8話 よくわからない立場どうやら眠っていたらしい。揺れる感触に目を開ければ、私はまたハクに背負われている。まだ日中のようだ。白楼閣に帰る道中だろうか?尋ねると、会いたい人がいるらしくネコネの案内でそちらに向かっているらしい。足手纏いを危惧するが、ハクが言うには全員に来てほしいようで話だけだから面倒だとかは気にするなというお小言を頂いた。女子三人の会話は途切れているが雰囲気は悪くない。なので私は大人しく口をつぐみ背負われたまま通りの景色を眺めていた。
大通りを外れ閑静な住宅地を過ぎれば武家屋敷が建ち並ぶ通りに出た。もう少し進むと目的地に到着したようだ。門衛にネコネが名を告げて通行を許可され門をくぐる。
目的地はオシュトル邸らしい。そうだ、ここはオシュトルの住む屋敷だ。道場と言っても差し支えない広めの玄関でハクが私を降ろす。靴を脱がせようとしてされるがままの私が固まっていると気づき、おまえ知ったら大騒ぎするだろ?だから黙ってた、内密のお話だとよと悪戯っぽく微笑んだ。違うよ、いよいよ隠密衆結成の流れに緊張してるだけだよとは言わずにおく。
「ハクさんが世話を焼くなんて意外なのです、もっと怠惰な人だと思ってました」
「ハクは元々面倒見がいいよ。ものぐさでぐーたらで、する必要がない努力は極力避けるいい加減な性格だけどね」
「一言多いぞ外野ども〜」
賑やかにハクの人となりに華やぐ一行だがルルティエだけは違った。
「わ、私はハクさんがとても親切な方だと思っていましたから、だ、大丈夫ですよ」
聖母や。ハクも似たような感想を抱いたようであんがとな、と苦笑しまた私を背負い直した。なんでや。胸中の突っ込みと同じ感想を抱いたのかなんでハクさんがまたおんぶするですか?とネコネが当然の疑惑を向けてくる。
「言われる前に動かんと誰かさんがウルサいだろ」
だからほら、遠慮するなと誰かさんに睨まれながらハクの言葉に甘えて私は背負われた。背負われたのだがどうにも眠いのだ、多少目を瞑るくらいならいいだろうとネコネに先導されキレイに整備された廊下を歩くハクの背に寄りかかり目を閉じた。
心地よい声がする。入室を許可され通った先にはオシュトルがいるんだろう。でも眠い。序盤のビックイベントだけどもう眠くて仕方ないから目を瞑ったままでいるとこちらを気遣う声がして、ちょっと熱があるみたいだから横にさせていいかとハクの伺う声がした。
構わないと快諾され床に横たえられ、客間に案内はと疑問符が浮かぶがすぐに頭に座布団?らしき物が差し込まれ、ネコネちゃんが戸棚を開けて持ってきた掛け布をかけられる。めっちゃぶつくさ言ってるよ。ハクに至ってはえ、どっか布団に寝かさないのと抗議じみた文句も飛び出てくるから冷や汗だ。仲良く、仲良くだよ、その人上司になる人だからと胸中で宥めてみた。
全員でないと意味がないからもうしばし待たれよとオシュトルは流れを続行する気らしい。そうだねこの人多忙だしと私は高見の見物を決め込み横になっている。
これ幸い暖かい布団にくるまれて序盤のビックイベントは始まった。早々にオシュトルが直属の部下に召し抱えたいと提案し訝しむハクに正体を明かす。仮面を外し髪を乱しヒゲを取り現れた姿にハクはびっくり仰天、周囲を伺うがハクだけが驚く状況に察して肩を落としむくれている姿を想像してその可愛くさににやにやしてしまった。クオンはとうに分かっていてルルティエは貢ぎ物の護衛につくと決まった際に正体を明かされていたので当然なんの反応もない。むしろハク様にお教えできずにごめんなさいと謝る様が可愛らしかった。
くふくふ笑っているとおまえも知ってたな、こんにゃろ!と隣に座るハクに頭をかき乱されてきゃあきゃあ騒いだ。乙女の髪をよくも!好きな人の前でと怒るが見えないのでそれらしい影を叩くことしか出来ず大してダメージも与えられなかったんだろう、ハクはふふんと鼻を鳴らし痛くもかゆくもないおまえ髪爆発したみたいで笑えると得意げだ。むかつく。
「乱れていようと其方は其方だ。そう怒ることもあるまい」
髪を整え簡単に身なりを整えたオシュトルはすぐに助け船を出してくれたので有りがたく調子に乗っておく。
「さすがオシュトル様!凡夫とは言うことが違うわ大好き!」
「どうせ凡夫ですよ」
「あのあの、平凡でもハク様は素晴らしいお方ですからそう気を落とされずとも……」
「靜かにするです!お話の途中ですよ、静粛に。ナナコさんは病人なんですから、大人しく寝てそのままぽっくりいって下さい」
ひっど!辛辣すぎて逆に小気味よかったけど。確かに私病人らしくないと声のする方にへらへら笑えばそれは言いすぎかな、でもナナコが茶々入れるのが悪いかなとクオンが苦笑、するような声がした。ネコネも言い過ぎでしたですと謝ったところで茶を入れに退席しオシュトルの咳払いで話が戻る。
直属の部下にしたい理由を述べ、推薦した人物マロロが登場し一緒に隠密衆として働きたいと申し出るが相場の給金は払えないと言うことであえなく撃沈。ついでに私の具合はいかがかと尋ねてくれたけど面倒なのですこぶる元気と濁した。何か言いたそうなハクは袖を掴んで牽制しておく。
報酬も提示され無職二人に文字を教えながらできる職場というのもありクオンは賛成のよう。ハクの体力も鍛えれると乗り気なので勘弁してくれと鍛えられる当人は項垂れていた。
私は死にかねないから鍛錬は免除とのこと、ウエーイ!一人だけ楽できてウエーイ!……ちっとも嬉しくないけど、気遣いはありがたく買うべきだと文句も賛同もしなかった。
遊学をかねてここに来たルルティエは父親の進めもありこのままオシュトル預かりとなりハク達の手伝いとして同行を伴にしてくれるそう。
そんなこんなで、戻ってきたネコネを遭わせた少人数で隠密衆結成の運びとなる。
隠密衆とは表沙汰に出来ない事件を秘密裏に処理するための部署らしい。悪事の芽を潰すのも仕事だそうで表立って取り締まれない者、貴族階級をしょっ引くために証拠集めに奔走する時もあるそうだ。今まではウコンという町人に扮したオシュトルがそういう仕事を見込んだ男衆を連れてこなしていたが、長いこと活動すれば自(おの)ずと目にとまり動きにくくなったため引退を決めたのだと結んだ。だがこのまま身を引けば公儀の手にかからない悪漢が蔓延るばかり、帝都の治安を守るためにも、身元が不確かでも任せるに足る人物に手足となってもらい払えない闇を払いたいのだと、抜擢する理由を述べた。私は大絶賛、うざいくらいの大絶賛を送り働くのに無気力のハクを煽り彼の元に着くべきだと進めた。
乗り気のクオンに反対の意はなく、となれば保護者たるクオンの意見は絶対というわけで危なそうだからやだとのハクの意見は却下された。まあ最終的にハクも頷くのだが、うまい酒でも持ってくからどうか頷いちゃくれねえかとのオシュトル、今はウコンの進めもあり速攻で頷いた。酒の力って凄い。
拠点は白楼閣だ。宿賃をハクは心配するがクオンはあれほどの旅籠でないと秘密保持は難しい、安宿ほど壁は薄いし働く従業員の意欲も低い、時には汚れ仕事や密談する職につくならば安心して休める環境は重要だと説得したのが功を制して拠点は白楼閣に決まった。大風呂つきの宿は帝都にないそうだから私としても嬉しい限りだ。
入ったこと一度もないけどな!水に濡れれば爛れるは痣も広がるはで移る心配がないとはいえ営業妨害このうえない。奮発して旅籠に泊まった客が病人のせいでゆっくり湯につかれないってのも申し訳ないので一度も湯には入れてない。くそう!いつか入ってやる、その前に死にそうだけど、ははは笑えないわ〜。
それぞれがどうぞ宜しくと改めて名乗りをあげる。ハクが名乗った後でほらおまえもと促され、起き上がろうとしたがそれはいいからと止められた。私は寝転んだままでいいらしい、ラッキー。
「ええっと、ナナコです。特に役に立てるかはわかんないけど自分なりに頑張りますんでどうぞよろしく」
照れ隠しに手をひらひら振ると存外優しい声でネコネちゃんが応えてくれた。
「あなたは頑張ったらぽっくり逝きそうですから、無理だと思ったらそこの怠惰の権化に任せるのですよ」
「自分の扱い悪すぎだろ。そこは保護者たるクオン、いや他の誰かでも……」
男の子なんだから気張らないとクオンに発破をかけられ更に唸るハクが楽しかった。
話はそこで終わったのだろう。仕事の際はネコネちゃん、あるいはウコンが呼び出すと取り決めクオン達が席を立ち始めた。ハクはせっかくだから隠密衆結成の宴を開いてくれよこのまえ仕事終わりに皆で宴会してただろと不満そうだ。オシュ、ウコンはこの後出仕らしく仕事もいつ終わるかわからぬすまないと謝り、残念でしたとネコネちゃんがあかんべをした。
さあ抱っこ、私を抱っこしてくれオシュトル様でもいいぞと手をばたつかせるが誰もその手を取ろうとしない……え、なんで?
