24話 隠密衆の一員兼歌姫兼よくわからない者


 朝起きたときウコンはもういなかった。ご丁寧に文で結んだ花を一輪枕元に置いていた。仕事で遅くなる旨、昼過ぎまで部屋を取っているから休むよう記されていてどこまで気が大きいのか私は嘆息する。
 夫が頑張っているんだから私も頑張らないとと女子衆さんに用意して貰った袋に一輪挿しを生け、一曲歌う話を持ってきた座長さんに連絡を取り近日中に歌う手筈を整えた。

 整えたはずが座長さんたっての頼みでその日のうちに歌う流れになり、新しく入った団員に胡散臭そうに見られながらちょい役の筈が舞台袖で場にふさわしい曲を歌う、いるそいつ?的な役割を押しつけられて私は自暴自棄になった。ヤケクソで好きな歌を都度歌えば感涙感動なぜか客が激唱しアンコールやおひねりがバンバン飛ぶ。
 話も展開も様変わりした。勧善懲悪ものの大団円が私の歌に引きづられ悪にも事情があり互いの正義がぶつかり合う熱血ものに変わった。結末は両者相打ちエンドである。どうしてこうなった、大岡裁きを下す聖上は台本を書いた作家さんはさぞ激怒しているだろうと危惧し怯えながら目線をやれば舞台袖で主役と悪役の名を絶叫し涙を流していた、よく生きたと感涙の言葉付きで。
 ドン引きである。飛び入りの胡散臭い女にけして好意的でなかった新人さんまでなぜかむせび泣いていた、怖い。
 お供すれば今日の溝掃除免除との言葉に飛びついたやる気のないハクも周囲の状況にどん引きである。
 いや確かに願った。恥はかきたくないから変に思われませんように、良いように聞こえますようにって。まさかここまでの効果が出るなんてわかってたら思わなかったのに。歌でのし上がり聖上に会う機会を得る、なんて当初の目論見はすでに邂逅を果たしているから無意味だ。

 開演後舞台袖まで押しかけて引き留めるお客さんや座長さん達をすり抜けて私達はほうほうの体で拍楼閣に逃げ帰った。


 詰め所に着き、ヤジでも飛ばされたかな?と茶を出し気遣うクオンから一杯頂きほっと一息つく。
 いやそれがよ。とハクが経緯を説明し一段落したところで「ヤマトの奴らはみんな耳がおかしいのか?」と話を締めくくった。
「否定したくはないけどそう思っても仕方ないかな〜。なんか聞こえてこない?歌姫がどうとか。次の講演はいつだとか」
 確かに聞こえる。聞き間違いだと思いたいけど近づく声は口々に世紀の歌姫だのあの物語をもう一度だの都合の良い妄言を吐いている。しかも多分芝居を見た人だけじゃなく話を聞いた野次馬も暇つぶしについてきて相当の人数っぽいのが怖い。誰だ世紀の歌姫が美人とか言ったの、ハードル上げんといて。うっかり目撃されてがっかりされたら、私立ち直れない。
「嘘だろ、付けられたか?!」
「仕事以外だと無警戒なんだからハクってば」
 営業妨害だ。トゥスクル出身の女将達に借りなんて作りたくないしゆっくりしにきた宿泊客に迷惑を掛けたくないと、欄干に出て止めようと走る体をハクの手で止められる。おまえが出るとマズいと牽制され代わりにハクが確かめに欄干から身を乗り出すとげえっと嫌そうに身を引いた。
「どんだけ娯楽に飢えてんだ。異常だろ」
「熱烈なストーカー誕生かな。目に余るしちょっと話付けてくるからナナコは大人しくしとくかな」
「ううう、面倒ごと呼び込んでごめんねクオン、ハク」
「ナナコのせいじゃないかな。勝手に盛り上がって馬鹿やらかすほうが悪いんだし」
「そうだそうだ。悪さする気がなくても相手が迷惑ならそいつが悪い。んじゃクオンさん、よろしくお願いしまーす!」
「ハクも来るかな。顔役でしょ?」
「はい……」
 クオンの尻尾が揺らめくと折檻される恐怖が勝るのか、ハクはすごすごクオンの後を付いていった。

 待っている間は申し訳なさで一杯だった。しばらくして笑顔で戻ったクオンに上手く断ってくれたのだと思い私は迷惑を掛けて申し訳なかったと頭を下げる。何故か視線を逸らしていたハクが気になったが今は余計な仕事を増やし手間を掛けたと謝罪を優先させた。クオンは言う。
「大丈夫、定期的な公演をするって言ったら引いてくれたから♪」
 ……は?
 事情がわからず狼狽える私にそうなった理由をハクが説明してくれた。

 相手は難敵で一歩も引かなかったそうだ。明日も明日も明後日も毎日講演してくれ、思う曲を歌いさえすれば良い。
 でも人前で歌うのに慣れてないかな?と丁重に断ろうとするのを野次馬が一目見たいと打ち消す。歌えば良いと座長は言うがお話の流れに沿う歌を毎度歌えるとは思わないと断れば即興でも良い、なんなら歌に応じて話を変えても良いと熱弁され、断るつもりのクオンも匙を投げたそうだ。
 何を言っても暖簾に腕押しで私の歌が物珍しさで受けたとわかるまで引かないだろうと判断し、ではと折衷案を提示したそうだ。
 こちらにも都合がある。病弱な歌姫を(話に会わせるために言ったそうだが恐縮の限り)舞台に出すのだから連日は無理。給金も絶対これぐらい。五日に一度と提示すればブーイングが飛んだ。給金ではないのがびっくりだが、二日に一度と座長が抗議しクオンは首を縦に振らず。では三日と引いたところで四日に一度大事を取って休みも可、それも都合により姿を見せず歌う日があるかな?というのに座長はしぶりながらも頷いたそうだ。折衷案を飲んでくれたからと給金の値引きを提示すれば不承不承飲んでくれたらしい。破格のお給金だったそうで、さすがにあの額を毎日出ないのに貰ったら罰当たりかなとクオンは締めくくった。
「あの、私の意思は?」
「面倒ごと呼び込んだから自分で解決するのは当然かな」
 さいですね……
「オシュトル様の指示を仰いだ方がよろしいんじゃないですかね?」
「それは心配ないと思うぞ。通りに出たとき警邏中で騒動が何事か見守ってたのに出くわしたからな」
 大事だったんですね!後が怖いですね!
「う、右近衛大将様はなんて言われてるか聞いてる?」
「あ〜、野次馬が散るのを見届けた後だな。賑やかなのは構わぬが方々に迷惑を掛けぬよう気を付けられよ、某は歌に詳しくないが民が楽しげに歌で語らうのはとても良いと思う、ってお言葉を頂いたな!」
「周囲に気配りできてオシュトル様は良い武人かな!」
 奥方が勝手に舞台に定期的に立つのを決めたお小言や日取りに関してはこれから話すって事ですね。恐ろしくて家に帰りたくないわ!
「というわけで、ナナコも定期的に外に出られるようになったから頑張るかな?」
「私のせいじゃないし、気づいたら勝手に決まってたんだし!」
「歌のお稽古や旦那の説教大変だなあ。まあ自分で巻いた種だから自分で何とかしろよ。自分らは下々から応援しとく」
 この薄情者っ!

