7話 病状隠してヤマト観光里心
夢は見なかった。
疲れてたんだろうとまどろみの中独白を聞いた気がする。痛くしてすまないとも。優しく頭をなでる感触にクオンと囁けばちょっとだけ乱暴に頭を擦られる。
薄目を開ければウコンがいて、明朝の薄靄を感じさせる冷たい空気に朝の訪れを実感した。思考はまだ眠気の中をただよっていたから、仰ぎ見る姿にいやちょっと伸びてるひげに手入れしようよと呼びかける。オシュトル様と飛び出そうな言葉はなんとか堪えた。
ああ夢を見ている。物語では死んだキャラが目の前で生きている、なんて素敵な夢なんだろう。
「また後でな」
片手を振り立ち上がる姿に、ああもうそんな時間かとぼんやり思う。
「……おしごと?」
「おう、色々溜め込んでるから済ましてくる」
「そう、行ってらっしゃい」
横になったまま見送る私にウコンは顔を近づけた。互いに頬を擦り合わせ触れる感触、目の前がウコンで一杯になり自然と頬に熱が溜まる。
「ふむふむ、俺のカミサンは照れるとしかめっ面になると。なるほど」
「とっとと行ってきて!」
「怖い怖い、行ってくるぜ。良い子で待ってろよ」
「……待ってるから」
早く帰ってきてね。
向ける背に羽織が翻り、出て行く男の背中を言えない言葉と共に見送った。夜更かししたのに足取りが軽やかでさすがオシュトルだなと思う。その背に誰かが重なる。
今のハクがオシュトル様と同じ格好をすればきっと私は間違えてしまうんだろうな。現実の悲劇は沢山だ。襖が閉まるのを見届けて私は再び布団に潜り込み高いびきを決め込んだ。
朝だよ、朝が来ちゃったよ。小鳥のさえずる声で目覚めた私はとりあえず夢か現実を確かめようとに頬に手を伸ばした。痛い、つねっても現実は覚めない。怖々下をのぞき見て衣服に乱れがないからほっとしたけど、肌に刻まれた残骸が意図せず見えて驚き身を固くして、変なところに掛かる負担からはしる下腹部の痛みに呻いて昨夜の出来事は夢じゃなかったと思い知った。
やばいよ、やばすぎだよ。童貞こじらせたつってたけど後処理完璧ってどこでその知識得た。童貞説やっぱ嘘かな?違くて!まだ原作で言えば序盤も序盤に関係持つってしかも憧れのあのキャラだよ!大盤振る舞い過ぎない?私運良すぎ、え、死ぬの?ここで一気に運使ったから即死ぬ展開じゃないよね?やだ〜御免被る、んな事に運使いきるのなら推しキャラの死亡フラグ回避してから死にたい。でもこれからどう動けば良いんだろうか……
よし、見なかったことにしよう!そうすれば万事解決、原作通り事が進み世は事もなし!