遠ざかる足音と何某(なにがし)かを囁く声がする。クオンとハクだ。誰に何を……戸惑うルルティエとネコネの声が近くで聞こえて、困っていると襖が開く音が聞こえた。
「ナナコはここでお泊まりな」
なんで?
「宿賃けっこう掛かるからねえ。たまには離れるのもいいんじゃないかな?」
まさかのお見捨て宣言!?
「え、でもナナコ様はお体が、これ以上悪くされても」
「てのは冗談で。いいお医者様が他にいるってウコンから聞いててね、まずは雇い主のオシュトルに許可を貰ってからってここに来るようお願いしてたかな。この後来られるって言うしついでに診て貰おうと思って」
「ああそうなのですか。わざわざ白楼閣に寄るよりはそのまま診て貰ったほうが先方に暇(いとま)もかけませんし」
「そうだったんですね。良かったですねナナコさん!」
「う、うん?憧れのオシュトル様に気遣って貰ってナナコ感激〜」
初耳だよ〜。
「あ、でもお荷物とか置いたままですが良いんでしょうか?私後で持ってきた方が」
「いいのいいの、可愛い子には旅をさせろって言うだろ。ほらルルティエは先に出てろ」
ぐいぐい押したのか、戸惑うルルティエをハクが襖の向こうに追い出し戸を閉める。内々の話でもあるんだろうか?後を引き継ぐように軽い足音をたてたクオンが近づき、耳元に唇をよせてそっと話しかけてきた。
「……立てる、ナナコ?」
ああ、ハクの言うとおり見抜かれている。優しくも厳しい声でクオンが続ける。
「立てないなら今後あなたはお留守番だよ。隠密衆は体が資本だから弱ってる人を連れ回すわけにはいかないかな」
「私だけ、のけ者?」
「ううん、事務作業とかなら大丈夫かなって思ってたんだけど見えてないならそれも難しいでしょ、だから」
「大丈夫、私はまだ大丈夫」
穀潰しは扱いされたくない。何とか役に立てるところを見せねばと、手を着き膝を立て力を込めるが体が重い。発破を掛けて勢い良く膝に重心をやり体を持ち上げなんとか立てた。どうよ!と胸を張りオシュトル様の閨でのお手伝いも出来るぜと嘘八百を並べ立て威勢をよくするけど、一人戻ってきたハクはどこまでも辛辣だった。
「客間にでも転がしておいてくれ。なんの役にも立たねえぞそいつ」
うう……事実なので何も言い返せない。
「甘やかせすぎなのです。好き勝手ほざいて宣うから調子に乗るですよ。どかっと一発、しめてもいいでしょうか?」
あわわ、閨だのなんのと世迷い言つきまくってるからネコネちゃんの声がワントーン下がって怖い。
「ハク、言いすぎかな。ナナコもそれなりには役に立つよ。ネコネも戯言だと思って聞き流して」
「何に役立つって言うんだ」
「戯言は死んでから言うです」
「いるだけで和むとか?軽口たたけるんだからまだ大丈夫だよね、ナナコ?」
「お、おう!」
それは役立たずとしか言えませんねクオンさんや。ハクも溜息ついてるし、私もつきたい。
剣呑な雰囲気を感じとってだろう。オシュトルは涼しげな声で何でもないように水を向ける。
「大丈夫だ、何かに使おうとは思わんよ。転がしておくだけでは彼女に申し訳ない。
布団を別の部屋に用意させよう。それで良いか?」
「おう構わねえぜ」
完スルーとは、さすが右近衛大将オシュトルついでにハク。当人を無視して和やかに話を決めてしまった。ネコネちゃんは敵視する存在の逗留にぶち切れ真っ最中で病人相手に手は上げずらかったのかハクのスネ蹴りで溜飲を治めたらしい。咎めるハクの声もどこか尻すぼみだ。
布団を取りに行こうとしたのだろう、それか客人の見送りか。立ち上がるオシュトルがいる方向に向かってう〜だのあ〜だの話しかけるとタイミングを計っていると、怪しさから気になったのかオシュトルがこちらに体を向け傍に寄ってきた。人気が無くなってからと思っていたが機会もなさそうなのでここらで話そうと声を掛けたけど、やっべ間近で見るとぼけてるからか妙な威圧感があって変に怖く感じる。
「如何した?」
おおっと見惚れてる場合じゃない。
「き、昨日の話なんだけどね、覚えてる?」
「何であろうか」
おまえが閨で囲うだとか引き取るだとか散々振った話だよ!覚えてない……訳ないよな、すっとぼけてるの?あくまで飄々と流す態度に私は忘れないでと声を小さくして訴える。どのみち体は長くない、少しでも好きな人の傍にいたかったんだ。
「受けるわ。ウコンの時で構わないしオシュトルの時に押しかけたりはしないから、た、たまに来る程度でいいから」
顔ぐらいは見せに来てね。
「はて、某にはなんのことやら」
「……そうだよね。ごめんなさい、訳の分からないことを言って」
やっぱり抱いたのは気の迷いだったわけね。睦言の一つを真に受けるなんて私馬鹿だなあと自重が浮かぶ。きっとふらついてたんだろう。片方の掌を取られ背を撫でられた。ハクだ、見えないけれど眼差しに労りを感じて泣きたくなったけど、ぐっと堪えて安心させないとと自然と口角があがる。
「待たれよ」
去ると思われたのか、静止をかけたオシュトルがこちらではなく奥の扉に手を掛けた。
「ウコンに用があるのだろう、ならば少々時間を頂戴したい。少し待たれよ」
急ぎの用もないので、追い出され困惑していたルルティエを再度室内に呼び戻し(体調に関してのことだから内々に話したかった、急に追い出してごめんかなとクオンが謝ればすぐに納得してくれたけど。やっぱりルルティエちゃんは天使だと思う)皆と再び扉に消えたオシュトルを待つことになったのだが……
「おう待たせたな嬢ちゃん!オシュトルの旦那に呼ばれて慌てて駆けつけたぜ!俺を顎で使うたあ嬢ちゃんもなかなかやるな!」
すぐにスパーンと襖が豪快に開き扉おくに引っ込んだはずのオシュトルがウコンに扮し現れた。ご丁寧にヒゲも羽織も装着済みっぽい。
「それ、いるの?」