 なんて戦々恐々しても時間は待ってくれない。迎えに来たネコネちゃんの冷ややかな眼差しをやり過ごし、さっきの騒動凄かったな、歌姫の講演楽しみだな、なんて往来の雑談に地味にダメージをくらいながら気乗りしない邸へと戻った。
 執務室には珍しく書類仕事もせず正座でいかにも待っていた風情のオシュトルがいて、苛立ちを感じた私はいの一番に謝罪を繰り出す。オシュトルは責めてはおらぬと苦いものが混じる微笑みで出迎えてくれた。
「妻ならば某が何を言わんとするか理解しているはず。其方も重々承知している故某の苦言は無用だろう」
「某がなんと言おうとすでに決まったことだ。無理のないよう、そして其方が右近衛大将の妻だと気取られぬよう気を付けられよ」
 深々と手をつき了承すれば叱責する体裁も整ったのか、ふっと鼻で笑われた。
「其方の歌がそれほど素晴らしいとは知らなんだ。出くわしたときは何事かと気が張ったぞ」
「重ね重ねお手間を取らせて申し訳なく」
「いや愉快だった。楽しい珍道中というやつだ。皆楽しそうに笑っていてな。見てない者も参加しているのがおかしかった」
 おかしくて悪うございましたね。ったく、人ごとだと思って!
「非番の者が芝居小屋に見物にいた故事の次第を確かめに右往左往無様を晒さずにすんだが、騒動の元が妻と知れたときは肝が冷えた」
「あのっ!……言い訳になりますがよろしいでしょうか?」
「聞こう」
「私の発案ではございません。多少頷かねば引くまいと、その……」
「取り持ったのはクオン殿だな」
「頭ごなしに否定すれば尾を引くと。案じての判断ですので切り捨てる真似は」
「せぬよ。あの者は優秀だ。そうせざる負えない事態だったのだろう」
「こんな事になるとは夢にも思いませんでした。不都合なら今からでも内密に断りの返事を致します」
「不都合はない。ことさら騒ぎ立てては裏に何かあると勘ぐりを産む。
 ヤマトの民は娯楽を好む。だが趣味に講じる合間に悪さを企み御法度の品を陰で取引する者も中にはいるのだ。治安維持の点から見れば其方をきっかけに悪事の芽も摘める、けっして歓迎していない訳ではないのだよ」
「お役に立てて何よりなれば幸いです」
 本意でないのはなんとなくわかっていた。妻を娶ったと公にしない現状で私が表舞台に近い位置に立つのはよろしくない。まだ地盤が整っていないんだ、安全に安心して並べないからずっと隠していたんだろうと察しが付く。苦笑いしつつも歓待してくれたのはまだ公的な場ではなく、私に少しでも気晴らしをさせたいからだろう。
 閉じ込めていたら悪いからと。
 間の悪さをひしひし感じていると座っていたオシュトルが身を起こし私の前に座る。自然堅くなる体を解すように起こってはいないと優しく語ってくれた。
「祭りのような賑わいに職務を忘れて某も参加できたならと血迷いもしたのだ。そう謙(へりくだ)ってくれるな」
「オシュトル、様」
 頬に手をやられ瞳をのぞき込まれる。
「オシュトルだ」
「……オシュトル」
「そうだ、それでいい。危なくなれば某に遠慮せず身を引く、良いな?努々(ゆめゆめ)忘れるなよ」
「はい」
 オシュトルは身を引き寝所で待っていてくれと穏やかに言い含めてくる。
「歌は嗜(たしな)まぬが其方の歌は好きだ。独り占めできぬとなると些か腹に来る。今日は其方の歌を寝物語に聞かせてくれ……不快ならば止めるが」
「下手だし恥ずかしいけどオシュトルのためなら、いいよ」
 では閨を共にした後でと頷き、未だ慣れない私は脱兎のごとく執務室を後にする。
 後はお決まりの流れで身を整え諸々済まし、迎えたオシュトルを膝枕で決め子守歌を歌って寝た。てか寝落ちした。起きたとき布団に寝てて小っ恥ずかしかった。


 物珍しさで受けた私の歌は二度目も大盛況で幕を閉じる。どっと疲れて拍楼閣で一休み、少したち三度目四度目と重ねていくと若干慣れたのかそれが日常の一部になった。
 相変わらずハクはドン引きだが慣れたのか、良かったなと喜んでくれるようになった。生暖かい目で見ていた隠密衆も護衛で付いてくるうちに「ナナコの歌聞いてるうちに結構いいかなって思うようになったかな」と褒めてくれる。
 最近隠密衆に加入したアトゥイ、八柱将のご息女は私の歌よりもオシュトルを射止めた経緯が気になるようで、支障のない範囲で事情を明かせば乙女には勢いが一番やねとか確証するのは止めてほしい。一応、押しかけはしたが無理強いせず拒否られなかった例外と言い含めたが通じたかはわからない。ウコンも苦笑いだ。
 
 忙しいだろうに、折を見て見に来たウコンも、わからないが上手えだの化粧すれば化けるな別嬪さんだぞ元から別嬪だがと一言多い。
「結婚してえってぼやいてた奴らがいたんだがよ。やべえ目で見てたから、俺のカミさんだぞ変な目で見んなってぶん殴りたくなった。あんま着飾んな」
 とぼやくから変な目で見てるのはウコンだけだよ?と返すとそれでいんだよ得心するのが腑に落ちない。