……だから、原作通り進んじゃまずいんだってば。
目を閉じ今後どうすべきか悶々と悩む中、廊下からばたばたと軽快な音が近づいてくる。多分クオンだ。
私は寝坊を責められる前にと慌てて飛び起きた。同時に襖は開かれ放って置いてごめんねどこか調子の悪いところはない?と慌てた様子でクオンが駆け込んできた。
駆け込んできたはずなんだけど、様子がおかしい。ぼんやりと輪郭や色彩だけだ。顔が見えない。よく見れば周囲もぼやけていて、あれ私目いつの間に悪くなったんだっけと思い返して理由が分からない。いやいや寝ぼけてるだけだわと胸中で言い聞かせておはようと返す。すぐに朗らかに挨拶を返され自分で手当が出来たんだねと褒められた。よかった、何も気づかれてない。
クオンは夜留守にした謝罪と朝食のお誘い両方持ってきた。私が謝られることないよと言うと、ほっとしたのかいそいそ嬉しげに朝ご飯を楽しみに浮き足立っている。
「今日は良い天気だから日向ぼっこをお勧めするかな。体温上がればもっと調子よくなると思うし」
うん、見えないから襖の向こうの景色もあなたの表情も。どう歩けばいいかもわかんないんだけど、それを言えば心配かけるからとりあえず元気だけど脚が痛くて一人で歩けない、お願い引っ張ってと強請ってみる。
驚いたのか心配そうにクオンが寄ってきて様子を尋ねる。そっちにいるだろう所に立って歩いてみるけれど遠いものはぼんやりとしか見えないから相当ふらついてたはずだ。もういいからと手を取られ、朝食やめとくと伺われてしまった。すこぶる元気と装えば一人放置を危ないと気にかけてくれたのか、先導を買い連れ立つのを許してくれた。
うん、嘘は言ってない。ただ目が見えにくくなっただけだ、だから大丈夫だ。少なくとも帝が後はなんとかしてくれるだろうと震える体を叱咤して、きっと心配そうにこちらを伺ってるだろうクオンの手を強く握る。大丈夫、近ければまだ誰かの判別が付く。だから大丈夫だ。まだ生きていられる、諦めてはいけない。
「……ナナコさん、本当に体調悪かったんですね」
朝食の席につき運ばれている膳をつついていると、おはようございますと声を掛けられた。ネコネちゃんだ。隣りに腰をおろしたみたい。
「昨日は失礼しました。あの後兄様に叱られて姉様からもお体の状態お聞きしました。見た目で判断するなんて人としてあるまじき振る舞いです。無理をさせて申し訳ありませんです」
自分を責める声音だった。少しは堪えたらしい、といってもネコネちゃんは何も悪いことしてないから私は大丈夫だよとそれらしき輪郭に答えた。
「いいよ、私も無礼だったしお互い様だよ。お礼に〜お兄様と仲良くできる手引きしてくれたらチャラにしてもいいかなあ、なあんて……」
それにしても姉様か、私不在の間に親睦を深めたらしいクオンとネコネちゃんは義姉妹とお互い認めるほど仲良くなったわけですか……羨ましいなあ、私もネコネちゃんと仲良くしたいんだけど、つい口に出るのがお兄さん好きです宣言だから、兄ラブのネコネちゃんは私をよろしく思えないみたいだ。
ほら、ちょっと軽口叩けばふしゃ〜と威嚇されてしまった。
「前言撤回なのです、この人めちゃくちゃ元気なのです」
「と思ったけど、一番はオシュトル様だから手引きはやっぱいらないわ」
「腹が立つのです。代わりにハクさんを蹴らせて頂くのです」
「なんで自分!」
とばっちりだと上がる悲鳴にハクが近くにいることに気づいた。私はハクの姉代わり、つまり姉の不始末は義理の弟が拭うべきだからお鉢が回ったんじゃない?といえば納得いかんとぶすくれ、ついでおはようと斜め向かいにそれらしき影が座る。返事をして周囲の和やかな喧噪を魚に朝食を頂いた。
