29話 消せない罪悪感
腹痛で寝込んで数日後、寝室で休んでいると控えていたマリカから聖廟からお目通りの要請が来たと声が上がる。角がある者通し思念で会話できるのか、身嗜みを整える間に周囲に霧が展開し双子が現れ両手を地面につき是非ご同行をと請(こ)われた。断る理由もない、もちろんいきますと返事をして、近くに控える家人に出かけるから伝言を頼もうと呼びかける。
謀(はかりごと)は山とあるが国外に比べればヤマトは平安だ。諸々きな臭い要素はあっても賑やかで活気があり女二人連れでも安心して歩ける程度に治安は良い。
オシュトルが知る方に会ってくると言伝(ことづて)を頼み家を出れば見知った箇所を歩き、出迎えてくれたホノカさんが頭を下げる。
「我が君がナナコ様とお茶が飲みたいと申しております」
微笑むホノカさんの後ろ、庭園奥でよく来たと手招きする縁者に断る理由もないからお久しぶりですと席に着いた。
出迎えてくれた聖上は私の体をいたく心配し先に治療ポッドで体を癒やせと進めてくれる。急は要していないからまずは聖上に日日あったことを語りたいと丁重に辞退して、ならば帰りに使えというのでありがたくそこは頷いといた。
メールでのやりとりはあったが、対面で向かい合い席に着くのは久しぶりだ。庭で摘んだ紫陽花を手土産にホノカさんに渡すと二人とも喜んでくれて早速台の上に飾り付けてくれた。
ひとまず改めて妹へのお悔やみの礼を言い互いを慰め合う言葉を掛けた後、今までの経緯を交え雑談に興じる。
どこまで掌握されているのか、私が芝居小屋で歌っているのもご承知だった。なかなかの盛況ぶりだと聞いたぞと水を向けられるが唯々(ただただ)恥ずかしいばかり。ついでに、勝手に舞台に立ち大衆に影響を与えるのは不味いかどうか尋ねれば好きにせよと許されてしまった。
「扇動もせずただ好きで歌うものを断じる触れはない。是非楽しんで歌うとよい」
精々(せいぜい)騒動にならないよう気をつけて歌います。
私の動向はウォシスを通じて知られているのか、忠告の後はあの歌は懐かしいとそれに連なる思い出話に花が咲いた。
……主に私に関して事だったが。家事の途中鼻歌ヤマトさんに聞かれてキレたり下手と言われて逆ギレし歌の向上目指してカラオケに行き二人してバテたとか。帝は面白そうにまるで見てきたかのように語るが私にとってはただただ恥ずかしい思い出でしかない。
ハクの周囲を知りたいかもと予測を立てて話を振るが自然と会話の内容はハクがしでかした失敗で占められてしまう。軌道修正を図ろうとするものの、楽しげに聞き入る帝にその後はどうしただの、ほれ見たことかと合いの手を入れられては中々話の転換が難しく追随してばかりいた。聞けばハクとの歓談は始まったばかりで大店のご隠居を装うのに難儀しているとのこと。これでか、どう見ても好々爺にしか見えないんだが。
兎にも角にも、他人の褌で楽に相撲を取れる筈がなかろうと微笑む聖上は弟の些末を聞けてとても嬉しそうだった。
ハクとしてはそうしたかったんだろうけどそこは諦めて貰いましたと締めれば、自分で動かぬ限り楽な道は早々選べぬ、伝える機会があればあれに伝えてくれと伝言された。伝えたところで馬耳東風でしょと呟けば確かにのうと嘆息されまた嬉しげに綻ばれる。