「前も言ったろ、敵が多いんだよ。どこで誰が見てるか分からねえ、公私の別は付けとかねえと足下すくわれるからな。安心出来るのも部屋の中ぐらいだ……ってそのへんの事情は嬢ちゃんには関係ねえな」
うんざりした顔からいつもの人好きのする笑顔に変え用件はと尋ねてきた。緊張から湧くツバを飲み込み覚悟を決める。
「この前のお誘いめっちゃ乗り気になったんで受けますわ」
「おう、こりゃ嬉しいねえ!」
ウコンは嬉しげな声を上げ腕を組み微笑んでいるらしい。あれ、あっさり決まった……と私は流れにちょっとびっくり。なにがしかの静止があると思ったけど、こうもすんなり囲いもの(愛人、いい表現で情人)を決めていいものかともやもやしてしまう。
「話が見えないんだけどどういうことかな?」
完全に置き去りだったクオンの声に気づき、襖からのぞく耳にウコンが手招きして呼び寄せる。
「ああねえちゃん達には話してなかったな。実は昨日嬢ちゃんと」
「薬新しいのがあるって教えてもらったの。新薬でまだ安全保障は確立されてないけどかなり効果があるから試してみないかって」
「……」
なんだその間。きっとこっち見てんだろうな。見ないでよ。会って数日の相手を愛人にするつもりですってその愛人を甲斐甲斐しく看病してた人に語って無事で済むとは思えないから濁した、って配慮ぐらい汲んでくれや。
足下にはネコネちゃんもいんだぞ、自慢の兄が目の前で死にかけの病人を愛人にするって宣言されて傷つかない妹はいないよ。もしかしてこれぐらいで傷つく妹じゃない、って過信してる?いい方に解釈してくれるって実績が多少はあるんだろうけれど、そうならなかった場合の不都合を考えてほしいわ、シスコンが妹に求める要求でかすぎ。年頃の少女の繊細さを少しは気に掛けろ、ときっと見てんだろうウコンさんの視線に笑顔で圧を掛けておいた……つもりだ。
「ああ、さっき言ったお医者さんのところの奴かな。それは有り難いけど薬の話は私を通してもらわないと」
クオンナイス助け船!
「おう、ごめんなねえちゃん。なにせ朝一で届いた情報だからよ、真っ先に嬢ちゃんに知らせたほうがいいって飛ばしちまった」
ふううさすがオシュトル、こちらの配慮を汲み取ってくれたらしい。冷や汗をかいたわまったく。
じゃあ私たちはここでお暇するからねとクオン達は部屋を退室していく。お大事にとルルティエちゃんが部屋を出たところで近寄ってきた足音は、ハクだろうか?
「言っとけ、今のうちに」
「何のことなのです?」
訝しむネコネにハクはクオンの見送りに行けとうざったそうに言い捨てた。義姉妹だろと促されるがハクさんが悪さしないか見守る必要があるのですとネコネも一歩も退かず、ウコンはそんな拙いやりとりをニヤニヤ見守っているんでしょうよ。雰囲気を壊したくなくて私は断った。
「まだ大丈夫、だからまだ……お願いハク」
「クオンは捨てたりしないさ、ウコンの奴だっておまえを気に入ってる無理すんな」
「それでももう少しだけ……次はちゃんと言うからさ」
目が見えないなんて知られたら余計に気を遣わせる。だからもう少しだけ知らない振りをしてほしいと私は拝んだ。必死な姿に根負けしたのか単に哀れになったのか、ハクは溜息をついて明日は背負わねえからなと話を切り上げた。ありがとうハク。ネコネちゃんは首を傾げながらも面倒と思ったんだろう。何も言わずにいてくれた。ハクの後を追おうとして、待っていただろうクオンに止められた。
「見送りはいいからゆっくり休んでね」
ひらひらと手を振られたんだろう。手を振っとけとハクに言われ適当に振り返す。
「ネコネ、客人の見送りを」
「はいなのです」
じゃあな、お大事に、それぞれ言葉を残し一度も離れることがなかった皆の背を見送った。後には静寂が残される。
……き、気まずい。
「よう」
「は」
いやはいはマズい、目の前にいるのはウコンなんだからいつも通りの態度がいいと私は思い直して、うんと頷いた。
「ちょっと座るか」
「うん、でもええっと……」
「ほいほい、こっちの座布団に座っとけ」
手を引かれ、あのウコンに手を引かれカサついた感触とか状況に驚愕している間に引っ張られ、薦められるままふかふかの座布団の上に腰を下ろした……沈黙が痛い。
「なんで姉ちゃん達に言わなかったんだ」
目か?愛人関係か?口火を切られたのでとりあえず後者かと判断し理由を明かした。
「責任問題になっちゃうでしょ。そういうの晒す趣味もないし黙ったままでいた方がお互い良いかなって思って……いけなかった?」
「うんにゃ。気を遣わせて悪いな」
「ううん、いいの。全然構わない。騒がれると面倒だしほどよい付き合いでいられるなら何でもいいから」
「そっか」
だから、沈黙〜!!どう返せば彼は普段の元気を取り戻してくれるのか、場を取りなそうにも明るい話題などちっとも浮かばず私はない頭を悩ませながら話題を考えるのに。
「嬢ちゃんを嫁にするってのは、本当だかんな」
「……ありがとう」
明るい話題なんてけど浮かびもしない。
どかっと腰を下ろした音がした。腕を組みにっと口角を多分ウコンはあげてくれたんだろうけど、私は固い笑顔を浮かべるしかできない。
「兄様、お客様の見送りをして参りましたです」
救世主ネコネちゃんのご登場だ!待ってたぜ!ぱっと顔が華やいだんだろう、しずしずと襖を開けた彼女のなんだこいつ?的な視線を感じて我に返り大人しく俯いとく。
「おうご苦労、そんじゃ出仕の準備するからネコネは下がって待機しててくれや」
「はいなのです、そちらの方は如何致しますですか?」
如何いたすもなにも。
「帰らせてください……」
自然と口を出た言葉に素っ頓狂な声をネコネがあげた。
「残りたいとほざいてたのはナナコさんじゃないですか、今更なんです、お医者様の件もあるというのに……まさか冗談だったとでも?」