 四日に一度の歌姫は治安維持に多少貢献できたようだ。舞台に出るのをよく思っていなかったネコネちゃんも、兄様が嬉しそうなのです、事が起きる前に悪事の火種を潰せたから書類が少なく済んでやれやれなのです、と折に触れてホクホクしてる。
 私を見たら誰かさんのおかげという訳じゃないです、勘違いしないでくださいです!とつっけんどんだ。そうだね、担当する人達の努力の賜物だよと同意すれば何でそこで同意するのですとしょんぼりしていて申し訳ない。
「褒めてくれて嬉しいな!ありがとねネコネちゃん♪」
「一言余計なのです」
 義理の妹は腹立つときもあるが毎日可愛い。


 しばらくそのまま白楼閣と屋敷を行き来する日々が続いた。
 少々抵抗はあったものの日が過ぎるにつれ環境にも慣れそのうちそれが普通と認識するようになった。
 多少の差はあるものの右近衛邸でのんびりして白楼閣でたまに仕事を手伝う実に平和な毎日だ。

 徐々に体調は悪化していく。そろそろ聖廟に行かないと、でも最近は生誕祭も近いとかでウォシスも忙しいのか、使いにホモ三人衆(失礼)の一人をよこしてネタを下さいと催促されてと客間で言わせによこすぐらいだ。
 いよいよ危なくなったら迎えに来るつもりだろう。楽観的に構えてネタはないよと毎度返すが恥ずかしそうに毎度俯かれると羞恥プレイにこちらを巻き込むなと文句を伝言するが伝わっているかはわからない。多分聞き流している。お義兄さんもハクみたいに都合の悪い点は見ない振りする要素でもあるんだろうか?あるよな、兄弟だし。

 引きこもりがちだが時に精力的に動く私とは対照的にハクはヤマトの娯楽に興味はあまりないようで、私の護衛するときだけはついでに見てるかなとクオンが本人を前にして教えてくれた。大きな仕事もなくたまには皆で飲むかと雇用主が白楼閣の広間を貸し切り適当に過ごしているとクオンがハクの評価を教えてくれた。落語や寄席、他の芝居も誘って見たが一度限りらしい。
「ハクは頭が良いけど落語の情緒や間の緩急が解釈難しいみたいで、定番の笑い話がわかれば仕事もやりやすくなると思うんだけど」
「ほっとけ、食い気しか頭にない保護者に言われたくない」
 目に見えぬ早業でハクは尻尾で締め上げられ悶絶した。アンちゃん一言多いと背中をさすられながら解せぬと高座で呻いている。
 ちなみに今は一仕事の後で白楼閣で雇用主によるお疲れ様会、もとい酒宴の真っ最中だ。
「暇つぶしにちょうどいいからな。見てる間は寝ても誰も責めないし」
 あの喧噪で寝られる胆力凄いな、絞められた痕をさすりながら話を戻し怠惰を極めるしか頭にないハクの精神力はやはり度しがたい。
「あれ〜おにいさんナナコはんが好きで通い詰めてるんやないのお〜?」
 アトゥイさんいきなり何を言いますか。ハクはびっくりし過ぎて吹き出すし。
「だってじっと熱烈に見つめてるんやもん。おにいさんナナコはんと一緒に見つかった言うし口で言わなくても心の内ではナナコさんを頼りにしてるんやないかなあって。
 記憶喪失でも片方は記憶あるんやしこれは絶対言わない方がいいってナナコはん気ぃ回して何も言わず付かず離れず傍にいると思とったんよ?おにいさんもそれを察して、でも道ならぬ恋に落ちて、ウコンはんやナナコはんのためを思ってだんまりしとるって思とったんやけど……」
「外れも外れ大はずれです!外れでないなら大問題極まりない醜聞なのですっ!なぜ兄様が三角関係に放り込まれるですか!ハクさんの問題に振り回されるのもいい加減にしてほしいですっ!なんなら、ネコネ自ら爛れた想い毎矯正して」
「ええなあええなあ三角関係。上司に部下に部下の姉。血の繋がりがない姉は上司の奥方やなんて恋の匂いがぷんぷんするえ〜〜!!」
「ふしゃ〜〜っ!!」
 お二人とも酔ってますな?片方は頬に手を当てて片方はシャーッと唸り引っ掻く真似をする。ほっぺが真っ赤だから酔ってますね。絡み酒タチが悪い。
「いやなに馬鹿言ってんだよ。有り得ないから、てかこいつら所帯もちだろ。懸想する以前の問題だ。第一こいつの夫オレの横にいるからはなから機嫌損ねること言うなよ。そもそもこんな平々凡々最初から自分は食指が湧かないっていうかっ、てぇ!?」
 バチンと、背中を叩くいい音がしたなあ。
「良い度胸だなあアンちゃん。俺を前にしてカミさんに色目使うなんざ、お天道様が許しても見過ごすわけには行かねえ。勝負だ!」
「ギブギブっ!使う分けねえしそんな気もねえって止めろ馬鹿力!おまえに決められたら死ぬ死ぬからギエ〜〜ッ!!」
 肩を掴まれヘッドロック、首を締め上げられている。本気じゃないとは思うけど、酔っ払いが正常な判断保てるわけないしと仲裁に入った。
「馬鹿な話に乗らない。私が話さないのはろくな記憶でもないしハクに関する情報一つもないだけなんだからね。あとハクが、そのっ私に気があるどうこう言うなら、私がウコンにのぼせ上がった瞬間に面倒嫌って離れていくでしょ。ね、ハク?」
「確かに、好きな奴が近い位置にいる雇用主に惚れてたら面倒だから離れるな」
「でしょ?だからハクと私の間には何もないの。多少面倒見たしかけられた手前思い入れはあるけど気がどうのとかいう関係でもないから。ほらウコン、誤解で弟分を締め上げないで」
「痛えかアンちゃん、加減はしたんだが」
「痛い離せ」
 ハクの言葉にウコンは両手を挙げたあと他意はないと手元の徳利を手に取った。
「悪い悪い、嬢ちゃんの弟は俺の弟でもある。詫びに一献」
「ととっ、こりゃサンキュ。十分反省しろよな。おまえ等も!」
「なーんや、いい参考になると思っ取ったのに。ごめんなおにいさん、ウコンさんにナナコさんも。うち偉い勘違いしとったみたいで申し訳ないわあ」
 貴方は本音も建て前もダダ漏れで端で聞いていてヒヤヒヤする。
「全くなのです。これに懲りたら軽率な発言は控えるですよ」
「ネコネ?」
「うっ……申し訳ないです」
「これでいいかアンちゃん」
 ウコンの伺いにハクはむうっと鼻を鳴らしいかにもまだ納得してない風で腕を組み妥協案を提案する。
「謝罪は受けたし許さないでもない。でもな、世の中言葉で納得できる奴なんて少数だ。申し訳ないと思うならもう一献ずつ自分に」
「はい私の分あげる、これで手打ちね」
 徳利を差し出せば想定外だったのだろう。ぽかんとして顔が引きつった笑みになる。
「いや自分は自称姉貴からじゃなくてだな、当事者から一献ずつ貰えればそれで手打ちに」
「俺の女房から詫びを頂くのは気が引けるって訳か。アンちゃんは懐が広いのはいいが察しが悪くていけねえ、飲み過ぎに注意しろだとよ。弟思いの姉代わり変わりに俺が飲んでやらあ!」
 もちろんそんな意図はない。アトゥイは酒豪で酒好きだ。断られる前に代わりにと差し出しただけなんだけど良いように曲解したウコンの采配でハクが飲む分は綺麗に胃袋に仕舞われた。止めるまもなく目の前で片付けられ消沈するハク。だがすぐに顔を上げて次で落とし前付けるから今度も良い酒用意しろよと酒菜をつつく。立ち直りも早いのがハクの長所だ。