「お主と話すと顔が緩んでしょうがない。あれはそんなに面倒を嫌うか?」
「あ〜、嫌うっていうか避けてますね。綺麗な女性が傍にいてもちっとも靡きませんし」
「唐変木じゃのう」
「靡く節はあるんでしょうが生きるのに精一杯なんじゃないですかね?手を出して居心地の良い場所失うよりは皆を大事にしたいとか」
「枯れておるのう若いのに。其方を見習ってもっとがつんといくべきじゃろう」
「私を見習うのはどうかと……」
出会ってすぐ口説きまくるハクを想像してドン引きする。
「ほっほっほ。いやすまぬな、話が通じるからとつい楽しうて口が滑った。楽しいついでにもっといろいろ聞かせてくれ。外の話は老人にとって何よりの活力になるからのう」
お言葉に甘えて私は不都合でない話を続ける。ハクの名とオシュトルの部下で雑務を担当している程度の情報は流したが、隠密衆の名は意図的に隠した。咎める人ではないけれど関係者以外に万一情報が漏れてはいけないからだ。帝もわかっているのかふむふむと流し聞き入ってくれた。
皆で食べた串焼きのおいしさ、仕事帰りに見た町の賑わいに景色の美しさ。ハクはどの味が好むとか好きな酒はこれでよく飲んでるだとか、高尚ぶって評論読んでたけど隙間からばっちし料亭の番付が覗いてただとか少し悪口も入ってしまったのが申し訳ない。
帝のツッコミは的確で(何をやっとるんじゃ情報の出所を確かめぬからそうなるんじゃ二兎追う者は一兎を得ずアホか愚かじゃのう等々)気づいたら私も聖上と一緒に笑っていた。
「もうなんでそうなるんだって話でしょ?ハクだから何とかなったけど他の人だったらこうはいきませんって、ふふっ今思い出しても笑っちゃいます」
くふくふ笑いを堪えていると生暖かい視線を向けられていることに気づいた。
「失礼、気安すぎました?」
弟君の失敗談で盛り上がるのはあまり気分の良いものじゃなかったかも、いや良くはないでしょと反省する。身を正すが聖上は首を横に振りそうではないと目を細める。
「良いなあと思うたのじゃよ。気安い面々と戯れ時に馬鹿をし笑い合える。貴重な経験じゃ、其方等が眩しうて何も言えなんだ」
主にハクばかっりしんどい目に遭ってて気の毒だけど。まあ傍目には皆を巻き込んで一悶着起こしつつ大団円に納めるハクって格好良いよね。見て聞くだけなら痛快だけど、張り込み溝掃除潜入捜査ってストレス膨大で私はごめんだわ。溝掃除は大歓迎。
羨ましがる文言に単純な疑問から尋ねてみる。
「聖上も、かつてはそのような時があったのではありませんか?」
「あったのう。研究馬鹿どもと徹夜の数で競うたり実験の成功率で夜食を掛けたり、だがそれも遠い昔よ」
うわあ本当研究馬鹿。デコイとの暖まるエピソードを期待したらツッコミづらい話題が出たわ。話を変えようと過去を懐かしむ眼差しにそっと囁いてみる。
「今からでも遅くないですよ。気心の知れた方とご歓談なされば気も晴れましょう」
「奴らに何を話せと?掘った大根が走る話をしても困惑するだけじゃろうて」
研究者時代の実験体の話ね。ヤマトさん追い回して疲れたってぼやいてたけど私は羨ましかったな。一度ぐらい見てみたかった。