「そうです冗談ですもうそれでいいですから。とにかく帰らせて下さい。本当体弱いんで、心身が持ちません。倒れそう、ああ迎えは結構!這いつくばってでも帰りますから」
と言って顔を覆い立とうとするが、立てた膝に力が入らずへなへなとその場に突っ伏してしまった。自分でもびっくり、二人も相当驚いたんだろう。思ったより近くで大丈夫か?や大丈夫なのです?と気遣わしげな二人の声に、大丈夫です!と跳ね起きようとして突っ伏した。ガッデム、私の体弱りすぎでしょ。
「行き倒れそうなのです。行き倒れを当家から出せば恥なのです。兄様如何致しましょう?客間にでも転がしときますです?ほっとけば野垂れ死んで当家が事故物件になりそうなのです」
兄の手を煩わせてはと配慮してくれたのか、小さな手が軽々と私を助け起こした。ついで、軽すぎなのです!と驚愕し再度座布団に座らせた後で、こんな軽い人を重いと言ってたハクさんの腕っ節は枝切れ以下ですとの評価も聞こえて、自然とふふっと笑みが零れてしまった。
「元気そうなのです。家人に頼み送りましょうか?それか車に乗せてお医者様の家に送りますですか?こんなに帰りたがっているのです、真意はどうあれ引き留めて体を悪くさせては当家の恥に成りかねませんです」
ナイスフォローネコネちゃん!でもそれ経費掛からないかな?もっと簡単に追い出せる方法があるのにと、ふむと考えこむオシュトルに向かって声を掛けた。
「あ、外放り出していいよ。溝にでも埋まって関係ないよう息絶えるから」
「何を真に受けているですか!するわけないでしょう!帝都の治安を預かる館で病人放り出して死なせたなど事故物件以上の大恥ですよ!大人しく寝てるです!ご飯も着替えもまかなえないほど当家は困窮しておりません!」
ああネコネちゃんのキンキン声が耳に痛い。両手で耳を塞ぐとちゃんと聞くですと引っ剥がされた。手を耳にやろうにも結構力が強くて離して〜と訴えるがなんで振り解けないですかと逆に困惑させてしまっている。
「ちょっと待ってな、オシュトル様に聞いてくるわ」
おおい無視ですか、そしてまたも早き替え。何度もごめんよとりあえず妹ちゃんの暴挙をなんとかしてほしいけど、それを当人の前で言えばまた甲高く罵られるのは目に見えている。
仕方ない、私は潔く諦めた。ウコンが襖でないもう一つの木戸を乱暴に開けて去るのを見送る。諦めてネコネちゃんの為すがままに任せようと無抵抗でいればどうやら正解だったらしく、大人しくすれば良いのですとすぐに手を離してくれた。
病人に力業をかけるのもと遠慮してくれようだ。楽にしてくれて良いですよと気遣う声まで掛けてくれた。
ネコネちゃん優しい!無作法はすぐ兄様に報告するので遠慮なくと薦められたところで万一ときめく可能性を考えてオシュトルの脈を潰す気だと察して正座は崩す程度に留めた。私ってば努力家!……ああ、体がしんどい。
無言の圧迫は長くは続かなかった。ほどなくして静かに木戸が開き、ウコンだった名残を一部も残さず現れたオシュトルが、席を立った非礼を詫びる。
「お待たせした。ウコンより話は聞かせてもらった。迎えが来るまで休まれよ、クオン殿の許可なく帰すのも忍びない。その体で帰すのは酷であろう」
本当こいつよくやるよな……
「お医者様の件はどうしたですか?」
「ナナコ殿を引き留め雑用を頼む口実に過ぎん。忘れてくれ」
「兄様……」
ざっくばらんな説明にネコネちゃんが項垂れる気配がした。大丈夫、私も多分同じ気持ちだ。
「さてネコネ、桶と水差し、それと手拭いや包帯をいくらか頼む」
「うう……はい、どちらにでしょう?」
やっと帰れる。緊張の糸が緩んだ私だったが続く言葉に仰天した。
「ここに。ハク殿の話ではナナコ殿はご自分の手当はご自分で出来るとのことだ。まずは横になってもらい明日までゆっくり休んで頂こう。帝都巡りをしたのだろう?」
「はいなのです、ずっとハクさんに背負われてたから寝てばかりだと退屈かも知れませんが」
「退屈じゃないです。一人になりたいです。一人でいさせて」
たまらず漏れ出た本心だが、心得たと返わるにオシュトルにはどうやら伝わっていない雰囲気を察した。
「客間は狭いから某の寝所でも構わんだろう」
構うから!と叫びそうになるのをすんでで堪える。堪える拍子に頭を抱えた。いきなりの爆弾発言に脳内は混乱の真っ只中だ。構うよ、滅茶苦茶迷惑だろうがよ!私じゃなくて貴方様が!ネコネちゃん驚きすぎて絶句してるじゃん。多分だけど。
置き去りにした私を前にしてるくせ、淡々とオシュトルは内輪話にこちらを引きずり混んでいく。
「好きに過ごされるが良い。某は心配要らぬ、夜明け前には戻るのでその時にでも部屋を変わってもらえればそれで良い」
「またそんなにですか……」
「大事なお役目だ。後手に回すほど現場がまわらず民が困る。民の暮らしに直結する大事なお役目、蔑ろにするわけにはいかんさ」
「わかってはいるのです。わかってはいるのでお気になさらず。オシュトル様、どうぞお気を付けて。休めるときは休んでくださいね……ネコネは心配です」
「なるべく早く戻ろう。では支度を頼む」
ええ、本当に泊まるの?オシュトルの部屋に?
「わかりましたです。それでは失礼致しますです……ナナコさん!」
「ふ、ふあい!?」
やべえ声ひっくり返った。なんだ兄様と私に対する声の違い。
「兄様を襲ったら酷いですからね。生きて皆さんの所になんて絶対に返しません!絶対に、必ず兄様を無事にお勤めに出すのですよ、いいですね!」
「ふっ……」
兄様鼻で笑ってるけど。てか逆にこちらが貞操の危機というか、すでに貰われちゃってるというか……
「返事!」
「はあい!」
また声裏返ったよ。ネコネちゃんがふん!って鼻息荒くして戸を閉めたけど、ドゴンって怖っ!襖揺れたぞ……足音離れていくけど、ええまじか。兄様おいて?