「ねえハク」
 宴もたけなわを過ぎ、ルルティエやネコネちゃんが引っ込み広間に残るのは酒豪だけとなっていた。ウコンは私の膝枕で高いびきをかいている。クオンに暑いかなとウザがられアトゥイに至っては引っ込むべきやえと一騒動起こしたくせに邪険にされてウコンの好きにさせたのはハクに話しかけたかったからだった。クオン達は女性陣で固まり寝付いていた。
 酔いを覚まそうと欄干に身を乗り出し風に当たるハクの周りにめぼしい人はいない。ウコンは気にしない。聖上や治安維持に触れなければ流し聞いてくれると私は確信してる。当然狸寝入りなのもわかってる。
 なので、今が好機と声を掛けた。
「何だよ、くだらない話なら聞かないからな」
「真面目な話だって」
 ハクの周りには常に人がいる。それは大いなる父という点もあるが人柄が良いから自然と集まるんだろう。お互いそれなりの立場になり忙しくなった、膝を合わせて話せる機会なんてそうそうない。だから不審がられるのを承知で確信に近い言葉を掛けた。
「仮の話でさ。ハクは覚えてないかもだけど昔私達が婚約してたとしてね」
「ねえから、趣味じゃない」
「仮だって。両思い片想いその辺好きに解釈していいから」
「おまえに片想いとか笑い話にしかならん」
「もう一人が都合良く綺麗さっぱり忘れてるの承知でさ、他の人好きになって勝手に婚約解消するのは、後で思い出したとき遺恨になると思う?」
「聞けよ」
 なるよね普通。
「なるだろ。でも自分には関係ない話だ。だっておまえは趣味じゃないしおまえの話に乗っかって考えても覚えてないそいつが悪いと思うぞ。後で腹立てるとか女々しいにも程があんだろ。捕まえとかないそいつが悪い」
 記憶がない方が悪いって断言しちゃうんだねハクは。いつもと変わりないとぼけた表情で腕を組みうんうん頷くハクの本意が私には読めない。
「……不実だって、思いっきりなじってもいいんだよ」
 目を閉じてイビキをかくウコンの髪を撫で付ける。オシュトルの時はさらさらなのにウコンの時は針みたいに尖ってて本当卒がないと感嘆する。まだ割り込む気はないようで、ふごっとらしい呻き声を上げて後はすうすう穏やかな寝息を立てている。
「いた」
 眉間に一発、デコピンを食らってしまった。間近でハクが渋い顔で覗き込んでいる。
「馬鹿、仮の話だろうが。何度も言ってるだろ、自分には関係ないって」
「……本当に関係ないって思う?」
「思うだろ普通」
「断言できる?絶対自分は過去に私と一度も関わりがなかったって」
「いやに食いつくな、どうした?ウコンと喧嘩でもしたか」
「違くて。睦まじくて良好ですよ」
 自分でもどうかと思うぐらい大切にされてる。それがまた色々堪(こた)えるんだ。
「感傷的になっちゃったからかもしれない」
「いつもそうだろ。今更なに動揺してんだ。大丈夫かそんなんで」
「寄席だの漫談だの聞いたからかな。古風が過ぎるよね、何時代だっての」
「聞けよ、まあ退屈なのは否定しないが」
「だよねえ、刺激に慣れた現代人にはちょっとっていうか、もっとぼっちで楽しめる娯楽をたしなみたいな」
 同人誌とかネットサーフィンとか。
「そりゃおまえだけだ。世話になる身で文句言うな、クオンに拾われただけマシだと思っとけ。生きてた時と比べても虚しいだけだろ。江戸時代に近い文化体系なんだから比べる方が酷ってもんだぞ」
 なんかハク盛大に口が滑っちゃったね。無言の間があり、ハクは表情を変えないまま視線を逸らしややあってとぼける。
「……エドジダイってなんだろうな」
「サンキュも気を付けた方が良いよ。目ぇ付けられたら後が怖いし」
 誰とは言わない。
「隠密だもんな、精々目立たないよう頑張りますよ」
「お互いのためにもね」
 記憶の有無を確認するのは簡単だろう、でもそれでハクが困ったり辛い思いをするのは嫌だから見ない振りをする。ハクもそうなんだろうか、そうだといいな。
「目え付けられるって誰にだよ」
「口にしたら首が飛びそう、だから言わない」
「よっぽど怖いんだな、そいつ」
「ぱっと見優しいよ。不義理だとか法を破るとかなると厳しいかもだけど守る間は多分大丈夫」
「……おまえ大丈夫か?危ない橋渡ったりしてないよな」
「ハクじゃあるまいし安全牌で行ってるから大丈夫だよ」
「牌とかいうのもヤバいだろ。まあいいや、おまえを信じて放っておく」
「人はそれを放置という」
「おまえが言うな」
 苦笑しまた一時の間があった。無言なのに心地よさすら感じるのは夜風が気持ちいいだけでなく胸の内を少し話せたからかも知れない。だから尋ねるには今しかないと思った。
「実は私洗脳してるのよ、皆を」
 はあ?と聞き返され勢いに乗り打ち明けた。
「好かれたい仲良くしたい、そう願って動くから皆私を大事にしてくれる」
 オシュトルでさえも。
「おまえ馬鹿なの?」
 少しの間の後、何でもない風に流されてしまった。馬鹿との単語にそれだけは共感して自嘲する。
「そうだね、馬鹿だよ。今更後ろめたくなって後悔してる」
「いやコイツが好きにされるってどう考えてもあり得ないだろ」
 ハクが指さすウコンは呑気に大口開けて爆睡し隙だらけだ。ぱっと見こうでも洗脳される隙はないと言いたいんだろう。確かに、右近衛大将の隙を突ける奴なんて早々いない。ハクはまだ知らないが、亜人より上の立場、オンヴィタイカヤンの命令はヤマト製の亜人に効く。帝の関係者しか知らない事実が心に重くのしかかる。
「仮におまえの洗脳がな、万に一つもないがウコンに効いたとしてだ。どうやって洗脳したっつーんだよ。お強請りとか言ったらはっ倒すぞ」
「お強請りだよ?」
「惚気てる場合か。自分は本気で聞いてやってんだぞ」
 揶揄われたと思ったのか憮然とするハクに真面目な話だから聞いてと話を続けた。
「私はちょっと特殊でさ、ヒトの意思を言葉でねじ曲げられるの。好きになってと言い続けたらそのうち本気に好きになる……って具合にね」