「私は好きですけど。って違くて!」
聖上は楽しそうに笑うが諦め混じりの寂しげな笑みを浮かべてしまう。
「わかっておるよ。世間話でもすれば気が紛れると言いたいのじゃろう?じゃがのう、彼等の寿命は短い。仲良くなってもすぐに死ぬ。代替わりをしても親と同じとはいかん。媚びへつらい少しでも歓心を買おうと謙る様を見ると、どうもな」
「絶賛へりくだり中の私を前にして言いますか」
短命嘆いているけど聖上が例外なだけだからね。命を惜しむなら軍人重宝止めたら生存年数伸びるんじゃない?なんて思考が血迷うけど、周り蛮族だらけで文官優先したらあっという間に國が攻め滅ぼされるわと口をつぐんだ。戦国時代って怖い。
「お主は謙ってはおらぬだろう?好意に甘えだらけておる。そんなんではオシュトルに愛想を尽かされるぞ、ほれ余の歓心を買うためにもっとへりくだらんか。三回回ってわんをせよ」
「横暴が過ぎますよ聖上、わん!!!」
権力に逆らう勇気はないから速攻立ち上がり言うとおりにすると残念なものを見る眼差しで哀れまれた。げせぬ。
「従わずともよい。余とお主の中じゃ、咎めはせぬから少しはプライドを持て」
「そんなんあってもお腹膨らみませんし。多少の我慢はすべきでしょう、お気になさらず」
「先が思いやられるのう…」
嘆息し下を向くが聖上の笑みは消えない。
「まあよい、逆にいささか小気味良い。デコイではこうもいかぬ。対等に話すにはこうでなくては。もっと余に反抗しても良いぞ?馬鹿だのぐうたらだの弟に掛ける言葉ぐらい余に掛けてみよ」
「あははは、それに関しては釈明の仕様もなく」
「なんじゃ、言わぬのか?」
「口にすれば最後、誰かに聞かれでもしたら百杯返しで縛り首になりかねません。なの止めときます」
壁に耳あり障子に目ありですぜ聖上。あなたが良くても狂信者共に偶然聞かれでもしたら蜂の巣にされそうだし。
「そこまでせんわ。精々僻地に追放程度よ」
言わなくて良かった!今後も黙っとく〜っ!怯えるこちらの機微を悟り聖上は楽しげに綻んでくれた。
「理由のない処罰はせぬ。其方は今後とも二心なく余と語ろうてくれればそれで良い。思うまま口にするが良い、なにせ其方は数少ない同胞なのだからな」
「頼りにして頂き感謝感激雨あられ」
「ちっとも胸に響かないのは何故かのう?」
「適当に聞き流してるからじゃないですかね?」
「泣くぞ?」
「美形の涙は胸に来ますけどご老体はただただ哀れで。泣く前に動かれた方がよろしいかと」
「オシュトルの給料三割りカットな。妻君(さいくん)が酷すぎて連座の罪で」
「嘘嘘胸に来ますともっ!常日頃から感謝感激雨あられ、尊敬してますお兄様!」
「変わり身早すぎじゃろう、まあいい。其方はそのままで良いが、オシュトルの奴は何が良くて其方を娶ったのかのう」
「洗脳じゃないですかね?」
「お主がそれを言うか」
「ところでオシュトルの給料は……?」
帝は嘆息し答えてくれる。
「気の毒な目に遭わせてるおるから減らしはせぬよ。なんじゃお主、欲しいものがあるなら言えば良いと言うに。オシュトルはがめつついか?儂にたかるほど金に困っておるのならがつんと上から行ってやるが?」
公私混同遠慮して!