その際今後どうするかハクとクオンで打ち合わせをした。特に急ぐ旅でもないクオンは私たちが独り立ちをするまで付き合うつもりらしく、しばらくは帝都を拠点にハクと私が一人でも安心できるぐらい落ち着くまで世話をすると再び宣言、ついで帝都観光も出来たらと話を締めくくる。
ハクも異存はないようだ。ぶっちゃけ見放されたら路頭に迷うしかないので誰も反対しない。一目的も何もないのだから自活できるよう頑張るほかないのだが。私は瀕死、おまけに文字も読めず。当面ハクと私は文字をクオンから教わり店番や売り子など体力を使わない職場に就職できるようがんばるという方向性に決まったようだった。
後から来たルルティエちゃんは貢ぎ物の運搬も終えたので故国からの指示があるまで拍楼閣に逗留を決めたらしい。さす、が末子とは言え一国のお姫様、宿泊費すごかろうに懐の心配もしてないなんて。「大丈夫、ルルティエは良妻賢母、しめるときはしめるから伴侶にお勧めですぜ」とハクに囁くが自分の心配しろよおまえはと流された。
となれば、後は手習いに邁進すべきなんだけど、目が見えなくなってるのいつ明かそうと頭を悩ませるものの女性三人は何やら色めきだっている。
あそこに行きたいあっちがいいだの騒いでいたのでどうしたのか尋ねると食事の後は身支度を調えて帝都見物に赴くようだ。いいな、私もいきたいと声を上げるが全員に却下された。曰く「悪化したらダメ」「興奮も過ぎれば毒」「大事を取るべき」「面倒」ハクだけ適当だなおい。
ぶーぶー渋るが四人とも折れてくれない。体悪いのになぜ行きたいのかと逆にハクがこちらを責めるように言うので、楽しそうだからと叫べば嘆息された。もちろんそれは建前だ。本音は死ぬ前に一目帝都の姿をこの目で見ておきたかったんだ。明かしたら悲しむから言わないけれど。
そんなこんなで折れない三人に困っていると意外な所から助け船が寄こされた。
ちょっとお取り込み中すいませんと現れたのは完全な部外者だ。だが三人の反応から見ると、人の良さそうで頼りなげなひょろっとした叔父様らしい。最近帝都にやってきたその人は旅の一座を率いる座長さんで昨日私が歌っていたのを厠に立ったさい聞いて感動に打ち震えたようだ(本人談)。
聞けば帝都はライバルが多く芝居小屋は人こそ入れど一座を維持するのでとんとん。知名度も一座の規模も劣る自分たちでは太刀打ちできない。地道にやるのに不満はないが、腕に覚えがあっても淡々と今の状況を続けていては劇団員達やる気も下がる一方。
景気づけで泊まった宿であれほど心震わせる歌を聴けたのは僥倖だった。聞いたこともない曲調に驚きはしたがとても良い歌だ、世界は広い。小さい一座で大した給金は出せないが暇なときでいいから芝居小屋で一曲歌って欲しいと私に乞うてきた。膝を着き頭まで下げているらしく、おまけに朝食の席に同席していた劇団員達も集まってきてお願いしますだのオレ達を助けるためにもどうかと続いて頭も下げてきたようだ。
ハク達の困惑する声が聞こえる。とりあえずクオンに促され頭はあげたようだけど、こちらを伺うように静まり返った周囲の気配が痛い。
……なんてことだ、まさか聞かれていたなんて。あれは旧人類が繁栄していた時代の歌で雅楽や三味線に通じたヤマトの民に受けいられることはないと思ってたけど、好きな人は好きらしい反応に嬉しくもあり戸惑いもありで私は困ってしまう。
なにせその道のプロでもないし私は病弱、練習なんてほとほと出来ない。迷惑をかけるだけではとクオンを仰ぎ見る。しかしクオンはどうやらその話しに乗り気らしく、一曲だけならいいんじゃない?他に稼ぎの宛があるわけでもないしと私に勧めてくる始末だった。
ハクに至っては、どうせならこの場で一曲歌えば歌の下手さに諦めてくれるんじゃんねえかと助け船どころか泥船から外界に突き落としにくる。