 意識してやった訳じゃないから無効だと思いたいと呟けば多少真に受けてくれたのか目を細めてハクがつぶやく。
「……雇用主が被害者って最悪なんだが」
 賢いハクは十まで言わなくても察してくれるから私はとても助かる。バレたとき現状のままでいれるか危ぶみ始めたハクに私はもう一つの懸念を打ち明けた。
「ねー。今になって私も酷かったなあって反省してる。もっと最悪なのがさ」
「嫌だ聞きたくない。おまえいつもどうしようもない問題持ってくるから嫌だ」
 耳を塞ぎ本気で嫌がるハク、でもごめんね相談できる人なんてハク意外いないんだ。これから多分忙しくなる。妻になるにあたっての礼儀作法や知っておい方がいい事を山ほど勉強しないといけない。オシュトルは名言こそしなかったが今回の宴が多分私の中での区切りなんだろう。だって皆勢ぞろいの飲み会なんて早々なかった。ハクとウコンで連れ立ったり男衆で飲みだとか女衆は別室で談笑だとか。たまに手伝いだとかで交流はあってもみんな揃ってさあ飲むぞなんて機会は数えるほどだった。それは大きな仕事の後とかでこんな、いきなり何でもない日に行われる宴席じゃなかったから。
 無理やり皆と別れさせられるなんて思ってはいない。忙しくなるから一息つかせよう程度の配慮だろう。でも今まで見たいに気軽に行き来するのは難しくなると私は踏んでいた。
 話せるうちに話しておいた方がいい。無差別に先導したつもりがなくても何かがきっかけで暴徒してもおかしくない。原因を伝え今解決策が分からなくても有事の際対処出来る余地を残しておきたかったんだ。真っ先に体を張るのは検非違使と関連するハク達なのも予想できたから。
 酔いもあってか懸念を伝えねばと私は訴えた。嫌がる素振りはポーズでしかないと分かっている。本気で嫌なら部屋を飛び出て振り返りもしないのがハクという人間だ。
「ハクしか話せる人いないんだよ、聞くだけでいいから聞いてよ。これ解き方わかんないの、いざ解こうにも掛かってなかった場合変に思われたら嫌でさ、右往左往してるんですわ」
「掛けたかどうかわかんねえならどうしようもないんだが?」
 ほらやっぱりちゃんと聞いてくれてる。自分が嫌でも関係者が危なければ助けようとしてくれるハクはとても優しい人だ。とても嫌そうなのがマイナスだが迷惑掛け通しなのはこっちだからと気を取り直し、過去試みた結果を簡単に要約して話した。
「本人も自覚無しだから聞いても本気にしてくれません」
「なんだそりゃ、打つ手無しじゃねえか」
「皆の洗脳よ解けろ!なんて往来の真ん中で叫ぶわけにはいかないしね」
 立派な不審者だ。検非違使呼ばれて連行される。
「ん?ということはもしや連日超満員の芝居小屋も……」
「可能性大。上手に聞こえろと必至で念じてました」
「自分は何も聞いてない!集団催眠は荷が重すぎる。薬師か専門知識に頼るのが一番だからとっとと駆け込め」
 全力で引きつつも大事になる前に解決策を提示してくれてありがとう。でもね実はそれ一回帝に進言してると私は付け加える。
「もうトップに駆け込んでる。オシュトルより上だよ、誰かは詮索しないでね。そしたら放っておけって放置された。実害ないなら構わないって」
「マジか……」
 二人そろって途方に暮れる。嫌なところで息が合っちゃったねと嘆息すると現実を受け入れたくないのか演技なんだよなとハクに水を向けられた。
「今度そういう劇やるんだろ。歌姫に役者におまえ大活躍だな」
 笑いが引きつっている。でもこれ以上付き合わせるのも可哀相かと一方的な心情吐露を中断し胸を張って話に乗った。
「なかなか決まってるでしょ!」
 怯え顔から一転安堵する表情に私もほっとする。聞いてもらえてちょっと心が楽になった。楽になったで済ませていい話じゃないが、いまだ狸寝入りを決め込む右近衛大将様が止めに入らないならそれは見過ごしても大丈夫ということだ、そう解釈しておく。
 知らないうちに洗脳や暗示をかけてしまった人たちにはハクが言うように薬師を頼り暗示を解くつてを探そうと私は算段した。往来で呼びかけるのはなし、となると観劇に来た人に無償でふるまうお茶になんか薬入れるとかどうかな? 薬師の協力は絶対だから副作用が出ない薬をクオンに見繕ってもらって、でも薬ふるまう時点でヤバいからどう誤魔化すかと私が頭を悩ませているのにハクは。
「人外演じるには美貌が足りん」
 なんて切り上げた話を蒸し返すから私の心は緊張しっぱなしで心臓に悪い。ナチュラルに辛辣な評価を下した後で欄干から下を見下ろしながらハクは応えてくれる。
「自分が言うのもなんだが、お前が言うトップって奴の言うように実害がなければいいんじゃねえか。お役目大事は変わってねえんだし錯乱したとかもねえんだろ」
「そうだけど、大事にしてくれる人達に不実なのがきつい。ほかの人も巻き込んでるし」
「知らぬが仏って奴だよ。全部打ち明けて嫌われたくないなら黙っとけ。洗脳は良くねえが害もないんじゃ思い込みで片付く話だ……馬鹿、泣くなよ」
 ハクの言葉が嬉しくて辛い。自覚なくても手を付けていた悪事を擁護させてしまうなんて。実害は大いにあるとも言えない。貴方は帝弟で私は血の繋がらない帝の妹だ。おまけに元婚約者。居心地悪すぎ。加えていうなら問題が一つ……
「もう言った」
「おいまさか……」
「オシュトルもありえないって」
 振り返ったハクは肩を落とし溜まらずといった風に罵倒を零した。
「阿呆」
 やっぱり騙された被害者に告白するのは悪手なんだね。何かあったら真っ先に疑われる立場に立候補したのも同然だもん。
「なんで、言ったんだよ」
 非難めいたハクの問いに視線を上げて私は答えた。
「あの人いつも民のためにって五月蠅いじゃん。洗脳が原因だと治せないかもしれない、そうしたら悩みの種になるかなって。只でさえ忙しいのにこれ以上苦しめたくなかったんだ」
 もしもの話だけどとつぶやく私に仮定の話で不和の種をまくなとハクは嘆く。だって仕方ないじゃないか、微笑み流してくれたオシュトルを思うと見ないふりは出来なかったんだ。それでハクまで同じような答えを返してくれたわけで。周囲の配慮が有難いやら嬉しいやら、自分が情けなくて申し訳ないやらでグズグズになる。