「聖上が言ったら腹切り兼ねないからやめてください。そもそも困窮してないしケチられてもないから、大事にされてるから大丈夫です。今私とっても充実しています。なので探られる理由ないんでどうぞご安心頂ければ幸いです」
なんで茶飲み話から部下に手抜きがないかチェックされてんだろう。心配してくれるのは有りがたいけど負担膨大すぎるので止めて欲しい。
「ならば良い。其方は少ない茶飲み友達じゃからのう。弟共々よろしく頼むぞ」
話の区切りにお茶を一口頂いてしみじみ思う。
「ここのお茶は美味しいですね」
「そりゃ地下で栽培しとるからのう。地上の毒素の影響もない。外の茶は甘くていかん。奴らの好みを否定はせぬが食後はやはり緑茶でないとのう」
毒素、地上はまだ環境破壊の影響から抜けきれてないのか。
「何を食べても旨味を感じないのではないか?」
どうしてそれを、と聞くのは簡単だ。だが反応すれば肯定したことになる。ここに知人がいなくても聖上の正しさを証明する真似はできなかった。美味しい物を食べさせようと皆が腐心してたのを知っていたから。私はただ沈黙を持って答えを示す。
「余と弟は実験の最終段階を済ませておる、其方もそうであった。しかし其方は余より前の時代の人間、長期的な冷凍睡眠で破壊された細胞を修復するまでにはいかんかったのじゃ」
「私も、私が消した妹たちのようにいずれそうなると言うことでしょうか」
仮定としては有り得る想定だった。恐れ不安が高まると人間はタタリに変じる呪いを受けている。ハクがタタリ化を免れているのは実験の作用で免疫細胞が活性化されているからだと、原作ではなく何かの記事で読んだ覚えがある。人間のクビキから解(と)き放たれたとも。
私も同じ実験を受けたが元気なハクとは対照的に日が経つ毎に体が衰え朽ちていくのをイヤというほど体感してきた。
投薬実験さえ受ければ人間はタタリのクビキから解き放たれる、そう信じていたかったけどやっぱり無理なんだね。
体力が尽きて溶けるのが先か、その前に始末させてくれということか、物騒な想像に思考が飛びかけるが聖上は落ちつけと取りなしてくれた。
「何も同じになると言うておるのではない。実験は成功しておる。ただ単に其方は時間が経つと細胞が朽ちるから聖廟で継続的に治療した方がいいと言うたまでじゃよ」
それ、かなり致命的じゃないですか?
「ずっとポッドに入っておれと言いもせん。たまにこうして余と語らい必要ならば遺物を使い生きながらえよ。ただそれだけの話なんじゃ」
大切にされてるなあと思う。同類と言うだけで好きなだけ遺物を使い生き長らえる保証も明言してくれたなんて。
「惜しんで頂き光栄にございます」
座ったままではあるが深々お辞儀すると鼻を鳴らされた。
「当然であろう。妹も同然の其方を惜しまぬ兄などいまい」
じゃあなんでウォシスは伏せがちの私を見舞っては軟弱だの大将の妻がそれでいいんですかって煽りに来るんだろうか。純粋な疑問は普段の鬱憤もあり嫌味じみた物言いで口にしてしまった。
「そのわりには御子息を好きにさせてるようですが?」
「千里眼か、相変わらず凄まじいな」
送った手紙そういう風に解釈してくれたのね、助かります。
「子に甘いのは親の必定である。だがまあしかし、好きにさせすぎた自覚はある」「迷惑を掛けたなら謝ろう。通う頻度が多いなら余から一言いうてもいい」
「聞くんですか?」
「聞いてくれると祈るしかあるまい。散々こちらの都合で振り回したからか最近は妙に余所余所しくてのう。そのくせチクチク嫌味を言うはで距離感に困っておる」
あのウォシスが嫌味を言うんだ。大好きな聖上に……意外な一面に瞬いてしまうが聖上は色々溜まっているのか鬱憤を晴らすかのように愚痴をこぼした。
