20話 結婚の挨拶
挨拶をせねばと聞いて間もない内だった。ある日クオンがハクを連れて屋敷に訪れる。ルルティエちゃんも同席していて重箱を返してない事実に今更思い至った。出迎えた家人に呼ばれオシュトルやネコネちゃんも珍しく出迎えに出る(ウコンじゃない、オシュトルの正装だ)。互いに障りのない挨拶を終えた時、ルルティエちゃんにお返しもせず預かりっぱなしだった非礼を詫びればとんでもないですと微笑んでくれる彼女はまさに天使だった。
これまた珍しく家主自ら客間に案内し上座をクオン達に薦めて自分は下座に陣取った。おかしい。ネコネちゃんは指摘もせずお茶の用意ですぐに退席したけれどなんで下座、ルルティエちゃんを除き二人は公的に身分ある客人ではないはずだがと私は訝しみながらも、オシュトル大好きを公言している身だからあえて突っ込まず隣に腰を下ろそうとした。
すかさずナナコはこっちかなとクオンに引っ張られ、クオンとハクを両隣そのまた隣にルルティエちゃんが腰を下ろす。何この並び、凄まじい圧迫感。二人を見ればクオンは涼しげ、ハクは困った相貌で今度は何の用件だと首を傾げてる。あれ、私も事情知らないけどハクも何も知らされてない?何で?
ネコネちゃんがお茶を持ってきてそれぞれの前に置く。まずは一杯頂いて私は益々の違和感に眉間の皺が自然と深くなった。気に入らない相手には渋いの出すのに今回は普通に美味しかった。逆にそれが怖い。ハクも変な顔をしてる、美味しかったんだね。
「この度は某のためにこのような席にご足労戴き大変有り難く思っている」
「御託はいいからさっさと始めるかな。時間無理矢理裂いたんでしょ?世間話に興じる暇あるなら手早くすませるべきとご忠告申し上げとくかな」
礼儀を通し口火を切ったオシュトルに対しクオンの反応は辛辣で私は心底びっくりした。仲別に悪くなかったよね二人とも?どうしたの?
ハクも同じ感想を抱いたのか、慌ててクオンを諫めに入る。
「ちょ、クオン、いきなり何だよその喧嘩腰は。雇用主に対してそりゃ不味いだろ」
「いや構わぬよ、身構えられるのも当然だ」
ネコネちゃんとクオンを覗き困惑する周囲を尻目にオシュトルが頭を下げた。
「気づいておられたか」
「気づかないわけないかな。あんなに匂いを付けて、政敵の目に止まる危険性に貴方ほどの人が気づかないわけないでしょうに。いい加減湯浴みぐらいさせるべきかな。一々牽制すごく迷惑」
えと、何で惚気話し的な流れになっているんだろう。私毎日お風呂に入ってるんですが。なに?そんなに臭かった?
私の戸惑いをよそに睨むクオンと涼しげに流すオシュトルは二人しか見えてないようで、オシュトルがふっと口元を緩めるとクオンの眉間の皺が深くなった。
「ならば話が早い。単刀直入に申す、ナナコ殿との結婚をお許し願いたい」
「よろしく、お願いしますです」
「は、はあ!?」
ネコネちゃんまで頭を下げてるし。ハクと私ルルティエちゃんはきっと想像もしなかった事態に狼狽えるほかなかった。だって私またも聞いてないからね。固めの杯は交わしたけどそれは近しい人との内々なわけで。いずれは公表するんだろうな程度の感覚だったわけよ。報連相される前に色々動かれて困惑しきり……あ、報告したいって言ってたちょっと前寝所で聞いたあれが報連相かな?分かるかよ。せめて言って、何日何時頃に尋ねたときに報告するからってさ。身構える余裕もなくて今混乱の真っ只中なんですけど!初耳すぎい!