馬鹿なの、大馬鹿なの?ストーカー自称する女を自ら引き込んで無事で済むと思ってんのこの兄妹。てかネコネちゃんも止めてよ、兄様のピンチよ。足音が遠のきついには消えておいおいマジかと肝が冷える。
このブラコン本気で兄様のいうこと聞いてるよ。聞き耳も立てず探りもしないってまじか、ブラコンにしても兄様の言葉第一って見上げた妹魂だけど今からそこの病人に手を出されるかもしれんけど構わんとかいう謎主張は止めるべきだと思うわ。兄様血迷ってるだけだから、吊り橋効果という奴で目が覚めれば絶対後悔するから思春期特有の設定だから。うわ汚い肌の女に手出しちゃったキモとか絶対あとでドン引きする……そうだよ、私ごときが本気で好かれるわけないじゃん。好かれてるといいな、とは思ってたけど冷静に考えても状況にのぼせただけだって絶対、不憫萌えって奴かな?こいつ妙に下々に肩入れしすぎだもんな。
……あ、なんか悲しくなってきた。やだ涙でそう、情けな、無言が怖いな何を言えばいいのか「ナナコ殿」
「ふ、ふあいっ!」
またも文字通り飛び上がった。勢いが付いたのか脆くなったのか変な体勢を取ったからかぐきりと音がして、前屈みになり痛みをこらえれば腰をさする感触にオシュトルの手が触れているのを自覚する。大丈夫かと囁く声に熱を感じる、心も体も。摩られながら思っていたより近くにいたのかふっと鼻をかすめる香りに思考が飛ぶ。良い香りだ、爽やかでオシュトルのイメージにぴったり。服にお香で香り付けしてるんだろうか。さすが貴族様、私とは違う。
ふいに耳元で囁く声に意識を持って行かれそうになる。
「手を握っても宜しいか」
「な、なんて?」
「手を握りたいのだが、宜しいか」
「な、何でやねん?」
「見えていないのだろう。先導しようとしたのだが、嫌だったろうか」
動揺しすぎて関西弁に成ってしまったが見抜かれていたとは思わなかった。しかも完スルーとは。右近衛大将の名は伊達じゃないなと私は感心し取り繕うのは逆に失礼と思い直し素直に頷いた。二人きりだ、他の誰かに迷惑を掛けるわけじゃない……確実に一人はキれるだろうが。そっか、今二人きりなんだ……なんか柄にもなく気恥ずかしいけど仕方ないしと言い訳して、オシュトルがいるだろう方向に手を怖ず怖ずと差し出した。
「嫌じゃないです、よろしくお願いします」
「任された。では足下に気を付けられよ」
おおう紳士や。それにしても二人きりかあ、駄目だわ緊張して変な汗かきそうで不
安になってくる。
あ、暖かい。見た目は優美なのに肌触りはかさつきごつい感触、ウコンと同じ武人の手だなあ、そりゃそうか、同一人物だものなあ。しみじみしていると手を握られ腰を押されて立ち上がる。自然と体を寄せ合う体制に温もりを意識して強ばってしまう。緊張を悟られたくはないけれどおそらくは筒抜けだ。
互いに無言のままオシュトルに導かれゆっくりと歩を進め、目的の部屋に到達したのだろう、背を下に押され逆らわず膝を着けば柔らかい感触に座布団か何かだと予測を立て、座るよう薦められているのだと察して腰を下ろした。ふかふかで暖かい。
「さて、何か必要なものがあれば外に声を掛けてくれ。大概家人が控えているので持ってきてくれるだろう。大丈夫だ、今は下がらせている。某が出立すればじきに控えが来る手配となっている」
何が大丈夫なんだろう、ちっとも大丈夫じゃない。この状況がそもそも異常なんだけど、傍に控えている右近衛大将様はこっちの機微に気づく気配はない。
「あ、ありがとうございます……」
なので、とりあえずもういいよと頭を下げるのだが、んじゃ勝手に寛いでね!なんて立ち去る気配は欠片もなかった。
無言が痛い、何故留まるのか理由も浮かばず尋ねれずお互いだんまりを続けて少し経ち、オシュトルが静かに口火を切った。
「某が、怖いか」
「……はい」
「そうであろうな。ウコンの時とまるで雰囲気が違うとハク殿も申されていたが、共通点があればどうしても人目に止まる。政敵から見咎められぬようにとはいえ、共通点のない知人など対処しにくかろう。無用の混乱をさせてすまない」
「いえあの、そんな変ってわけじゃないですから。むしろ格好いいなあって思ってたぐらいですから、謝らないでください。悩んでた自分が馬鹿みたいに思いますから……」
「そうか」
「はい……」
……会話が続かねえ!せっかくオシュトル様が気を利かせてくれたっていうのに、動転して穏やかな歓談ができないとは、くっそう口下手で申し訳ない、でもなんも話題が浮かばないんだもん。
率直に浮かぶのは、今日も格好いいですね!ご機嫌はいかがですか?ぶっちゃけウコンよりオシュトルの方が素敵です!でもどちらも大好きですよ貴方なんですから!きゃ、言っちゃった。今度の任務は楽だといいですね。全力でがんばるので貴方も死なないよう頑張って下さいね☆
ぐらいしか浮かばねえよ。毒にも薬にも、いや機密事項に関われば切り捨て御免もあり得るから、毒にしかならない会話しか振れないって人としてどうなの?大いなる父の一端なので大目に見て?誰も知りませんから!残念無念逆に幸い!何の役にも立てずごめんね。プレイ当時は本気でハクの尻をぶっ叩きたいと、いやハクは何も悪くないだいたい帝が悪「了承されて驚いた」
ふいの言葉に思考が飛んでまっさらになる。言い訳の山は霧散するが、きっとあまりに呆けていたのだろう、オシュトルが注釈をつけた。
「愛人で構わぬと頷かれだろう、それは其方の本意だろうか」
「滅茶苦茶本意ですが不都合が?」
「いや、ない……ふっ」
今笑った!?何が可笑しかった?自分で省みてもおかしな所しか見つけれなくて逆に申し訳ないけど何が面白かったの?!
「いやなに、其方はよく己を卑下するが某はそうは思わぬという話だ。自分を大切にしてほしい、これはおそらくクオン殿達もそう願っている」
痛いほど身に染みてますけどね。証拠なら我が身に山と在りますわ。体に良いからと煎じられまくった薬湯で膨れた腹、皮膚の保護にと塗りたくられた塗り薬、そのうえこれ以上傷つかないようにと全身覆う包帯を見て、大事にされてないと思える人はいないでしょうよ。
手元に視線をやってたのか、膝に作る握りこぶしをオシュトルの手がさすった。意識せず固くなる体を察して感触はすぐ消えたけど、少しばかり布がこすれる音がして息づかいが聞こえるほどオシュトルが近づく気配を感じた。
こちらを伺う様子に既視感を覚える。これって昨日見たいな雰囲気だなあと感慨深くぼんやりしていると、ついでに淫らな夜の情景まで思い出して頭が沸騰しそうになる。
そりゃそうなればいいなと願ったのは否定しないけど、昨日の今日でもう一度はないよね?ご褒美が過ぎるよね?誰に対してだって馬鹿、でも出されたものは動いているうちに無くなって無性に寂しくなったなんて、何考えてんだ私の淫乱!のんきな私でも秩序を尊ぶオシュトルが公的な場面で私を尊重するなんて有り得ないってのはわかってるよ馬鹿誰に題して言ってんだよもう!すき、本当はすぐにでも触って欲しい。
「もう一度、触れてもよいだろうか?」
あ、私夢見てるわこれ、現実じゃない。常識が飛んだ頭で衝動のまま頷けば、すぐに拳を大きい掌が覆い頬を撫でられる。何も出来ず不甲斐ない己ですまないと何も悪くない人が謝まってきて私はただただ困ってしまった。
「公私ともに迎えるべきなのは分かっているのだ。だが某には後ろ盾も大手を奮って根拠なく政敵に対抗できる力もない。その身を乞うておきながら無責任な振る舞いだとは自覚している。それでも欲しかった、非道と承知で其方が欲しかったのだ。