「この前は文句を言われた。何故先に会わせてくれなんだと。年が違いすぎじゃろうと言うに好みだのなんだの五月蠅くてな。あの子は道理のわからぬ子ではないからいずれ落ち着くと思うが、しばらく放っておけば熱も次第におさまろう」
「口説かれて迷惑してます。でも……」
嫌味に言い返すと嬉しそうに破顔するあの表情を思い出す。わからないというとわかるまで付き合う真面目さ、そして送った写真を現像しひそかに懐に隠し持っているとマリカに教えられた意外な一面。ハクやウコンと飲み歩き自慢げに留守番に甘んじる私を詰る様は友達が出来てはしゃいでいるようにも見える。新刊の感想を嬉々としてルルティエに語られ、軽くいなしつつも喜びを滲ませる姿。長く接するようになったからか、最近のウォシスは好ましいと自分でも思う。
「甥っ子としては可愛いですね、あの人」
「其方も相当に罪作りじゃのう」
「あの人百発は決めたかったって言ってましたよ。どうでした親子喧嘩?」
「最後は泣かれた。要らぬ世話でほとほと弱ったぞ。だが其方のおかげで腹の内から話せたのも事実」
「礼を言おう。世話になったのう」
「お役に立てたならば光栄です。今後とも御子息共々良い関係を築いて頂けると嬉しいです。あ、ちなみにライコウの件はご承知でしょうか?」
「締まらん物言いをするでない。とうに知っておる、衛星の探知機能でな」
凄いっすね帝、知ってるならいいわ。
「謀反の動きがない限り捨て置く。余の信条じゃが側近共はそうでないのが嘆かわしいのう」
側近じゃないし。帝の気か長すぎるだけだし。そう胸中で言い訳して帝がいいなら私もそれでいいですと、ホノカさんが入れてくれたお茶を頂いた。
子のことに関しても尋ねれば聖上は答えてくれる。聖廟の施設を使い増やしてよい、今後とも好きに使え、国を揺るがす事態を招かぬ限り止めはせぬ、と。
再三私は礼を言いついでを装い以前から気になっていたトリコリさん、オシュトルの生母を招き聖廟で治療を試みて良いかも尋ねる。帝は渋い顔をされたが、場所が分からないよう連れて来て完治したとしても誰がどう治したか言いふらさないなら見逃すと約束してくれた。
身内に甘いのは帝の欠点だが今はただただ、その配慮がありがたい。
お互い話したいことはあらかた済ませた。トリコリさんに治療の打診をしなければとはしゃぎ深々と頭を下げたところで聖上が頷くと控えていたホノカさんが立ち上がり我が君と呼びかける。うむと頷いた聖上は視線を逸らし迎えが来たぞと教えてくれた。
見れば卓の数歩後ろでオシュトルが膝をつき発言の許可を申し出る。げ、今の会話聞かれてないと良いんだけど。内心ヒヤヒヤの私と対照的にオシュトルは表情一つ変えることなく聖上が頷けば想定通り、某の事は考慮なさらず心ゆくまでご歓談をと頭を垂れた。堅物め、でも雰囲気に呑まれ色々話しすぎたかも知れない。気を付けよう。
「ナナコよ明日に障ってもいかぬ。そろそろ戻られよ」
余暇がないから帰れって事ね、はいはい。帝のすすめに乗り席を立ち頭を下げた。
「お招きいただき光栄でした。また後日」
「うむ、余も楽しみにしておる。だがポッドで癒やすのを忘れる出ないぞ」
え、でも迎えが。
「某のことは気にせず聖上のお話に乗るべきかと。其方をおいて帰りはせぬ故」
「や、逆に帰ってくれた方が安心して入れたというか」
休めないじゃん。私じゃなくてオシュトルが。窮する私を見て帝はほっほっほと楽しげに笑った。
「仲睦まじきは良きことかな。じゃが偶には一人になる時間も必要じゃろう。しつこいと嫌われるぞ?」
いなすと思いきや茶々いれてくるし。それでオシュトルは胸を押さえて下げる頭ますます深くしちゃうし。現人神からの忠告は部下には猛ダメージすぎる、聖上考えて加減。堅物生真面目冗談通じてないから。
「誠に申し訳ありませんっ!今後は囲うような真似は致しませぬので何卒(なにとぞ)、何卒、聖廟にお戻しになる真似だけはどうかっ!」
