいよね〜」

そう話していたらコナンくんが固まっていることに気がついた。

「コナンくん?」

「そ、その人僕知ってる…」

「え?薬丸くんのこと?」

「ううん、そうじゃなくて…」

“俺の和葉に何さらしとんじゃ!!!”

「!!」

びっくりして振り向くと、哀ちゃんを除いた少年探偵団の子供達が、スマホを掲げてニヤリと笑っていた。

「もしかして皆その怒鳴った子と知り合いなの?」

「はい!コナンくんの師匠です!」

「その事件なら、俺たちが解決したも同然だぞ!」

「すごいでしょ!」

つくづく事件にばかり巻き込まれる子だなぁと私は驚いてコナンくんを見た。世間は狭いとはまさにこのこと。

「あらそうだったの…」

「服部は師匠じゃねーよ」

コナンくんは不服そうに少年探偵団のみんなを睨みつけている。

「へぇ〜でも懐かしいなぁ関西弁…こっちにいるとなかなか喋ることないし」

師匠じゃない、と言いながらも仲が良さそうなことは伺えて、私は微笑んだ。

「今度、はっと…平次兄ちゃんがこっちに来たら紹介してあげるよ」

「ふふ、ありがと」

そうやって話していると、店内からこちらを見ていた透さんと目が合い、私は戻るという意図を持って手を振った。

「今日は博士のお家?」

「うん!」

そう元気よく答えたのは歩美ちゃん。

「じゃあ気をつけてね、いってらっしゃい」

「はーい!」

元気よく返事をした子供達は、私に手を振って去っていった。

「ごめんね、話が長引いちゃって」

喫茶ポアロの店内に戻りカウンター席に座ると、透さんがアイスコーヒーを出してくれる。

「いいんですよ…まぁ、電話の相手が男性というのが少し妬けますが」

「あら、透さんみたいな恵まれた容姿でも嫉妬するの?」

「なまえさんには、見た目がいいだけでは通用しませんからね…」

「そうかなぁ…私は二十年近くゼロくん一筋なんだけどなぁ」

私はコーヒーをストローでくるくる混ぜながらぽそりと言った。
透さんは虚をつかれたようにたれ目をぱちくりとさせた後、少し赤い頬で私の手を掴む。いきなり回転の止まったストローに氷がぶつかってカラン、と音を立てた。

「あんまり可愛いこと言わないでくださいよ…心臓発作でも起こしそうだ」

「へ?」

「そういう無自覚なところです」

透さんはふ、と笑って私の手を解放し、洗い物を始める。

「あ、そうそう…その麻薬取締官マトリの後輩がね、囮捜査中に知り合いの女の子に見つかっちゃって話してたら彼氏らしき男の子に胸倉掴まれて、“俺の彼女になにさらすんじゃ!”って怒鳴られたって…若いっていいねぇって話してたんだよ」

「へぇ…僕も、なまえさんがそんな状態だったら怒鳴るかも」

「へ?」

「貴女の事になると、情けないんですが途端に余裕がなくなってしまって…こんな僕は嫌いですか?」

反撃開始、というタイトルが一番しっくりくるだろうか。私は自分が可愛いと分かっている小動物があざとく甘えてきた時のような、心臓がキュンと音を立てるような錯覚を覚えた。なんなのだ、一体。
電話の相手は伝えているし、透さん…もとい零は天下の公安警察なのだ。ちょっと調べればこの国家公務員がただの後輩であるくらいすぐ分かるだろうに。

「私はそういう経験がないからわからないけど…」

この顔で“俺のなまえに何してるんだ!”なんて言われた日には、キュン死してしまう。それこそ私の方が心臓発作ではないか。

「けど?」

「どんな透さんでも好き…じゃダメなの、かな…?」

別に余裕がある人が好きなわけではない。透さんだから好きなのだ。
こんな場で直接伝えるには余りにも恥ずかしい内容で、どう伝えたものかと私は頭を悩ませた。

「あぁもう、可愛いな」

余裕なく眉を寄せた透さんが私の頭を撫でた。透さんというよりは口調が零だったけれど。

「ところで…そろそろ出ないと間に合いませんよ、お姫様?」

「わ、やば」

「いってらっしゃい。お迎えは必要ですか?」

「いってきます!大丈夫…だけど、もし買い出しのついでがあるならお願いしようかな」

「わかりました」

「あっ、わざと買い出し入れるのはダメよ!」

「はいはい」

透さんにポアロの出口まで見送ってもらって、職場めがけて早足で歩き始める。

私はすっかり忘れていた。今日が私にとって至極憂鬱な土曜日であることを。


「沖矢様」

少しツンケンした態度のなまえに名を呼ばれ、俺は立ち上がる。
土曜日は一人で勤務していることも、空いている時間もチェック済みで、最近は二週間おきに薬局を訪れていた。

「はい」

「今日“も”湿布ですね…」

「ええ…スポーツをしたら腕が痛くて」

「そうですか…大変ですね。自費だと高いでしょう…ちょうど工藤邸の近くにドラッグストアが出来ましたけど?」

彼女は二千二百十円です、と俺と目を合わせないまま袋詰めを始めた。

「まぁそうツンケンするな…可愛い顔が台無しだ」

変声器のスイッチを切り、なまえの手を掴むと彼女はやっと俺の目を見た。

「なんで、二週間おきに来られるんです?」

俺は呆れたように言うなまえの目をじっくり見つめる。深い色の瞳は今にも吸い込まれてしまいそうである。

「お前に会いたいから、かな?」

「趣味悪いんですね…どうせ腕も痛くないんでしょう?」

「ホー?どうしてそうだと分かる?」

「貴方は腕を痛めているという割には庇う様子もないし、第一貴方ほど鍛えている人が筋肉を痛めることなんてまずないんじゃないかなって…そりゃああの時の透さんの件に関しては…非常に申し訳ないと思ってますけど…」