「ナナコの意見が聞きたいかな?ずっと帰ってこなかったのはナナコもこの話、同意するつもりだってことでいいのかな?」
「オフコース!イエスイエス否定の余地もありません」
「分かる言葉で言え、伝わらねえから」
ハクが呆れた風に言うけれど釣り針に引っ掛かった自覚はないようだ。ああ、英語わかっちゃったか。やっぱりハクは私と同じなんだね。
望郷の念に蓋をしてきっと心配して話を振ってくれたクオンに返答すべく彼女に視線を戻す。真面目な顔だ。いつもの見守るような雰囲気は欠片もない。緊張から自然背筋ぎぴんと伸びた。混乱を脇にやり私は心の内を明かす。
「こうなる前にね、ちゃんとオシュトルは話してくれたの。連れ添う危険性も置いて逝く可能性も全部説明してくれた。それでも私は選んだ。
……オシュトルが好きだ、誰に何と言われようと好きなんだ。ずっとずっと傍にいたいと願っている」
「気持ちだけじゃ右近衛大将の奥さんは務まらないかな」
「わかってる。努力もする。至らずとも相応しい立場になれるよう頑張るつもり。めげちゃっても呆れられても、それでもこの話をなかったことにはしたくない」
脚色半分だ。彼を諦めたくないのは本当、でも努力し続けられるかは別。そんな打算に察しは付くだろうに、身分差を承知で求めてくれたオシュトルは訂正することもなく話しに乗っかってくれる。
「無かったことになどせぬよ。呆れもせぬ。其方は某の唯一だ。そうでありたいと願っている」
得がたい人だ。本当に只人の私の何が良いのか、必至に訴える私を愛しげに見つめるものだから目が潤んで仕方ない。
「オシュトル……」
覚悟を決めて今までオシュトルにしか話してない知識を明かそうと口を開く。
「クオン私ね、全部わかってるの。身分とか立場だとかハクと違って記憶があったから」
「……っ」
少しだけ強張るクオンの表情に初めから察しはついていたんだ、それでも何も言わず見守ってくれたんだと、彼女の優しさ胸を打った。
一息つき周囲を見回せば皆無言で私の動向を見守ってくれている。私は真摯に言葉を重ねた。
「自分が何者かも理解してるつもりだよ。いずれ相応しい立場に立てと世間に問われる時が来るかも知れない、お笑いぐさだけど、それでもその時までなんて殊勝な事は言わないし言う気もない。叶うなら、常世まで私はオシュトルと一緒にいたいしそうであればいいと願っている。
……クオンには世話になった。お礼も自立する約束も果たせないままで申し訳ないと思うけど、それでも私はこの人と生きたいと決めたんだ。唯一の伴侶として一緒に生きていたいんだ」
「ナナコ殿……」
仮面越しに潤む瞳を見つめれば卓の上に片手を差し出された。少し恥ずかしかったけど私も両手を差し出し彼の甲を覆い見つめる。
洗練された見た目に反し筋張りごつごつした武人の手だ。私の手には納まらない大きな男の人の手でこの手に随分助けられたしこれからもそうなんだろう。多くを助けもするが時に命令さえあれば無抵抗な人でも簡単に命を奪う、暖かいだけじゃないヒトの手だ。でもこれがいいと私は思った。この人でないと嫌だ。
握る手に力を込めれば掌を返され固く覆われる。見つめ合い微笑むが、いちゃいちゃするのは二人きりのとにねとうんざり声のクオンに茶々を入れられ、はっと我に返り慌てて手を離し席に腰を戻すけど、オシュトルは名残惜しげにこちらを見つめている。
こほんと咳で誤魔化して、視線をクオンに戻す。静かだがひたむきに聞き入る彼女に乞い願う。
「頼っておきながら恩を返せず嫁ぐ許しを請うこと、申し訳ないと思う。
ハクを置いて身を固めるのも失礼なのもわかってる、後ろ髪を引かれているのも確かだ。