「洗脳がとけても、嫌わずにいてくれるかなあ……?」
 べそをかきながら誰かの肯定が欲しくて頬を拭う。優しいハクは仕方ないなあという風に近寄ると肩を叩いて慰めてくれた。
「大丈夫だろ。おまえがヘマさえ踏まなけりゃいつも通り嫌われもしないだろうよ」
「ヘマしまくってるから問題なんだよ〜」
「わかってるなら流しとけ……だから泣くなよ……」
 好きで流してるわけじゃない。勝手に出るんだ気にしないでよと無茶を言いしばらく私は零れる涙をぬぐっていた。頬はぐちゃぐちゃで顔面はひどいありさまだ。話を切り上げたいのに着地点も見えず何とも言えない空気が流れる。
 ハクは気まずい雰囲気が苦手だ。こういう時話を逸らしたりお茶を濁してはいおしまいとけりをつけるのに、多少思うところがあるのだろう。見ないふりをしてほしい私の心中など知らず、ん、と無造作に袖から手拭いを差し出してきた。ありがたく受け取り鼻をかむ、振りをすると途端にいやそうな顔をするからやっと私もふふっと笑えた。ハクもほっとしたのか微笑んでくれる。
「おまえ滅茶苦茶だけどさ、加減できてるだろ。だから大したことにはならないと思う。こいつも、そう思ってるからおまえの話笑い飛ばしたんだろうよ」
 論理的根拠のない希望的解釈にすぎない発言だが言わせたのは私だ。おまえきにフォローするような物言いで柔和な笑みまで向けてくるから折角の笑顔も引っ込んでしまった。
「今を大切にすべきだろ、過去がどうだろうと今のおまえはおまえなんだからさ。おまえの言う洗脳だっておまえがそう思い込んでいるだけかもしれないし。
 どーんと胸張って、昔なんか知るもんかって前だけ向いとけ」
 それで間違っても過激な言葉吐くのはやめろよ、セリフもだかんなと指で指されて頑張ると深く頷いた。口約束に過ぎないのにハクは安心したのか指を下ろし微笑んでくれた。
「おめでとさん。末永く縁が続くといいな」
「ハク……」
 言わせて悪い。庇わせて悪い……祝福してくれてありがとう。喧嘩に自分を巻き込むのは止めてくれよと注釈を付けるハクが愛しくて嬉しくて。私の所業を肯定してくれた気がしてでも甘えすぎるのはよくないと自戒した。私もハクが大切だからこれ以上付き合わせるのはいけないと自分の中でケリをつける。
「ありがとねハク。今度そういう演劇団長がするみたいでさ、ハクも見に来てね。特等席団長に頼んで用意しておくからさ」
「寝ても怒らないなら考えとくわ」
 劇の一幕を装い何でもない風を装ってくれるハクが好きだ。足が遠のいたとしてもハクはこれからもきっとこうして暖かく迎え入れてくれるんだろう、私だけでなく皆も。好意が嬉しくて私もハクを大事に思っていると伝えたくて、もしかしたら聞き耳立ててるウコンが嫉妬するかもだけど大丈夫でしょと結論づけ、わかっていた爆弾を投下する。
「ハク、大好きだよ!これからも仲良くしてね」
 さっとハクの顔から表情が消えると同時に狸寝入りを決め込んでいたウコンが立ち上がる。ああやっぱり起きてたのね、心配して空気を読んで寝てくれてたのね。ウコンも優しいなあ、背中になんか怒気が見える気がするけどきっと気のせいだわと見ないふりを決め込んだ。
「詳しく聞かせてくれねえかなアンちゃん」
 私がハクに好んで絡むのを隠密衆の皆は知っている。普段なら、ああまた馬鹿が馬鹿やってると聞き流したり暴走する私を止めてくれるのだが良識人は退席し力業で納めるお姉様方は潰れていた。なのでこの場で動けるのは再度当事者にされ顔を真っ青にするハクと、微笑みつつ青筋を立てて弟分に腕を伸ばすウコンのみ。ハクごめん、余計な一言だった。
「おまっ、馬鹿、周り見て物言えと、てててっいっ馬鹿ウコン悋気焼く相手間違えて痛ーーー!!?」
 ヘッドロックは完全に決まった。ハクは悲鳴とあげて悶絶し昏倒する。おいたが過ぎるぜカミさんと不機嫌そうに文句を飛ばすウコンに、私はやんちゃが過ぎたごめんなさいと片手をあげた。
「嬢ちゃんに首ったけなのは俺だけだかんな」
 そのくせ口をすぼめて可愛く拗ねるんだ。振りか本気かは知らないがウコンは私の喜ばせ方をよくわかっている。私はほころび冗談に乗った。
「当たり前でしょ、ハクは可愛い弟分だもの。恋仲なのはあんただけ♪」
「ったく調子のいい……」
 軽く息をついたウコンは気絶したハクを肩に背負い廊下に出た。さすがに呆れたか失望させたか心配になるけれど振り向いた顔は穏やかで私の不安を蹴飛ばしてくれる。
「詫び酒部屋で飲ませてくるわ。アンちゃんには俺のカミさんから何まで色々世話になってるからよ」
 ハクとの会話なんて端から聞いてない振りをしてくれるようだ。途端に生じた罪悪感から私は立ち上がり傍に寄った。
「ウコン本当にごめんなさい」
「謝るこたなんもねえよ。洗脳どうこうも思いつめたカミさんの勘違いに決まってる。アンちゃんも違えって言ってんだしよ、こういう時は食べて飲んで忘れるのが一番だぜ。まだ食事残ってるが、どうだ?」
 首を振りせっかくだから二人で楽しんでほしいと申し出を辞退した。障りがなければ留まる人だ。きっと今は二人、あるいは一人休みたいんだと解釈しておく。
「……一つだけ訂正しとく。俺が洗脳かかってねえってのは嘘だ」
 去り際こちらを見るウコンに何か障りが出たのか焦る私に優しく微笑んで彼は言った。
「嬢ちゃんはいつ見ても綺麗だぜ」
 あまりの内容に思考が飛ぶ。綺麗なのは貴方の方、男性に向ける言葉としてはふさわしくない気がして生唾とともに言葉を飲み込む。
「……私も、いつ見てもあなたは格好いい旦那様だと思ってるよ」
 数秒呆けやっと浮かんだ言葉に人のいい夫は破顔して胸を張った。
「足りめえよ!こんなかわいい女房がいて腐る旦那はいねえってな」
 そう微笑んで聞き流してくれるんだからオシュトルも相当だと思う。