過剰反応が過ぎる言動に私は慌てて取りなそうとして同じくらい取り乱(みだ)した。
「大丈夫だからそういう話じゃないから!治療どうこうで嫌いになるとかそういう話じゃないから落ち着いて、ね?どうどう」
つい動物をいなすように手をやってしまったが逆に勢いづけてしまったのかオシュトルが立ち上がる。
「ならば尚のこと待たねばなりませぬ。病床の妻を置いて屋敷に帰るなど言語道断。某はできぬ」
……この人の中で私ってどれだけ美化されてんだろう。病床の妻食っちゃ寝生活で逆に元気なんですけど。歩いてここまで来てるんですけど。しかも治療って寝てるだけですからね基本、まっぱだけど。
「夫の心配を組んでやれ。ただ待つだけではないか」
「聖上〜」
面倒毎とみるや聖上は私を切って捨てた。忠臣の夫を前にして面と向かって異を唱える勇気は私にはない。恥を忍び、帝にそっと近寄ったところで耳元に手をやり、くれぶれも裸でぷかぷか浮かんでる情けない姿は見せないでくださいよと耳打ちすれば心得たと得心していただけた。
「奥方が寂しがっておるぞ。治療が終わるまで傍で支えてやれ」
「はっ!子細承知致しました!」
前言撤回、荒波に放り出された。
「う、裏切り者っ〜」
「ほっほっほ」
先導するホノカさんを後ろにせめて一声抗議の声を上げたけど楽しげにいなされただけに終わった。結局遺跡関係の話や私に何を期待しているかの話題には触れられない。まさか本当に茶飲み友達?いやいやと胸中で考えるけど確信に近い理由には今日も至れない。
とぼとぼ廊下を歩き時折一人で来た時に利用する場合の操作方法を教わりながら(オシュトルいるけど良いのか聞いたら理解されないので大丈夫ですと太鼓判を押された、本人も了承していた。いいのかそんな扱いで?)用意されたポッドに到着する。大丈夫だから廊下で待っていてと心配するオシュトルをなんとか追い出しポッドにどぼん。
腹痛の原因を探るためホノカさんは別室でモニター越しに調査だそうで余計な手間を掛けて申し訳ない。何事もなければポット内の液体から卵子と精子を取り出し科学的に細胞分裂させて様子見だそうだ。有難いことに取り違えなどの不安もあるでしょうからと後で一緒に確認しましょうとも声を掛けて頂いた。科学者でもないから正確には分からないけど、当時の一般人でも分かるように組まれたプログラムで見方を教えてくれるそうだ。未来の(この場合は過去か)科学万能過ぎて怖い。注射器いらんやん。マリカ先走りすぎと別室に待機しているマリカに胸中のみで文句を付けて私はポット内の真ん中を定位置に揺れていた。
暴れても検査は出来るから退屈でしたら好きに過ごされて下さいとホノカさんから聞いたけど、筒状の液体の中で出来る事なんて限られている。
さてさて何時間で終わるかなと揺れたりこの時しかできない宙返りに興じはしゃぐもすぐに飽(あ)きた。試験管の中を浮かぶ私は知識ある人から見ればホルマリン漬けの動物にしか見えないだろう。まさにその通りで空しい。アンニュイな気持になった所で胸元に揺れるマスターキーが目に入る。大事な預かり物だから常に身につけているがさすがに風呂やポットに入る際も身につけるのは抵抗があった。液体の浸入も阻むと帝から説明を受けていたから信用して閨でも離さずにいるが、呼びかけると確かに、用件を尋ねる返事が返る。遺跡の中ならばどんなプロテクトも無効にして遺物を行使できる万能の介入キー。扱い方に関して大神からも帝からも特に注意は受けていない。帝に至っては聖廟の施設なら好きに使っていいと許可も得ているからと私は気が大きくなり退屈を紛らわせる遊びをしようとマスターキーに呼びかけた。