死にそうな私がいつか自立できるよう応援してくれたルルティエちゃんにも泥を掛けるような振る舞いだとも自覚してる。
それでもどうか、どうかオシュトルに、ウコンに、私を嫁がせて頂けないでしょうか。この人が欲しいしこの人の唯一でありたいんです。どうかクオン、お願いします……」
「私からもお願いするです姉様。ナナコ様を私のお姉様にする許可をお許し願いたいのです」
至近距離だが膝に手をやり頭を下げると、向かいに座っていたネコネちゃんまで同じように頭を下げてくれた。成り行きを見守っていたオシュトルも「娶る許可を、どうかクオン殿にお願いしたく」と頭を下げてくれた。
しばらくして無言の周囲に長い溜息が落とされた。
「はああ〜……分かった、分かったから頭上げるかな。まるで私が悪者みたいで気分悪いんだけど」
「あ、姉様!」
「では、ナナコ殿を」
顔をあげる両者に仕方ないなあとクオンは苦笑いで頷いた。
「止める理由もないし、うん、いいよ。どうぞもらって下さいかな」
「よ、良かったですね兄様〜!」
相貌を崩すオシュトルにネコネは飛び上がり肩を揺らすが、ただしとクオンはびしりと人差し指を突きつける。
「付け加える点が幾らかあるけどまずはそれを聞いてからかな」
「今のおまえって物の見事に嫌みな姑って感じだな。っ痛、いたたたた痛い〜っ!」
尻尾の制裁を腰にくらい喚くハクを床に落としてクオンが腕を組む。さて何を問われるか、周囲に緊張が走る中、保護者が口を開く。
「分かって言ってるんだよね?」
「如何様な意味か」
「ナナコの特異さを分かって言ってるんだよね?」
「無論。おそらくはクオン殿よりも某はナナコ殿の事情を感知している。どこで目覚め己が何者でどのような危険性があるかもとくとご教授頂いた。心配は無用かと」
「ああ、そこまで分かっちゃってたか……」
あちゃ〜っと頭に手を当てクオンが項垂れた。心配してくれてたんだろうか、違う種族に脆弱さ、心配ない、わけがないよね。申し訳なく思う私だけどすぐにクオンは気持ちを切り替えてくれたのか、顔を上げて力なく微笑んでいた。
「まさかナナコが知ってたとは思わなかったかな。薄々感づいてるのは察してたけどもう打ち明けたなんて。そんなにオシュトルが良かったの?」
何度も必至に頷けば深く一度首を落としたクオンはにっこり微笑んでくれた。
「そう、ならもう何も言うことはないかな。右近衛大将オシュトル」
「何か?」
「ナナコを泣かせたら只じゃおかないから、ってのは建前ね。職務上どうしても無理って場合もあるだろうから。
妻が泣こうが死にかけようが出仕する立場だろうし唯一なんてこの國以外ないのを承知でちゃんとナナコは同意したの?」
「もちろん、ナナコ殿は某をよく理解してくれている。戦場で路傍で果てる身でも構わぬと了承して頂いた。
代わりに妻としての唯一を乞われたが某も元から側女だのを囲う気は鼻からない。國を覗けば私事で優先するのはナナコ殿であるのは明白、意見の相違で別れる事態を招かぬよう努める所存だ。この方だからこそ妻にしたい」
本当にいいのコイツでって胡乱げな目でクオンに見られた。二の次宣言だなそれ、と要らんハクの一言に心底共感してそれでもいいのだともう一度頷いた。良いの、そういう堅物だから好きになったの。
大きな溜息をつきクオンが畳みかける。
「頼むよオシュトル、婚姻を結べば貴方だけが頼りなんだから。それに、この子とてもさみしがり屋だから出来るだけ傍にいてあげて。
ナナコも、困ったことがあったらオシュトルに頼ること。難しい状況ならネコネに言うかな。なんだかんだナナコを認めてるから悪いようにはしないと思うし」
「ぎっちぎちに仕付けてやるのです!」