くそう人事だと思って!目立つのは苦手でと呟けば幕間越しでもいいからと逃げ道も塞がれる。
ううう、下手くそですよ?本当下手くそですよ?と念押しする間になぜかか試しで歌う流れになり周りに迷惑がと囁けば姉ちゃん頑張れといらん合いの手が入ったので、仕方なく腹をくくる。もうヤケクソだった。
反応が怖いので目を瞑り絶唱する。何でもいいと聞いたので日本人なら馴染みの唱歌や個人的に好きだった悲歌など邪魔が入らないのをいいことに歌いきった。
ぜえはあ息をつきどうですかと目を開ければ感嘆の嵐で(あのネコネちゃんまで一生懸命手を叩いているようだった)、トントン拍子に私の出演が決まり次の日程やその次の日程までクオンが座長達と打ち合わせに精を出す。えええ、ロックに感嘆ってええ……
戸惑う私をよそにクオンやルルティエは素晴らしかったですだの頑張ってねナナコ見に行くからとクオンは嬉しげだ。
違うからこれ私が考えたんじゃなくて全部好きだった故郷の歌でと呟けば関係ないかな、覚えて歌えるだけでも素晴らしいおかげで名曲に巡り会えたと宿の客達は歓喜している。その中には私の外出に大反対だった三人も一緒で、さっきはあんなに外出を渋ってたのにと呟けば腕を組みだんまりのハクがそりゃそうだろぽそりと零した。
「目標がありゃ簡単には死ねなくなるだろ。おまえ真面目だから予定組んだら頑張るだろ、それを見越してだよ。こすいだとかがめついだとか思うのはよくないぞ、皆ナナコを心配してるんだからそうしょんぼりせずにだな……」
「ハク〜」
尻尾の洗礼を受け今日も元気にハクは床を叩いている。一言余計だがハクのおかげで元気が出た。皆の好意は素直に受け取っておこう。
でもそれはそれ、これはこれという訳で。死ぬ前にもう一度だけ帝都の雰囲気を私は味わいたかった。ダメ元で同行許可をクオンに願い出る。閉じこもっていても気が滅入り歌の練習や打ち合わせにも身が入らない。外の風を浴びて気分転換したら元気になるかもと訴えた。
最初は渋面だったけど、引っ込み思案の私が人前で歌う意欲を見せたためか無理をしない約束でお供の許可が出た、やった〜!
……と勇んだものの、やはり早計だったのだろう。靴はなんとか履けた。伝い歩きで廊下を行く様から見かねて女の子達に手を引かれたので廊下はなんとかなった。玄関で靴を用意してもらって外に出るが、足下が不確かの所を急に歩いたものだからものの見事に頭から転んだ。
引き返すようクオンにきつく言われるもハクの背中を盾にして、手を引いてもらえれば大丈夫だからと訴える。正直限界を感じていた、でも最後に皆で帝都を回ってみたかっんだ。
ちっとも大丈夫じゃないだろう!わめくハクを無視して玄関にといつく私を引き剥がそうとする手に抗おうとるがあっさり引き離された。力を込めすぎたのか引き剥がす際手を離したのか、勢いよく白楼閣の玄関に体を打ち付けた。痛かった。
慌ててハクは平謝り、クオンは打った箇所を確認して大したことなかったんだろう、ほっと息をつきすぐに私の無謀を叱った後、それでもこちらの意図を汲んでくれたのか「今日だけだからね」と同行を許してくれた。
「ハク、ごめん……」
ハクに背負われながら大通りを行く。町はこの時間帯でも賑やかな喧噪にまみれていて皆とても楽しそうだ。少しだけ先行くクオンやネコネちゃん、ルルティエちゃんも歴史や名物の話題で盛り上がっている。昨日の名残が垂れて布に染みたらヤだなとかふざける内心も今は自粛中だ。
自責の念にかられたのか私を背負うハクの足取りは心なしか重いように感じる。せっかくの帝都見物に水を差してしまった。短慮を謝れば首を振られる。