 後日、邸に仕事の報告がてら訪れたハクが酒をよこせとぶいぶい文句を言ってきた。ウコンからもらったじゃんと指摘すればお前からはまだだろと屁理屈を言う。ハク関連の用事はないとのことで、それならオシュトルが不在の折にハクが訪ねてきたら出すよう言付かっていた酒を進呈すると途端にハクの機嫌は治った。
 勝手に台所からつまみを拝借し(一応食べていいか尋ねるので家人に聞き許可の得たものだけ頂いた)いそいそ案内した客間で早速栓を開け一人晩酌ならぬ昼酌を楽しむハクが図々しいやら面白いやらでなんとなく私もその場にいた。オシュトルは午前中仕事で不在、もう少ししたら帰ると思うが確証はないと告げればハクもお休みだそうで、なんとなく来ただけだから気にするなと好きにしてくれと放っておかれる。
 することもないから酌しようかと尋ねるが悪いからいいと一人嬉しそうに杯を傾け実に楽しそうだった。それなら放っておこうと結論づけ、手持ち無沙汰だから畑でも見るかと腰を上げかけて昨日の礼ができてないと思い出す。
 腰を下ろしご機嫌のハクに昨日は悩みを聞いてくれてありがとうと声を掛けたところで何でもないようにハクが提案する。
「色々打ち明けて貰ったところ悪いんだがよ。今度の舞台で洗脳解けろって言えばすむ話なんじゃねえか?」
 セリフで誤魔化しゃどうとでもなるとの言葉に目から鱗。恥だの迷惑をかけるだのに囚われて大事しか考えられなかったと戦慄けばおまえ真面目だもんなあとハクが溜息をつく。
 これを伝えに来てくれたならわざわざ手間を掛けさせて申し訳なかった。自分でも溜息のつきどおしだ。こんな簡単な事に考えが至らずごめんと頭を下げるが謝罪はいいからと片手でいなされ実はだなと思ってもない告白をされた。
「おまえが浮気してねえか心配してたんだよ」
 ハクが何で?いや違う、この場合はオシュトルか。
「あいつもアレで結構気にかけてる。大事にしてやれよ、タイプじゃなくてもな」
 疑問符らけの脳内に該当者が浮かび浮気なんて面倒なこと誰がするかと素で叫ぶ。恋は盲目ったって限度があると呟くハクに力強く頷きタイプじゃなくてもおまえがする訳ないもんなとしみじみこぼす感想に首を傾げた。滅茶苦茶どストライクですが?
「前に優美なのがいいって言ってただろ。それすれ違った時言われたらしくて凹んでた。ウコンが」
 午後から非番と聞いてたけど、あれねハクのところに愚痴りに行ったのね。ほどほどの所でハクは抜け出しその間ウコンは下町の見回りか、それかやけ酒か……帰ったら怖いなあ。ウォシスも何してくれちゃってのよ。ネタに困ってるからって身近で火種作るの止めて。私に関わらないなら可。いろいろ思考を飛ばしハクの言葉を反芻して気になるワードに私は再度首を傾げた。なんか思い違いしてない?
「私のタイプはガチムチだよ?」
「おまえ前優男が好きだとかほざいてなかったか?」
「まあそれはいいのよ」
 好みなんてその時々で変わるからね。オシュトルは大好きに該当する中でも不動の大好きです。
「良くねえだろ」
「教えてくれてありがとうね。あの人が帰る前でよかったわ。おかげで対処できる時間ができたし」
 主に不安からねちっこくなる行為に付き合う心構えができた程度だけど惚気て恥をかくのは嫌だから濁しておく。
「え、何すんの逃げるの?自分をまきこむなよ」
 いや、ハクの中で嫉妬に狂ったオシュトル像ってどんだけヤバいの? いきなりとんでもない疑惑を向けられて逆にびっくりなんですけど。
「逃げないよ?可愛いなあって思っただけ」
「ああそうですか……」
 脱力するハクの背中に日々の疲れが見えてふいに可哀相になった。きっと連日溝掃除に白楼閣の面々に付き合わされてお疲れなんだろう。時には潜入や張り込み大立ち回りでなかなか疲れもとれなさそうだ。楽しそうで何よ、ゲフンゲフン。
「蒸し風呂入ってゆっくりしてく?」
 純然たる好意と困らせて反応が見たい少しの好奇心でそう私は尋ねてみるのだが、ハクは取り付くしまもない。
「なんでだよするかよ。主人のいぬ間に風呂なんざ妙な誤解をうむだろ、言うなバカさせるなバカ」
 じゃあ夫のいない家に上がり込んでまで様子見に来るおまえは何なんですかね。酒をたかるわつまみも要求して奥さんバカバカけなしてくるし。会話の最中だぞ、箸で膳をつつくな。美味しいなら味わって食べてよ、折角だからさ。迷い箸はネコネちゃんのお小言が来るから気を付けて。
 つれないハクに私はさも機嫌を損ねた風にジト目を装い冗談を飛ばした。
「ハク私のこと好きでしょ?」
「当たり前だろ姉替わりなんだ。無茶してでも顔見に来たくなるもんだろ」
「だから、泣くなよ……」
 ハクは不意打ちが過ぎる。好意しかない会話が嬉しくてありがたくて、楽しませたいのに皆みたいにうまく会話が回せない。袖で涙をぬぐい隠しても吹き出てくるんだからしかたないじゃないか。だってハクと話していると胸の中からこみ上げるんだ。一緒に旅をした付き合いのいい連れでそれがかつての婚約者で本当なら傍に居られる身分じゃない人なのに、そばに居られて、嬉しくて誇らしくて少しの憤りと悲しさをハクのそばにいると感じてしまう。
 私は涙を拭いきると空薄っぺらい笑顔を装い言い訳に終始した。
「楽しい雰囲気にしたいのにごめんね、私話すの下手でさ」
「おまえの話下手は今に始まったことじゃないだろ」
 そうですね、昔からそうでした。
「心配してくれるんだ?」
「だから姉替わりを……こんなんで一々涙ぐんでたらキリがないだろ。いい加減慣れろ」
「いきなり親密な話題振るハクが悪いよ。はっ、実はハク?!」
「聞かねえからな」
「私を心配して駆け落ちなんてしてくれようとしちゃったりして」
「誰がするか馬鹿野郎!!」
 ばっちり聞いてるじゃん。ちょっとだけ気分が上向いた私はせめて場の雰囲気を明るいものに変えようと驚きから首を振るハクに畳みかける。
「えー、結婚してても諦めきれなくて実はおまえが好きだったって奪いになんて来たり」
「するわけないだろ阿呆!そんな気もないし。変な絵双紙見過ぎて幻覚決めすぎたんじゃねえか?正気ですかー右近衛大将の奥方様ー」
 手を目の前でひらひらさせるハクは本当に過去を頓着していない風で安心した。
「よかった!なら何も問題ないね」
「最初からねえよ、衣食住提供してくれる雇用主の奥方に横恋慕する馬鹿いねえから」
「ハクもいい人できたらいいね、お幸せに」
「余計なお世話ごくろうさん」
「ルルティエちゃんがお勧めで」
「しつこい」
 完食せず立とうとするハクの腕を掴む。何故か焦りの浮かぶ表情に私はハクの忠告が実行可能か試してみようと言葉をかけた。
「洗脳よ解けろ……どう?」
「元からされてない。離せ」
 あれ〜やっぱり勘違いだったかなあと潔く身を引けば自分で実験すんなどうりでおかしいと思ったとハクは憮然として客間を退出する。
 ご飯残っているよと声をかけるがもう腹いっぱいだからじゃあなとハクは手を振りさっさと帰った。美味い美味いと舌鼓を打っていた膳はまだ半分も残っている。ハクは取り繕うのが上手で抜け目ないがその場限りが多いようで、オシュトルの帰投まで待つと言ってたのに這々の体で逃げ帰るなんて、あからさまに動揺しているのが丸わかりだ。

