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確かなものは闇の中


『ホント、気が利く子ね。なまえが大きくなったら、私のお手伝いをしてほしいわ。ねぇ、あなた』

『そうだね。君のお気に入りのなまえちゃんなら間違いないだろうし』

そう言っていた大好きな女医さん一家は、突然どこか遠くへ行ってしまった。

小児喘息を患っていた私は、家の近くの町医者を事あるごとに受診していた。
喘息はすっかり良くなっても、大好きな先生のお手伝いをするために病院に入り浸りだった。
今思えばちゃんと手伝いになっていたか分からないが…

『先生!遠くに行っちゃうの?もう会えないの?』

わんわん泣く私に、先生は自分のポケットから眼鏡を取り出した。

『なまえ、きっとまた何処かで会えるわ。あなたが大きくなったとき、まだ私のお手伝いをしたいと思ってくれていたら私に会いに来て…歓迎するわ』

でもあなた少し視力が悪くなって来たようだから、勉強も程々にね。そう言って彼女は私の視力にピッタリ合わせた眼鏡を握らせてくれた。
彼女とお揃いの、黒いフレームの眼鏡。

幼かった私は一生懸命頷いた。


「うー…」

午前六時。ピピピ!とうるさく鳴り続けるスマホをスヌーズに切り替える。
寝起きが悪い方なのは自負していて、シャワーを浴びて頭がスッキリするまではスヌーズは切らないようにしているのだ。

昨日は最後の患者さんである降谷という男性のせいで帰りが遅かったので、全然眠れた気がしない。
最近あまり見ていなかったあの夢まで…

「エレーナ先生…」

ベットサイドに置いた眼鏡を、しみじみと眺める。
あの時エレーナ先生に作ってもらった眼鏡はすっかり度が合わなくなってしまったが、レンズを抜いて今でも時々掛けている。
一般人の私でも調べられる範囲で確認した結果、宮野夫妻は医師としての登録も抹消されており、研究成果の報告論文も、ある時を境にプツリと途切れていた。一度も発表されていなかった。“死亡”という一番考えたくない可能性が頭を過ぎり、私は不安を断ち切る様に緩く首を振る。

「あ、やばこんな時間!」

二度目のアラームが鳴って、私は慌ててベッドから抜け出した。

シャワーを浴び、化粧をして、軽めの朝食を摂る。いつものルーティーンだ。
友人には男みたいと言われたけれど、仕事はやりがいがあるし、職場環境も良いし、お給料も同世代の平均よりは貰えているのでそれなりに満足している。

強いて言うなら、恋人がいないくらい。
エレーナ先生のように、素敵な旦那様は当分望めそうにないな…なんて。

キュンとしたのは、いつだっけ?

私は女子の部屋と言うには随分殺風景な部屋を見て苦笑いしながら、玄関の鍵を閉めた。