許して欲しい、いや許さずともよい。其方を慕っている。それだけは確かだ」
両手を床に付き頭を下げる、所曰く土下座の姿勢を取られ私は仰天した。
「オ、オシュトルさん!いえオシュトル様なにを……」
「いずれ某はこの関係を公の物にしたいと願っている」
「っ!」
「だがそれまで其方には日陰のみであって貰いたい。足場も後ろ盾もないのを承知で呑んでくれた其方にそれが何時になるか断定できぬ我が身の無力さが申し訳なく、それでも機が熟すまで耐えて欲しいとしか某には乞えぬ。無体を承知の上だ、其方ばかりに辛い思いをさせて申し訳ないがそれでも某はナナコ殿を娶りたい」
何を言っているのだろうこの人は。自分の立場が分からないでもないだろうに、乞うたのは私だ。この人はただ応えただけ。悪いことなど彼は一つもしていない。謝罪を止めたくて私はなけなしの勇気をかき集め、彼の人の体に身を寄せ膝を付く手を覆いその背を抱きしめた。
「貴方は何も悪くありません。弱い私が悪いんです。貴方が自由に動けない方だと知りながら、手の届く方ではないと分かってもそれでも私は貴方が欲しかった。貴方が付け入ったのではありません、私が付け入ったんです」
「何を仰られるのだナナコ殿、其方は最初から某を好いてなど」
顔を上げ縋りどこか咎める眼差しに少し気圧されるが負けじと私も言いつのる。
確かに三次元の存在としては見てなかったけどキャラとして好きな気持ちは否定されたくない。目を瞑り少しだけ嘘をついた。
「大好きでしたよ、今もそしてこれからもきっと大好きです。一夜限りと求められても拒否できないほど貴方に入れ込む浅ましい私を知りながら、こうして乞うてくれた貴方様をお慕いしています。
オシュトル様、だからご自分を責めないで下さい。日陰で結構、傍にいることが私の喜びなんです」
意味不明意味不明、もっと気の利いたこと思いつけよ自分と脳内でひっくり返る。無言の間が痛かった。
「……某もだ、ナナコ殿。某もなのだナナコ殿。わかってくれて、嬉しく思う」
ややあって、オシュトルの腕の中に閉じ込められる。分かってってあんた、分かって欲しいってあんた、分かったところで私にできる事なんて首を縦に振るぐらいしかできませんよ。
滑らかな外套の感触に感じ入るがすぐに離れる距離に自然と追いすがろうと手を伸ばし、顎に指を掛けられ顔を上向きに固定された。表情が見えないのが悔しい。後頭部に差し込む柔らかな感触が首を撫でる。夢うつつの、どう考えてもおかしい状況に私の頭は回らない。わかるのは、近づく吐息に目を閉じれば乾燥した唇の感触が思ったよりも暖かいだとか、口の中に侵入するのを許す間に覆い被さられ、背中に感じたのが板張りの床ではなく柔らかな布の感触だということぐらい。
どうやら私は座布団ではなく布団に座らされていたようだ。最初から、オシュトルはその気だったらしい。口上だけでなく態度でも私を求める彼の率直さに頭の悪い私は理由も分からずのぼせあがるしかなかった。
夢じゃん?の問いに出した答えはああやっぱ夢だわコレ、ぐらいだった。常識で考えてありえないから。仮面をはずしたオシュトルに体を弄(まさぐ)られるあいだ、夢だよねやっぱりとこぼせば其方がそう思うならそうなのでは?と返されたので、そうかやっぱ夢か、ならせっかくだから堪能しないと損だよねと私は流れに身を任せオシュトルの愛撫を受け入れた。
途中これから仕事なのにこんなことしてていいのと尋ねれば匂い消しの香を仕込ませているから大丈夫だと指で慣らしながら言う。この状況は前から想定していたんですね。策士ですね、清廉潔白じゃないじゃん、いいけど。
当のオシュトル様は至近距離で愉しげに肌を撫で擦(さす)るから私はどうしていいかわからず翻弄されるままだ。視力が落ちているためか感覚は敏感になっていて、些細な動きもより強く拾い上げてしまう。比例して私の反応も大きくなってしまうわけで。
「あ、ん。や、んっ。もうっ、そこばっかや、いやっ! あ、あ―――っ!」
「とても、嫌そうには見えぬのだが」
身をよじり悶(もだ)える私に口付けを送りながらオシュトルは指の抜き差しをやめない。見えなくても近くにあると見えてしまう程度には視力があるから、綺麗な顔立ちの男が凶悪な色気をただよわせ哂(わら)っているともうどうしていいかわからなくなる。超近距離で興奮し息を荒くしてるのから目も逸(そ)らせないなんて拷問に近い。
しかも汗をかいてる、私だけじゃなくオシュトル様が。どんだけ興奮してるんだろ、乗り気ならそっちの好きにしてと見えないのをいいことに任(まか)せようとするのだが、手で胸をこね尻尾のある箇所を押し器用にも顔を近づけ耳を甘噛みされれば任せるどうこうじゃない。喘ぎもするし身じろぎもする。この後仕事なのにオシュトルは着物が触れ合うぐらい身を寄せてきて、しかも鼻先がくっつくぐらい丹念に口内を蹂躙(じゅうりん)するから蕩(とろ)けそうな表情がもろ視界に飛び込んできて心臓に悪すぎる。
さすがにこれ以上は仕事に差し障えるのではと脚を広げるのを手で押し留めるが、両方とも片手で抑え込まれ止める手立てを失った。オシュトルは涼しげに、終われば仮面で顔を隠すので問題ない、こちらに集中してくれと取り合わずゆっくり侵入してくる。右近衛大将様は結構面(つら)の顔が厚いみたいだ。
繋がるさい、どうして今抱くのか喘ぎながら疑問を提示すると真摯にオシュトルは答えてくれた。
ウコンに取られた気がして我慢ならなかったらしい。出仕前に既成事実を作り安心したかったのだと結ぶ答えに、同一人物だから別にいいのではと返すのはあまりに空気が読めてない気がして、両方のものになれて嬉しいとだけ返しておく。
途端大きくなり激しく突っ込まれた。解(げ)せぬ、煽(あお)る要素どこにあった。
ひんひん鳴いて未(いま)だ状況を飲み込めない私を置き去りに、オシュトルは好き放題揺さぶり私の名を連呼して、ついに敬称を付けず果てた。
抜き出て身を起こすオシュトルと対照的に私に体を起こす余力はない。息を整え余韻に耽(ひた)る合間、オシュトルはウコンの時はこれぐらいであったなと恐ろしいことに指で数える仕草を見せた。か、数えていらっしゃった……!?その回数はなんだろうと不安になる私にオシュトルは微笑み、もっと抱きたいと覆いかぶさってくる。
「職務に障ってはならぬ。着物を着たままですまないが」
「ならっ、ん……しなければ良いんじゃないですかね? あ、汗これ以上かいてぇ! う、うぅ……」
「汗が、なんと?」
オシュトルは意地悪だ。私が少しでも落ち着こうと話してるのに、さっきまで繋がっていたところを断りなく指で浅く弄(いじ)り始めた。やめてといっても聞く気はないのか汗がなんととしか返さない。私が羞恥に悶えるさまを楽しんでいるようだ。私はたまらず顔を逸らし呼吸を荒くしても吐息を早めるだけなのがムカつく。童貞だと昨日言ってたけど絶対嘘だ。
そうして私がだんまり決め込んでも構わず指を増やして抜き差しするから音やら振動やらが所かまわず聞こえてひたすら恥ずかしい。喘ぎも我慢できないのが辛い。まるで我慢比べをしてるみたいだ。実際オシュトルはそのつもりなんだろう、私が応えない限り動きませんというようにいつのまにか指以外無反応でこちらを観察していた。
耐えていても事態が変わる見込みはなく、仕方なしに口を開く。