 ハクが再三言ったように私も今更過去を蒸し返す気はない。
 聖上の身内を嫁に迎えた意識がオシュトルになくても誓いを反故にする気だって元からないんだ。
 オシュトルの大事なものが危機に晒されたとき彼が守るのは聖上だ。それでいい、それでこそのオシュトルだ。ならば私は彼ができないことをしよう。力及ばずとも私がハクを守るんだ。だって二人とも大切だから。どこまで続くかは、わからないけれど……
 いつかはきっと終わるんだろう。オシュトルが散るのが早いか見いだされたハクが帝室に上るかこのままでいるかあるいはヤマトを去るか、どちらにせよ今がずっと続く保証はない。
 でも遅らせることはできる、火種を積めばどの道を選ぼうと私はきっと納得して笑顔で送り出せると、そう願っている。
 トゥスクルを選んだら泣きわめいて抗議してやるけどさ。
 オシュトルが塩になるその日まで、せめて今が長く続けば良いとハクが去った玄関を眺め見て私は一人思ったんだ。


 後日、歌姫として舞台に立った私はそれとなくセリフの間に私が掛けた洗脳よ解けろとそれとないアドリブを交えて口にしたが、観客たちが席を立つ気配はなかった。逆に感化された劇団員が口々にそれっぽいセリフを言い、ただの舞台袖の歌姫が悪役に操られる哀れな姫になり、最後は聖上役の大岡裁きで大大円を迎える顛末となり拍手喝采万々歳の結末を迎える。聖上出ない話だったのに突然のデウスエクスマキナのご登場に脳内は真っ白だ。劇が破城しないよう周囲のセリフに合わせていたらこうなった。
 そしてファンは減らず逆に即興のアドリブが受け賑わいを聞いた野次馬が終盤というのになだれ込みてんやわんやの大わらわ、感涙感動の雨あられ。ファンが増えた、解せぬ。まさにハク曰くどうしてこうなった状態である。
「おまえ魅了のデフばらまいてんじゃないの?」
 頭から布をかぶりクオンとハクの陰に隠れながら人目につかないよう控室から出たのに早速見つけられて裏路地を這う這うの体で走り、白楼閣に帰り着き息を整える間にハクから文句をつけられた。否定しようにも難しくごめんねと言い募るほかなかった。



前へ うたわれ夢小説 次へ



- 25 -

#prev_前##next_次#



風と行く