いびられる未来しか見えんわ〜。ふんぞり返るネコネちゃんだけどオシュトルが名を呼んで、上から言ったところで為るようなものでもないから控えてくれと苦言してくれるのが幸いだわ。はいなのですってしゅんとしてる、大丈夫ほどほどに頑張るからさ。
「ナナコ、貴方は何でも我慢して内にため込みがちだから偶には発散して困らせないとダメだからね」
真摯にクオンは訴えてくれるけどうん、もうすでに何度も爆発して駄目になってるから手遅れだわ。
「失礼だが、クオン殿は結婚に納得戴けたと判断してもよろしいだろうか。先ほどから聞いていれば忠告ばかり。懸念があれば今後も時間を作り話を聞こう。そろそろ、今後の話しに写りたいのだが」
首振り人形みたいに頷いているとオシュトルが場の空気を読んで話を切り出してくれた。了承したとはいえ納得できかねる体で、それでも渋々クオンはそうだねと頷き許可してくれた。
「不本意だけど、うん。身分違いだし不安も残るけど、オシュトルは真面目だし嫁がせる家としては不足はないかな。むしろこっちが申し訳ないぐらいなんだよね〜」
「確かに、貴族の出に身元不確かな女を貰うのは怖いよな」
ハクも釣り合いが取れてないって分かってるのよね。ルルティエちゃんはお気持ちが通じ合ってれば大丈夫ですよ、私は応援しますと握り拳を作って励ましてくれるけど笑みに力はない。その反応にまだお父上から連絡はないんだなと察した。ごめんね、貴方の家を利用してお家の問題は一応片付いてんのよ。現状お姫様です、よろしく妹よ!なんていきなりは言えないし……
「まあその辺は用意周到なオシュトルだから外野に口を突っ込ませないよう外堀をいずれ埋めてくれると信じてるかな」
うん、埋まってる。おそらく手を出してトゥスクル行きが決まる頃には色々画策してたんだと思う。後になって推測できたことだけどさ。
本当オシュトルはこうと決めたら迷いがないよね。迷いがない分見極め誤ったら消えかねない危うさをなんとかして欲しいとは思うんだけど、思うだけじゃ事態は変わらない。危険のないよう動くためにも聖上の協力が不可欠なんだけど、取りあえずは成婚してからだなと目の前のクオンに意識を戻せば、しかめ面を一変させ満面の笑みで頷いてくれた。
「お互いが納得してるなら保護者が茶々入れる余地もないかな。と言うわけで、どうぞ結婚を許可します」
おおおおお!ついにか、ありがとうクオン!禍日神の御子だなんて悪口思ってたの心の中で謝る、許可してくれて本当にありがとう!あははは、今後が怖すぎるわあと感動に震える私だけど、オシュトルはあくまで冷静だ。もう一度深々と頭を下げる姿に私も慌てて習う。
「ナナコ殿との縁組み、許可して戴き大変ありがたく。また今後とも長の付き合いをよろしくお願い申し上げる」
「おまえ本当堅えよな……」
少しは見習うかなと飛ぶ文句を聞き流すハク。ルルティエちゃんはひたすらにおめでとうございます!と感涙の涙を流して祝ってくれた。
「ありがとうクオン、ありがとうルルティエちゃん、ネコネちゃんも……」
ネコネちゃんはうっかり何度か兄呼びしたのを訂正しオシュトル様と言い直し私なんて眼中になくお祝いの言葉を連呼している。あ〜あ〜はしゃいじゃって、ぼそっとお姉様もおめでとですけど、なんて照れくさそうに言われて喜ばない姉はいない。お礼を言い頭を撫で繰り回すとこの良き場面で怒るに怒れないのか、ふしゃ〜っと牙を剥かれて威嚇された、可愛い。
「ほらハク、貴方は弟分なんだからちゃんと言わないと」
「いつ許可したよ。別に弟でもないし何で自分を巻き沿いにするかなあ……」