「へ、変な勘違いされちゃう、かもしれないのに大丈夫なんですかっ、っひ! って、あ、やっ、何でまた、おっき、や、だめ、あ、ああ゛ん、やあ――――――!!」
前触れなく指をすべて抜かれ、いきなり押し入られあがる嬌声に恥じ入り口を閉じようとした。しかし口内は侵入してきたオシュトルの指で閉じきれず、口を大きく開かされ律動のままにだらしなく喘ぐしかない。
ばちゅばちゅぱんぱん、ぐちゅどちゅぱちゅ。
肌がぶつかる馬鹿みたいな音に出来の悪い頭が更に悪くなる。あのオシュトルが汗を流し私の上で一心に揺れるさまが嬉しくて恥ずかしくて、どうにかなりそうだった。
湧いた頭で、立場を顧みて仕事を優先すべきと何度目かの提案を口にしたが当然の理屈は間近で見える暴力的なまでの綺麗な笑顔でいなされる。
「鍛錬に励んでいたと言えば、っ済むことよ。しなければよいのは確かだが、機会は多い方がよいだろう。どちらが孕まそうと支障はないが、某は某で、はっ……ナナコを孕ませたいのでな。少々、付き合ってもらうぞ」
「もうムリ、きのうもっきょうも、もっ、ずっといって、イってばっかで、おかしくな。
あ、あ、い、や、い、あ゛っ! ふううぅぅん……」
「男冥利であるな。存分に狂うてくれ」
二度目の情交で慣れてないはずなのにオシュトルは私の腰を掴み好きに動く。たまらず口を閉じ身じろぐが、自然と離れる体を押し留めすぐに腰を打ち付けてくるから、私だけが喘がされていかされるのが理不尽極まりない。涙をこぼせば舌で舐めとり器用にもあいた片方の手で胸まで揉みしだくから私はずっと泣きっぱなしだ。
「……それとも、本気で嫌なのか?」
やっと口から指が抜かれてオシュトルの律動が止まった。荒い呼吸を整えながら心配そうに見下ろしてくるオシュトルにそうじゃないと息も絶え絶えに説明する。
「いや、だったら、もう、にげてる。な、れなくて、はずかしくて、どうすればいいかわかんないの。あなたは好き、だいすき、ずっとこうしてたっ、あぁ!」
思わ漏れた本音は言い切ることなく、律動を再開するオシュトルに揺さぶられて霧散する。
何がいいのか、吐精し私が果ててもオシュトルは情交を終えず奥まで突きあげた。悲鳴を上げ自然身をよじり逃げる素振りをする私をオシュトルは両の手で抑え込み行為を飽きず繰り返す。
喘ぎ何度もイかされて、やんやん揺さぶられる間に浮かぶ疑問が口から零れ出た。
「わ、私に拒否権は? あと童貞ってウコンが言ってたのにどうしっふっ!? なっなんでまたおおき、や、やん、いやっ!」
「閨で、他の男の名を口にするのは……某でもっ許せぬな」
「同一人物、同一人物だからっ! 嫉妬しないで、や、もう……ぬいてえぇぇ!」
お腹はもう一杯で入らない、苦しいと訴えるのに体調の悪化ではないと確認したオシュトルは私の要請を聞き流し、散々嬲(なぶ)りながら教えてくれた。
童貞は確かだが坊主だと言った覚えはないと。男所帯育ちゆえ女を抱かずとも欲を律する術は熟知している。廓(くるわ)に通う者もいるがこの地位についてからはご無沙汰なのも確かだと。もっともウコンはそうでも某がそうだとは言っておらぬと嘯(うそぶ)くので騙された私は憤慨しオシュトルの耳を引っ張った。
「わたしっで、なん、にっ……」
揺れる視界で涙ながらに責めるとナナコ殿が最後であるよと悪びれずに微笑むから力が抜ける。過去のことをどうこう言うのは窮屈かもしれない。今はオシュトルが私を見て私もこれからオシュトルのそばにいれるなら、まあいいかと思っておこう。私は一応納得し再度愉しげに体を弄り始めたその人に身を委(ゆだ)ねるのを良しとした。
オシュトルは中々にやり手だった。嬲るくせに言葉は労わりに満ちていて絆(ほだ)され許すうちに体位が変わり、気づいた頃にはぐずぐずでそろそろ止めてほしいこちらの意図は結局飲まれることはなかった。
初めからない選択肢を提示したくせにまるっと無視して、良い笑顔で自分の好む方に誘導するこの人を清廉潔白と評価する世間の感性を疑ってしまう。見た目豪快なウコンと清廉潔白を体現したかのようなオシュトルは内面に関しては正反対っぽいなと思ったけど共通点を今日いやでも見つけてしまった。欲張りで我を通す、悪人だから問題にならなかったがこの気性はとても厄介だなと思った。でもそれがどうしたという話だ。オシュトルもウコンも同じ人だから何も問題はない。何故私は考えても仕方ないことに頭を悩ませているんだろう……
そんな益体(たくたい)のない考えも、押し広げられる内にどうでもよくなりオシュトルが満足するまで淫蕩に耽(ひた)りきった。嗚呼(ああ)恥ずかしい……
凄かったな……
乱れ切った布団に背を預け天井を見上げなんとはなしにそう思った。
原作で亜人は動物を掛け合わせて強くしたと帝は語ったが、情交に関しては口にしていない。人それぞれだと思いたいけれど、閨事に関してはオシュトルは情深く私は狼狽(うろた)えるばかりだった。
夢だと思った一時はどうやら夢でなかったらしく。事が終わり人心地ついた私は目をパチパチしばたかせ、冷静になった脳内で己がしでかした醜態を省(かえり)みて一周まわって大混乱の真っ只中にいた。ウコンもそうだけどオシュトルも面の皮が厚すぎて欲が深い。ついでに言うなら流される形で私も開いちゃいけない内の内までさらけ出してしまったのが恥ずかしい。
言っちゃったよ。好きだの何だの愛してるだの。
素直に口走ったのが好意ぐらいで幸いだったのか、ハクに関して匂わせる文言を口にしなかったからセーフではあるが、体を使い私の狙いを探りに来たオシュトルにとっては逆にドン引かせ最悪だったかもしれない……まあいいや、好きなのは本当だし。
自問自答する私だけど何度目かの事が終わった彼は冷静そのものだった。夜の、今はまだ昼だけど、名残を全く感じさせない。名残と言えば、身を引きふうと溜息をついて額の汗を拭ったぐらいだ。後は私に好き勝手した残滓ぐらい。そういやこいつも中出ししやがったわ……何なの、避妊しようぜ。私は妊娠オーケイだからなってそれとなく伝えても遠慮無く出してきやがったし。今どんな気持ちなんだろ、相変わらず表情が見えないのが口惜しい。今は服に袖を通し身なりを整えているようだ、衣擦れの音でなんとなく分かる。
それにしてもオシュトルは何をしても様になるなあ。体力ゼロの私は仰向けになって息を整えるので精一杯だ。もう指一本も動かしたくないしはだけた着物を整えたいけど、身じろぎすれば全身が痛いのでとりあえず落ち着くのを待っている。
息切れが酷い。現状はマッパに等しい状態だ。包帯までひん剥かれたから隠すものは何もない。嫌だと言ったけど替えねばと力尽くで剥ぎ取られてしまった。引かれるのが怖かったけど、オシュトルは綺麗だと最後まで優しかった。
痛くないからまあいいかと懇願されて好きにさせたけど、やはり見せるべきじゃなかったかもと今更後悔。気分の上下が凄まじくて我が毎ながらしんどくて困る。
「すまない、無理をさせたか?」
「ぜ、全然……?むしろこちらこそごめんないって言うべきかも、しれないですし……?」
「理由を問うても宜しいか?」
「貧相でつまんないでしょ。ああ大丈夫、言わなくてもわかってるから」
「なるほど自己評価が低すぎるのが其方の欠点か……む、涙が」