「もう謝るなって言っただろ。それにそれはこっちの台詞だ……無理に引っ張って悪かったな、痛かっただろ」
「うん」
「こんにゃろ……返ったらちゃんと手当受けろよ」
「うん」
「おまえ軽すぎ飯ももっと食え、無理はすんなよ」
「それも頑張る。だからハクも自分を責めないで元気出して」
「おまえが重いからゆっくりなんだよ」
「何を言ってるですか、軽すぎってさっき言ったばかりですよ」
あああ指摘せんといてネコネちゃん、うぐって詰まっちゃったからハク。
「ネコネ、そこは流しておかないと。せっかく仲直りしたんだし」
「姉様はハクさんに甘々なのです。誰かが厳しくしないとハクさんは女心も分からずだらずなまま一生を終えるのです。ゆるくしてもハクさんの得にはならないですよ」
十分全員厳しいルルティエ以外とハクが呟いたので、目ざとい私は早速ルルティエちゃんを呼びつけて、今ハクを慰めればころっといっちゃうよなでなでしたげて元気出るから!と焚き付ける。真っ赤になるルルティエちゃんにハクは無視していいぞ〜と相変わらず二人をくっつけようとする私にうんざり気味だ。だがルルティエちゃんはどこまでも天使だった。
「元気を出して下さいねハク様。辛いときもあると思いますがルルティエはずっとハク様の味方です。今日はハク様の好きな物を食べに行きましょう。昨日付き合ってもらってお礼です……それと、ナナコ様?」
「は、はい?」
「周囲に目を配るのは大変よろしいですが過ぎれば迷惑にしかなりません。ご好意は嬉しいですが、ハク様が困られるのはとても辛いのでよろしれば今後このようなことは……」
彼女なりに勇気を振り絞った忠告だったのだろう。ああでも残念、最後は尻すぼみになっちゃって、それも俯いてもじもじしちゃうなんて、ルルティエちゃんはやっぱり天使だ。可愛い。
「わかったよルルティエ。ハク、今までごめんね。余計なお世話だった」
「ようやくわかったか、まあわかればいいんだよ。気遣いは有り難かったからな」
ルルティエはほっとして差し出がましい申し出を致しましたと頭を下げる。私たちはそんなことないよと返してクオン達との談笑に戻る彼女を見ていた。本当に得がたい子だ。ハクをよく見ている。
「クオンにもさ、目のことちゃんと謝っとけ」
「……」
「ありゃ気づいた上でおまえを好きにさせてる」
……本当にハクは周囲をよく見ている、適わないな。その洞察力を政治に生かせばどれだけの犠牲を防げたのだろうと飛ぶ意識をハクに戻す。いずれまたとだけ返し、縋るようにその背に頬を寄せた。もう少し、もう少しだけこの都合の悪いことから目を背ける男の優しさに甘えていたかった。
帝都は想像以上の迫力だったんだと思う。ハク達だけじゃない、名所と呼ばれる箇所に着けば周囲でどこかしらから感動する声が聞こえてきたからだ。お上りさんは私だけじゃないのが嬉しい。クオンは感動を口にする物悔しいのか大したことないと言いつつ目が泳いでいる。案内役を買って出たネコネは一々感動するルルティエちゃんの反応にご満悦だ。
ハクも反応が薄い常よりは凄いなあだのでっかいなあだの感想を述べるのが面白かった。私と言えば、視界はおおよその色ぐらいしか認識できないのでぼんやりとしか見えないのが悔しいところだが帝都の規模を目の前のすると本当に遠いところにきてしまったんだなあと湧いた実感に胸が締め付けられていた。
「どうした?」
背に回す腕に知らず力がこもっていたのか、気遣わしげにハクが尋ねてきた。目が見えないのを指摘してからハクは目の前の建物がどれぐらい高いかだとか、市場の色彩やどこが一番賑わって上手そうだとかを逐一口にしてくれていて、こちらを気遣ってくれていた。
何でもと返そうとしてハクは寂しくないんだろうかとふと思う。