ぼんやり事の成り行きを見守り茶々を入れるに徹していたハクが困った風に頭をかく。理解を得られるか、責められるか、現状を正しく理解しているなら後者の反応をすると立てた予測に狂いはないようだ。
務めて、平静に呼びかける。
「ハクは勝手に決めたの、やっぱり怒ってる?」
「怒るわけないだろ、自分らは赤の他人だ。最初からなんとなく一緒にいたそれだけの部外者だ、止める理由も何もない。
……でも、情がないわけでもないからちょっと驚きはしたけどな」
顔を覆う珍しい姿に私は動揺した。覆う寸前顰めた眉根を見てやはり彼の意には沿えなかったと察する。何を言われるか見当が付かず狼狽える私に対し顔を上げたハクはもういつもどおりの表情に戻っていた。気の抜けたとぼけた顔でこれまた珍しくにかりと破顔一笑。
「おめでとうナナコ、思いが届いて良かったな!」
「ハク……」
「これで自分も姉を訪ねる名目で堂々とオシュトルに酒をたかりに行けるって訳だ。玉の輿万歳!様子見にまた来るからご馳走たんまり用意して待っていてくれよな」
普段の調子を取り戻したハクは抜け目なく姉の結婚相手となった上司に図々しく酒を催促して周囲の苦笑、呆れを買う。きっと苦言を呈されると見越しての振る舞いだろうが、オシュトルの方が一手上だった。
「いつでも構わぬ。可愛い弟よ」
親愛の言葉に一瞬呆けたハクだがすぐに大慌てで前言撤回を叫び始める。
「うええ〜!本気にすんなよ、言葉の綾だ。冗談、冗談だかんな!用意して待たれても返せる宛ないし怖いからいいって」
もう彼にぶすくれた表情はない。平静だ。いつも通り、逆にソレが不安を増大させる。寂しいと感じさせてしまったんだろうか。ヤマトに来て変わりゆく隠密衆に感じた寂しさを同じように感じて欲しくなくて私は身を乗り出し、へらへら笑うハクに告げる。
「待つよ、幾らでも待つ」
降ろされた手を引き両手で覆い、遠慮する必要はないのだと言い連ねた。ハクは驚きすぎたのかきょとんとしてる。
「血が繋がらなくてもあなたは弟だ。そう思えるぐらい大事に思っている。雪山で目覚めてからずっと傍にいたよね私達。あなたがいてくれたから辛くても耐えられた。
色々事情があるから訪ねてもらっても応対出来ない日もあるかもしれない。でも、あなたの来訪を歓迎しない日はないと断言できる!寂しい思いなんてさせない、ううんむしろお互い寂しい通し、これからも変わらぬ付き合いを培っていければと願っているよ」
「お前ら新婚だろ、ちょっとは遠慮させろ。そんでナナコは回り見ろ」
最初圧倒されていたハクはついに顔を顰めてそんな苦言を放つから何よと周りを見て察する。
苦笑いするクオンに呆気に取られるルルティエちゃん、じと目で睨むネコネちゃんや変わらない笑顔のオシュトルに我を忘れすぎたと反省し席に戻り腰を下ろした。
「馬鹿、夫放って早速悋気(りんき)焼かせる馬鹿がいるか。仕事やりずらくなるだろ」
「ごめんなさい」
衆目の前で夫を袖に弟にのめり込むなんてどちらにも失礼だ、恥でしかない。
だというのに、夫扱いが嬉しいのかオシュトルはどこまでも涼しげだ。
「馬鹿というのは聞き捨てならぬ、彼女は聡明だ訂正してくれ」
「違うだろ、頭の出来どうこうじゃなくて熱しやすい馬鹿って事だ。手綱ちゃんと握っとけよ。今は良くても思い切ったら暴走するぞコイツ。突っ走って真っ逆さま、そんで二度と会えなくなったなんて自分はごめんだからな」
酷い言い草だな、弁えてますよ〜と思うのに、オシュトルは一理あると頷き庇ってもくれない。
「だがハク殿、ナナコは其方の姉だ、言葉遣いには気をつけられよ」