頬に振れる感触は指だろうか。確かに冷たい感触がさっきから在ったなとそっと拭われるのを許した。離れていく温もりが名残惜しい。首を動かせばやっぱり痛くて、顔が引きつったのか、楽にしていいと耳元を撫でられてついうっとり動きに身を任せるけれど、やっぱり長くは触れてくれなくて、残念だなあと離れる温もりを見送った。
「オシュトル様の手は温かいんですね」
「某の手で良ければいくらでも貸そう」
「申し訳ないです、暖になりませんが機会があればこんな体で良ければいくらでもどうぞ」
さすがにもうそういう気は起きないのか、出仕の時刻も近いのか。では触れるぞと声を掛けられるも乱れた着物を整えようとしてか腕が取られ着物を正された。整えながら静かな声が振ってくる。
「魅力的な提案だがそろそろ行かねばならぬのでな、できるだけ早く帰る。それまでゆっくり休んでくれ」
胸元を正し去ると思ったその人は私の耳元に口付けた。そこは彼に何度も噛まれた箇所で、また大混乱に突き落とした私を慈しむように嬲るように熱っぽい吐息を吹き込んでくる。
「見送りはいい、できるなら明日も明後日も某の傍にいて欲しい」
……この人疲れで頭湧いてんじゃないかな?朧気だけど切なげに見つめてそうな気配まで感じて私は一層本気でオシュトルが心配になる。変な幻術掛かけられてるかも。政敵辺りに弱みを探るためついには呪術を行使されてなんの因果か私に引っ掛かったとか。だって私一般人だよ一般人、望めばお姫様と婚姻結べそうな人が私の手を取り将来を望むなんて、どんなおとぎ話なんだっつーの。
「……」
「すまぬ、無理を言った」
「いいえ、不遜と承知でこちらの方が不埒な夢を見ていました」
困らせたい訳じゃないので私は素直に謝った。気になったのだろう、怖ず怖ずと尋ねられる。
「聞いても、よいだろうか?」
「今日も明日も明後日も、貴方が隣にいる夢です……身分違いを承知で過ぎた夢を見ました。不躾でごめんなさい」
「不躾など……」
オシュトルは言いよどみ言葉を続けられない。彼の立場を省みれば気軽に約束を結べる身分でないのは当然だろう。口約束程度頷いてもと思っても生来真面目な彼のことだ、たとえ気休めでも果たせない約束をするのは気が咎めるんだろう。提案はされたし頷いた。今はソレで良しとすべきだ。もうオシュトルってば、真面目さんなんだから☆
「大丈夫ですわかってます、言いふらせば破滅するだけの関係です。でも思うのは自由でしょう?貴方の言葉に少しだけ思い上がっただけなので聞き流して頂いて構いません、私は、貴方の傍にいれてすごく幸せなんです、例え公にできない関係でも嬉しかった。だからつい口が滑った、それだけですから」
叶うなんて本気で思っちゃいなかった。突然思いは叶ったが続けるには相応の覚悟がいる。愛されてもいづれ終わる関係だったはずだ。オシュトルは貴族、私は平民。
オシュトルも分かっているだろうに不満げな表情に私は苦笑するしかない。
「よもやこれきりとは思うまいな」
「続けられると、思ってもよろしいのですか?」
「是、とだけ言わせてくれ。某は嬉しかったのだ、適うなら常世まで、とすら血迷っている」
本当に血迷ってるよそれ。苦笑いを当人も浮かべているんだろう、溜息をつくが自然と口角が上がってしまいちょっとだけ気持ちも上向いた。手放しはせぬと呟く言葉に薄暗い情念から浮かぶ喜びを胸に微笑む。
「それはようございました」
後はお互いだんまりだけど悪くない雰囲気だった。微かに鳥の鳴き声がして、誰かを呼ぶ声が聞こえてくる。視界はまだ暗くなくだが夕暮れが近いのか、ひんやりした空気の感覚が肌を撫でて夢の一時中断をさりげなく主張してくる。夕餉も近いのか、近くの武家屋敷から子を呼ぶ声に応える幼い声がなんだか懐かしかった。見えない視界が揺れて抱き起こされ肩を抱かれたのだとわかった。痛くはない。視線を向けるが彼は何も語らず横に座り私を抱き寄せ膝の手をもう片方で覆っていた。
言えぬ事が多い人、だからこそ出来る範囲で好意を示そうとしているんだろうか?
そう推測を立てた私は流れに身を任せ大人しく彼の肩に頭を垂れている。着物を整えて貰った後は二人布団に座して彼の肩を枕にじっとしていた。額に温もりを感じてオシュトルも頭を寄せてきたのだと悟る。それ以上に進展はない。互いに無言、でも悪くない、むしろ心地よい感覚に身を浸らせた。
少し経ち、約束の刻限に近づいたのかネコネちゃんがオシュトルを呼ぶ声がして肩に触れていた温もりが離れていく。
「行かねば」
名残惜しさから愚かにも引き留める真似はせず黙ってその背を見送る。
扉を開ける際、何か言いたげにこちらを振り返った気がした。待っていてくれと遠慮がちな要求が突きつけられる。
「それと、できれば今後様をつけるのは止してほしい。其方は某の情人だ、対等でい
たい」
「……善処します」
納得はしたようで、頷かれる。
「どうかゆるりと休んでいてくれ。いずれまた」
「ご武運お祈りしております、行ってらっしゃいませ」
「……」
え、何この間。不躾だった?家人でもないのに馴れ馴れしい物言いだった?奥様気取りってもしかして警戒されてる?いやいや、だってあんた貴族様やん、いってら〜、なんて挨拶は不敬すぎて失礼かと気を利かせたつもりだけど、逆に無礼だっただろうかと、私は慌てて取り繕った。
「なあんて、御武家様ってこんなお見送りをするって話し聞いたことあったから。一度してみたかったの。ごめんね、失礼すぎた?」
やっぱ言葉おかしくて迷惑だった?
「いや、嬉しかったとも。明日も其方に見送られたいと思った、できれば正門まで……過ぎた願いだな。まずは元気になって貰わねばそれも叶わぬ。養生して早く出会ったときの奔放さを取り戻してほしいものだ」
「私はいつだって淑やかです!」
「ではまた」
おおい無視かよ!ふふって笑ってるの聞こえてるだからね。ぷんすか怒ってみるけれど状況の改善には成功したらしく、オシュトルは楽しげに戸を閉めて去って行く足音を見送った。
足音が聞こえなくなってから、私ははあと溜息をつき体の力を抜く。
緊張しためっちゃ緊張した。
……疑われているのはわかっている。間者、に見えなくもないよね私って。好きな気持ちばかり空回りして体が心も状況もちっとも付いてこない。何やってんだろうなあ。悲劇を防ぎに来たはずが好きな男と寝てばかり。怠けてるハクを馬鹿に出来ない、いやハクは頑張ってる。流されてばかりの自分と比べちゃ駄目だ。不毛だ、不毛な問答ばかり堂々巡りしていい加減に疲れが堪えてるだよきっと。
……もう寝よ、そんで休もう。考えるのは後回しだ。もう頭を使うのに疲れてしまった。ゆっくり寝て元気になって、そんでハクと合流すれば忙しい任務に忙殺する日がが自ずとやってくる。忙しさにかまけたら不毛な考えに浸る余裕もなくなるだろうし……それまでどうか持ってほしい私の体。きっと無理なんだろうなってのもわかってるけどさ。やだなあ、強く生きたかったなあ。
ほとほと弱り切った体を布団に横たえた。さっきまで無臭の布団には先ほどの情事の名残が山と残されていて嫌でも現状を訴えてくる。かすかに感じる爽やかな香りはオシュトルのものか、香を家人に焚きしめさせているから当人の体臭がナナコにはわからないのだろうと情事の合間にそう囁いていたっけ。オシュトル……ずっと一緒にいたかったけど、やっぱ無理っぽいわ。ごめんね、明日も見送りできると良いんだけど。少しでも彼の名残を感じたくてしわくちゃになった布地に顔をよせるけど眠気には勝てず、すぐに瞼が落ちてきてそのまま暗い水底へと意識は沈んでいった。
風と行く