「昔を思い出さない?町の賑わいだとか通りを歩くときとかに」
「あいにく記憶喪失だからな、昔のことはさっぱりだ」
ああそうだった。彼は全部忘れている。ならどうして、皆が知らない言語を呟いてなんだろうと首を傾げるんだろうか。忘れているというけれど単に思い出したくないだけじゃんだ……その気持ち、わからないとは言わない。地上の記憶しかない私と違い彼は地下で生きてきた。相応の科学文明に囲まれても地上の憧憬から環境を整え次代に空を見せようと研究して滅んだのが彼らだった。無意識に思い出すのを拒否しているのかもしれない……
「私はよく思い出すよ。似ても似つかない、だからかな」
「なんだよ?」
「悲しくなる。居場所がどこにもないみたい、皆優しいのに世界にたった一人きりみたいで」
「ははっ、もう歌の練習か、感傷がすぎて自分にゃ理解できん」
「作っていくしかないんだよね、わかっているけど後ろ髪ばかり引かれる。だからかな、私がこうなのは」
「……あんま楽しい会話じゃねえな」
「それでもいい、聞いて欲しいんだ。色々手は打った。きっと皆もそう。それでも最良を求めるからキリがないし妥協点が見つからないから気ばかり焦って碌でもない道しか見えなくなるんだよ。余裕がない、それがきっと良くないんだ。手詰まりを打開しようとしてグルグル悪い方に向かいがちで、最後は泥沼にはまっちゃうんだよ」
「おまえじゃん」
「言わないで、自覚はしてる。あれよ、私が言いたいのは現状どうすれば安心して暮らせるようになるのかってことなのよ」
「お偉いさんに任せときゃいいだろ?下々の考えることでもねえし。それに世の中泰安ってこの国の奴等は言ってるじゃねえか」
「山賊に悩まされてて治安担当トップが出張る暮らしが安泰って、ちゃんちゃらおかしいよ」
よその国どんだけ修羅なんだろうね?私の言葉に思うところがあるのか、少しだけハクは黙った。
「⋯⋯おまえ熱でもある?」
あらゆる事象に入れ込んでのぼせ上がっているのは自覚している。
「色々ハクは気付いていてもさ、楽が出来る道を進むんだろうねこれからも。責めてはないよ。そういうの生きる上ではとても大事だろうし。
でもね、ハク。貴方はこうと決めたら意志を貫き通せる人だ。それが自分を追い詰めることになっても貴方は後悔しない。割り切れば地獄までその道を貫き通す信念がある。私にはないものだ。
いつか腹をくくったらさ、助けてあげてね。全員とは言わないよ。せめて貴方の届く範囲でいいから、皆を助けてあげてね。私は加えなくてもいいからさ」
「なあおまえ、さっきから何言ってるんだ」
暖かい感触と視界に走る白に我に返った。空には太陽が座している。ここは帝都だ……聖廟でも死後の世界で問答をしているわけでもない、帝が治める大国の中枢部で私は何をしているんだろう、物思いに耽っている場合じゃなかった。
「……本当、何言ってるんだろうね」
気づけば地面に降ろされ額に手を当てられていた。顔が熱い、日光で頭をやられたらとはハクの弁。
クオンの進めもあり近くの甘味屋であんみつ白玉のような涼しいデザートをご馳走になった。お腹を下したら行けないから私は啜るだけ、それでもとても美味しかった。何か言いたそうなハクを見ない振りをする。私たちは帝を除けばとても近い存在に違いない、性質もきっとよく似てる。もめ事が嫌いで都合の悪いことは見ない振り、見たい物だけずっと見てる。直さないととわかってもそう簡単に直せれば苦労はしない。
「帰ったら、ちゃんと謝るから」
「約束だからな」
やっぱりそれが気になってたか、後は黙々、はしゃぐお嬢さん方に連れられて名所を巡って共に騒いだ。