なまえは掴まれた右手を放してもらおうと必死であったが、残念ながらその手を掴んでいるのは俺の利き手である。そんな細い腕で抵抗するのは無駄だ。

「君はなかなか筋がいい…いいか、君はバーボンの彼女だ…いつ何時組織の人間に狙われるか分からん…もし、安室くんが助けに来られないならここに連絡しろ…」

俺はなまえの手に連絡先を書いた紙を握らせた。

「どうしてここまでしてくれるんですか?貴方は一方的に透さんに嫌われてるでしょう?私を保護したところであの人の態度が変わるとも思えませんけど」

「君は、推理の方は優秀だが恋愛に関しては相当鈍いようだ…安室くんが苦労するわけだ」

「は?」

「まぁいい…捨てるなよ」

そう言い残して薬局を去る。勿論、代金は払い慣れた額だ。ぴったり用意して置いてきていた。
聡いなまえの事だ、もしもの時のために俺の連絡先は置いておいた方がいいことくらいは少し考えれば分かるはずだった。

それにしても、と俺は溜息を吐く。
最近は関わるといえば腹の探り合いをしなければならないような人間ばかりで、彼女のように感情が手に取るように分かる女は久しぶりであった。
ジョディも分かりやすいが、それでも彼女は一応FBIの捜査官であり、ビジネスパートナーという意味では気を遣うべき相手であったのでなまえとはまた違っていた。
安室くんから無理に奪い取るような真似をするつもりはないが、もし万に一つ彼が命を落としたりなまえが彼から離れるようなことがあれば、容赦なく彼女のテリトリーに攻め込んでやろうと思う程度には、彼女のことは気に入っている。
たまにぐりぐりと撫で回したくなるが、安室くんの恋人ひとのものである以上それもかなわない。

「…っ、あか…じゃない、沖矢さん!」

「!」

驚いて振り向くとぜえぜえと息を切らしたなまえが立っていた。赤井、と呼びかけたのは注意すべきところだが、彼女が全速力で俺を追ってきたことを鑑みれば許してやるしかなさそうだった。

「これ…忘れてます…っ」

なまえは俺に袋を差し出した。それは先程処方された薬の入ったポリ袋であり、俺は間抜けにも置き忘れて来たらしかった。

「あぁ…すみません。ぼーっとしてまして」

「では、お大事に」

「ありがとうございます」

なまえは頭を下げて去っていく。
あのアジア人特有の小ささを“可愛い”と思うのは、俺が彼女に毒されているからに相違なかった。

彼女がポニーテールを揺らしながら遠ざかっていく後姿を、俺はらしくもなくぼんやり眺めていた。


薬丸くんと電話をしていたせいで、今日が沖矢昴赤井さんの通院日であることをすっかり失念していた私は、彼が入って来た瞬間に思い切り顔を顰めてしまった。

うわ、来たという顔をしたにも関わらず、彼は面白そうに笑っていた。

なぜか彼が持っておけと言った連絡先をボケッと眺めていたら、忘れ物に気づくのが遅れてしまい、私は慌てて薬局を出た。確か、いつも帰りは左に曲がるはず。

「なんなのよ、もう!」

今朝、ほのぼのとした話を聞いたばかりなのに、心が荒んでしまうではないか。

全速力で追いかけるが、彼の足が長いせいかなかなか追いつかない。
漸く目当ての背中を見つけた頃には、ぜえぜえと息を切らした、随分情けない姿であった。

「…っ、あか…じゃない、沖矢さん!」

「!」

いつも隙のない彼が驚いたように振り返った。背中に目があるんじゃないかと思うレベルのあの彼が、である。
ちょっと面食らってしまったが、呼び止めたからには要件を言わねばならなかった。

「これ…忘れてます…っ」

私は彼に、先程の湿布の入ったポリ袋を差し出した。最近の休日は透さんとお寝坊するのが至福のひとときとなっており、トレーニングをサボっているせいで情けなくも息が切れたままなのは見逃して欲しいなと、酸欠で回らない頭で考えた。

「あぁ…すみません。ぼーっとしてまして」

「では、お大事に」

「ありがとうございます」

沖矢さんはすんなり私の手からポリ袋を奪っていったので、私はホッとしてお辞儀をし、踵を返す。今日は高橋さんが休みなので、早く戻らねばならない。薬局を無人にしておくわけにはいかなかった。

来た道を再び全速力で駆けた。
こんなちょっとの距離で息が上がるなんて、元テニス部が聞いて呆れる。

薬局に戻ると、沖矢さんの後は誰も患者さんは来ていないようで私はホッと胸を撫で下ろした。お茶を飲んで息を整える。ふーと息を吐くと、ピロン!とスマホが鳴った。

『なまえせんせー!今度の連休空いてる?テニス教えて!』

連絡は園子ちゃんからで、断る理由も特にないので空いてるよと返信をして、何の気なしにカレンダーを見る。彼女が言う連休とは今から二週間後のことで、私は自分がダラけたせいですっかり筋力が落ちていることをはたと思い出す。

「鍛えないと教えるどころじゃなくなっちゃうな…」

いや、“まだ”二週間ある…急いでコンディションを調整しよう。
そう心に決めて私は来週再来週の運動メニューを書き出し始めたのであった。