「もう説教かよ。はいはい気をつけて相応しい場所では姉と呼びます〜。でも意外だな、いいのか姉呼びしても。おまえ自分らに取られたくなくて屋敷にも呼ばなかっただろ。本当に自分は来るぞ、仕事の報告だけじゃなく酒をたかりに」
え、そうなの?今まで仕事で訪ねに来る程度の交流はあったと推測してたけど、私が帰ってから必要でないと来なかったの?とネコネちゃんに尋ねれば頷かれた。
なんてことだ、私の存在が隠密衆の交流を妨げていたなんて!白くなるのを見て取り支障はないから大丈夫、ハクがへべれけにならなくて逆に私は大歓迎とクオンがフォローしてくれたけど大問題ですから。
原作では酒飲みの交流で徐々に絆を深めたから交流する機会を減らせば二人は無地の親友にはならないのは簡単に予見がつく。
断固反対!飲みに来ても良いし行ってもいい、なんなら私毎連れてってと叫んだけど、大人しく家で待っとけこいつもその方が安心できるからとハクに宥められて鼻息荒く口をつぐんだ。オシュトルは酒の席に同行するしないどちらでも良いらしい。余裕綽々の態度で微笑む貫禄を見せてのたまった。
「二人きりでないのなら多少取られても余裕を見せるのが男の甲斐性という物だろう。なに遠慮は要らぬ、存分に兄弟の絆を深めてくれ。ああ某のことは気にせずとも良い。其方らが帰られた後に心置きなく堪能するのでな」
「きゃ〜!聞いたハク堪能するですって!も〜嬉しい格好いい!出来る男はこうじゃなくっちゃ!は〜惚れ直す、うちの夫が世界一で私の心臓が今日もマッハだわ〜」
めっちゃ惚気小っ恥ずかしくなって私も惚気たけどうんざりした面持ちでハクは項垂れる。
「自分はもう疲れた……何だいきなり、どうしてこうなった。誰か説明してくれ」
「話せば長くなるけどさ〜」
「あ、やっぱいい。おまえオシュトルに関しては凄え長いからヤだ」
けらけら笑いその後は今後どうするかの話しに終始した。
和やかな歓談に目出度い席だからとオシュトルが秘蔵の酒を開けてくれて、酒好きのハクの機嫌はすぐに直った。お酒も優しい口当たりで家人の方が膳を用意しておりますよとハク達の分まで持ってきてくれて、雰囲気は楽しいしお腹は良くなるしで気分は最高と言って良い。
いや目出度いよかったよかったよかったついでに、オシュトルに確認を取り許可を得たので実は私が嫁げる状況になったのはルルティエのお父様のご協力在ってでと打ち明けた。相当驚くだろうし名義上とはいえ突然の姉爆誕に不審を買うと構えてたけど、当のルルティエちゃんは驚きつつも歓迎してくれた。
ならばと最近新しい趣味ができて楽しいけどもっと琴線に触れる本を探しててお薦めがあれば教えてくれないかと、例えばこんな本をとオシュトルの寝室に密かに隠していた乙女書を皆に見えないよう布で覆ってページを見せる。引かれると思いきや、ルルティエちゃんは同好の士にお会いできて嬉しいですと手を取り大層喜んでくれた。結婚許可もらったときより喜んでたのが腑に落ちないけど、歓迎されて嬉しいのは本当なので黙っとく。
趣味をどうこう言う気はないがせめて某の見えぬ所で嗜んでくれまいかとげんなりするオシュトルにそれもそうかと納得して、そっと推しカプ話をルルティエちゃんと堪能した。外で呼ぶときはお姉様がよろしいでしょうか、名前呼びがいいですかと話の途中小声で聞かれてどちらでもと返しておいた。嬉しいな、ネコネちゃんにルルティエちゃん、ハクという弟妹ができたなんてとのたまえば仲間はずれにされたとクオンがふて腐れる。嘘嘘クオンもちゃんと家族だからと取りなせばすぐに機嫌は戻り皆が笑う。
ハクは突然暴露された腐れ趣味を流しつつも狼狽えてまさか自分は絡ませないよな?と聞いてきたので無言を貫いた。さすがに不安になったのか話を向けられることはなかったけど、こちらを怯えちらちら伺うハクは随分可愛かったなあ。