一通り名所を回った後の事だ。大通り脇に飴屋があるのを誰かが見つけた。可愛く甘い物に目がない女性陣達はさっそく飴屋さんに群がりあれがいいこれがいいと楽しそうにはしゃいでいる。
私もその輪に加わりたいけれど見えないものはしょうがないのに、気を利かせたハクが近寄って、横に飴があるぞどれが一番キレイだと尋ねてくる。
ごめん、やっぱ分からん全部ぼやけて見えるわの意味を込めてどれもキレイだよと返せば、飴屋の親父さんは嬢ちゃんにはこれがお似合いだよと何かを差し出す気配がした。ついで、沢山の嬢ちゃんを侍らせていいご身分じゃのう、朝帰りするにはちと遅いぞと嫉妬まみれの言葉を向けられたハクが珍しく憤慨した。
イライラが募っていたんだろう、病人だからこいつ!死に水とってやろうって最後に一目都見物させようってまわってんのと叫んで、はたと気づいて項垂れた。
賑やかな通りが少しだけしんとして、こちらを伺うような囁きが聞こえてくる。
そこまで……これはネコネちゃんかな。そんな、とひくつく声はルルティエちゃんだ。クオンはだんまりで後は気の毒にだのどうりでどこも包帯だらけだの若い身空でと沈痛な声まで聞こえるのだから居たたまれない。
あ〜あ、墓穴掘ったねハク。悲痛な雰囲気にハクは一気に落ち込んだ。首の角度が下がりきっている。
落とした肩をポンポン叩い、て大丈夫だよ傷ついてないよと励ました。叩いたつもりだけど撫でたような音しか出ないのが悔しい。
「いいよハク、もうわかってたから」
慰めは逆に彼の矜持に火を付けたらしく、がばっと首を起こし、ハクは驚く私を背負い直し力強く否定する。
「大丈夫だまだ持ち直せる。自分が勝手に思いこんじまってただけだ。全然どこもおまえは悪くなってない、きっと元気になるさ、そうに決まってるだろ。ずっと一緒だったんだ、ここまで頑張ったんだ、まだまだ頑張れるさ。そうだろクオン!」
「うん、ハクもナナコも早とちりしすぎかな。薬師としての私が断言するんだもの、休めばナナコは良くなるよ」
力強い声に帰すクオンの言葉はどこまでも落ち着いていた。平坦な響きはどこか人を安心させる音を有していたから、落ち着いたんだろう、ハクは普段の平常心を取り戻したのかははっ、そうだよなと鼻を啜る音をたてる。
「だとよ、薬師様の見立てに嘘偽りなんてないさ、休めばおまえ元気になる。だけど食細すぎるから、まずはそこからだな。それなのに、この重さはどういうことだ?」
「うっさないなあ、ハクの体力がないだけでしょ、ほらきりきり歩く!私を担げるほどの気概がないと就職なんてどだい無理だよ」
「無職のおまえがそれを言うか……」
さすがは保護者の貫禄、全然なんでもないように言い捨てて、とりあえずほっとした周囲の気配に昼近くの穏やかな雰囲気が戻ってきた。
「妙なことを言って悪かったのう。お嬢ちゃん達、詫びと言っては何じゃがこれを受け取ってもらえるかい?」
飴屋のおじさんが悪いわけではないのに、そう言って幾つかの飴を差し出してきたらしい。女性陣がきゃいきゃい可愛いとはしゃいでるのできっと良いのを貰えたんだろう。
私の前に差し出されたそれに見えないとは言えないのでそれが何か尋ねてみた。
「飴屋のおじさん、これ何ですか?」
「星の光りを表したものじゃ。甘い物を食うと元気が出るぞ」
どうしようか私は悩む。ハクは代わりに受け取ろうとはしない、腹を下すと知っているからだ。断ろうと思い降りるからと言うけれどハクはこのままでいいだろと降ろそうとしてくれなかった、なので仕方なく背負われたまま頭を下げた。
「ありがとう、でもごめんなさい。私は食べられないんです」
「食わず嫌いはよくないぞ。甘い物は嫌いかね」
「あのなあ親父、人が嫌がるもんを押しつけようとするなよ。だから女が近づいてこないんだろうが」
ああっ、余計な一言!
「なんじゃい、失言しまくりの優男がいらん口出ししおって。おまえさんが代わりに受け取りゃいい話じゃじゃろうが」
多分それはくれた相手に悪いと思って申し出ないんじゃないかなあ、と察して私は怖ず怖ず言葉を返した。
「甘い物、確かに好きです、こうなる前はよく食べてました」
「おおそうか、なら受け取ってもらえるかの?」
「ごめんなさい。固形物や粘りがある物は……全部吐いちゃって勿体ないですから、どうか他の方にあげてください」
「そうだったんかい……悪いことをしたのう」
あああ本当に申し訳ない。しゅんとした様から親切を仇で返したようで食べれない事実が申し訳なくなる。
「いいえ、見るだけでも楽しかったですから。ご親切にありがとうございました」
「そこの羨ましい兄ちゃん、しっかりお嬢さんを背負うじゃぞ」
「言われなくても背負ってるっての」
減らず口を叩くハクだが、がんばってる兄ちゃんにはこれじゃと差し出してもらった飴は喜んで受け取った。受け取ろうとして、飴がボロギギリの形と気づき丁重に断るが押しつけられ、仕方なく食べるがマズいと返そうとして食い物を粗末にするなと押し戻され、嫌々食べる姿は可笑しかった。
楽しませてくれた礼に私の分を彼にあげて下さいと申し出れば、ハクは珍しく悪いなと申し訳なさそうでちよっと優越感が沸く。なんだか楽しい。そして渡されたのがまたボロギギリの飴で、仏頂面のハクが可笑しくて私はひいひい笑った。堪えきれなかった。原作の再現どころか一本追加って受ける。
笑いすぎたんだろう、胸が苦しくなりぜえぜえ言う間に呼吸もままならなくなると、焦るハクの声に異常に気づいたクオンがハンカチ、手拭いで口を押さえてくれて、なんとか息を吹き返す。
もう帰ろうねと優しく言い含められて頷いた。何でもない風を装ってくれてたけど随分皆を心配させたらしい。
飴屋のおじさんも調子に乗って悪かったのうとまたまた頭を下げるので、つるぴかの頭が実はカツラで正体はオシュトルと険悪と噂の左近衛大将ミカヅチと原作知識で知っている私は、太陽のきらめきに反射するデコが笑いの壺に入りもう一度吹いた。
体調は悪化の一途を辿っている、辿っているが病は気からというのも一理あるのかもしれない。
「きゃーオシュトル様ー!今日も素敵ですー!麗しいです〜!大好き結婚して〜!一晩でもいいからお相手してくださ〜い!」
飴屋のおじさんと悶着後すぐに警邏、帝都見回りで巡回中のオシュトル達と遭遇した。歓待の眼差しや黄色い声をあげて群がる群衆だが輪こそ作れど進路を遮る者はいない、さすがヤマトの民だ。
死にかけだった体はオシュトル様のおでましだの一言で元気を取り戻し、ハクを突っついて集団の外れで私は一際声を上げて見えない思い人にエールを送る。きっとオシュトルは一瞥も向けなかっただろうに、取り巻きのお嬢さん達は度を過ぎた声援にきっとこっちを睨んだんだろう、ちょっとという声は聞こえたが一目で病人と察したのか咎める声は誰もあげなかった。ヤマトの民は優しい人が多いようだ。
「……見えてねえくせによく言うよ」
代わりに非難の目を向けられたのか、それともネコネちゃんにいらん一声をかけたのかスネを蹴られたハクはおお痛てと脚をさすりぼやいていた。
行列が通り過ぎると声援をあげていた群衆は方々に散っていき私は大人しくハクの背に頬を預けた。
「はあ……オシュトル様見て元気出たわ。ハクは随分元気がないね」
「おまえに吸い取られた。後で串よこせ」
「クオンにお願い」
「ちくしょうただ働き……」
オシュトルが関わると元気だねえとクオンはしみじみし、折角だから串を食べながら後はゆっくりしようとの一言でハクは元気を取り戻した。もちろん私の分も食べてやると奮起するのでそこは丁重に甘えようと思う。運んでくれてありがとうございましたと頭を下げれば照れくさそうに笑っていた。
おかげで心構えは出来たと内心で語るに留めておく。
皆が適当な屋台で串を食べる合間、お言葉に甘えて長椅子に身を横たえて目を瞑っていた。一目が気になるのを考慮してか外套をクオンが被せてくれたので、遠慮なく横になり体を休めた。
風と行く