でも血縁は一人も……それは言わぬが花と胸の奥深くに飲み込んだ。
楽しいときはすぐに過ぎる。日が傾き空気が冷えてきた頃にそろそろお暇しようかな、お邪魔したら悪いしとクオンが席を立ちハクもそれに習った。今度一緒に乙女小道に行きましょうねと約束して楽しみにしてますからねと手を振るルルティエちゃん達を玄関まで見送った。戸が閉まると静かな気配が戻り一抹の寂しさが胸をよぎる。
「さて某は仕事に戻らねばな」
書類仕事は済ませたが休む前に残りがないか確認しに聖廟に戻るらしい。
後は兄弟水入らずと思ってたんだろうネコネちゃんが落胆の色を滲ませて抗議の声をあげる。
「またお仕事ですか、今日ぐらいはゆっくりされては如何です。オシュトル様が忙しいのは知ってますが働き過ぎなのですよ。ナ……お姉様も一言言って下さい」
ネ、ネコネちゃんっ……きっとまだ納得してはいないんだろうけど兄を立てて私を姉と呼んでくれたのね。貴方は本当に兄お思いの良い子だわ〜。胸中で礼を言いオシュトルに声を掛けた。
「気をつけてね」
「ああ、行って参る」
「お、お姉様〜っ」
膨れるネコネちゃんの頭を撫でれば不興を買ったのか知らないですとそっぽを向かれてしまった。可愛い妹に嫌われるのは本意じゃない、オシュトル助けてと水を向けるが仲良くなとオシュトルは苦笑し背を向けて出て行くので仕方ない自分で取りなすかと、私は頭を下げて見送った。
「今日ぐらい良いじゃないですか、何なんです。張り切って準備して無事に終わればまた次ですか。どれだけネコネが悩んだと……」
取り繕うのも面倒になったのかさっさと戻るネコネちゃんの後に続けばぶつくさ文句が飛び出るのが面白くてじっと聞き入った。そっか、張り切ってくれたのか。
「ネコネちゃん」
「うぇ!い、居たですか。居るなら居ると早く言うのです。兄、オシュトル様をまだ見送ってると思ったじゃないですか」
「ありがとう」
「……オシュトル様が良いならネコネは何も言いません。好きにすればいいですよ」
「うん、好きにするね」
「ふん、精々好き勝手するがいいです。いずれこのネコネが姉様の化けの皮を剥がして……いきなり撫でるなです!気安すぎます!」
「ふふ〜っ、可愛いなあネコネちゃん。こんな妹が私の理想だったのかもね。ああ可愛い、つれない夫に袖にされた傷心はネコネちゃんを構って癒やされようっと」
「うな〜!撫で繰り回すなです、子供扱いするなです、抱きしめるなです!なんでこんなのが良いですかオシュトル様〜!」
そう言いつつこっちを気遣ってか無抵抗のまま抗議の声をあげてくれるんだからネコネちゃんって本当優しいよね。いや、ハクで学習したのかな?ちょっとぶてば怪我させかねないって。
「暇だな〜、暇すぎて何もすることがない。どう?一緒にお風呂に入る?背中流しっことか私してみたい」
「誰がするかです!一人でとっとと入ってくるですっ、オシュトル様を落胆させたら酷いですからね!」
そう言っといて私が蒸し風呂に入ってたらお背中お流しするです、上役の妻権限で逆らえないのですと手拭いを体に巻いて顔を真っ赤にしたネコネちゃんが入ってきたときはあまりのいじましさに悶えそうになった。オシュトルが妹馬鹿になるのもわかる、これは嫌えないわ。
断るのもなんだしご好意に甘えて流しっこして、夜遅く帰ったオシュトルに事の顛末を話せば某の妹は可愛らしかろうと腕を組み自慢げだ。なのでハクも負けてないんだからねといかに義理の弟が可愛いかを切々と語り、悋気を焼いたオシュトルに今日も美味しく頂かれたのは夫婦だけが知っていれば良いことだろう。
風と行く