室内には色とりどりの珊瑚礁や魚の群れ海底の映像が転写され私の視界を楽しませてくれる。周囲を囲うように揺れ動く映像に合わせて私も上下運動たまに回転すれば視界に入る尾が目に飛び込み楽しくなった。気分はまるでおとぎ話のお姫様である。実際その通りなのだが、いや正確には装っているだけなのが悲しいところだがいいじゃんごっこ遊びなんだしと自分に言い訳して今を楽しんでいる。よく見えるようにポットの前には全身がうつる鏡みたいなスクリーンも展開した。鏡が欲しいと言えばらしい物を出してくれる、マスターキーは便利でとても怖い物だ。
そうして現れた鏡には人魚がいっちょ前にすまし顔で浮かんでいるのが面白い。華美な見た目に反し顔面が残念なのが不釣り合い極まりないが顔まで加工すると癖になりそうだから辞めておいた。たった一人の人魚姫、アンニュイな気分に浸るにはぴったりの題材だ。
現在私は人魚ごっこの真っ最中。その前は中世ヨーロッパのお姫様を気取ったが荘厳な大広間で宙に浮かぶ姫は違和感バリバリなのですぐに辞めた。どうせなら勇者も良いかもと呼び掛けるもやはり浮かぶ自分が客観的に見て変だから辞めた。衣装は格好良かったけどさ。
部屋の映像はもちろん偽物、脚だった箇所に張り付くエメラルドの鱗ももちろん嘘っぱちで胸元を隠す装身具や腕や耳に伸びるヒレは全身をそれらしくしてと頼んで室内の器具から転写された映像に過ぎない。触れようと手を伸ばせば何の感触もないし、脚を広げればすぐに尾は消え人間の脚に戻るから。空しさを誤魔化したくて始めた遊びはより空しさを増しただけで終わった。終わったはずが、人間の欲望は底なしである。
魚と戯れる遊びは飽きた。お姫様は場違いが過ぎる。世界観に合わせて次は天女か月に帰るかぐや姫にしよう。
マスターキーに呼び掛けるとすぐに映像が変わり天上だろうか、乳白色の雲海へと様変わりした。なかなかいい雰囲気に頷き、スクリーンにうつる変貌した自分の姿に二三注文を付けて納得のいくものにする。得心したところで液体の中をそれらしく舞ってみた。作法なんて知らない、らしいで私には十分だ。
羽は賢大僧正を連想するから背中にはない。脚が羽なのは面白いが着物を何層も重ねているから脚を高く上げない限りは見えないのが少し残念だ。上げてみたけれど。雀(すずめ)みたいで可愛い。ひらひら舞う姿をしばらく楽しみ気分が良くなった私は天女っぽい歌を鼻歌で興じていてはたと気付いた。これ天女というより迦陵頻伽(かりょうびんが)や飛天に近くない? 歌だって好きなゲームのオープニング曲だし。偽物バチモン神仙を気取る姿はまさに妖怪変化に相応しかった。
広義から見れば神も異形も一緒かもしれないが身も心も化け物に変じた気はない。そろそろごっこ遊びは辞めにしようと転写を辞め、でも実在したかもしれないごっこ遊びを最後にもう一度だけとマスターキーに呼びかけた。かぐや姫になってみたいな。
たちまち夜の情景と淑やかな出で立ちに変じてホクホクしていると、どこからか視線を感じた。
双子でも心配してみてるのかなとスクリーンから目を離せば出入り口で佇む夫殿がガン見である。ちょっと離れた位置から遠慮も蓋もなく直視されていた。瞬時に客観的に自分を省みてもやばさしか感じない。職務に励む夫と衣装を取っかえ引っかえする妻。居たたまれない。すぐさまマスターキーに転写中止を呼び掛けた所で短慮を恥じた。全裸である。慌てて蹲(うずくま)り胸を両手で隠しオシュトルの動向をうかがおうとそっと見上げれば真顔でこっちを見下げている。見ないで恥ずかしい。
「なんで居るの!」
幸か不幸か、声の届かない位置にいるのか無線を切ってるのか知らないが、オシュトルの横にいるホノカさんがいつのまにか用意していた白いカンペにあまりに心配していたので見せに来ましたと書いていた、神代文字で。ウォシスにしろホノカさんにしろ帝の周囲は性格が図太い。いいのか神代文字の大盤振る舞い、身内判定だからこそなのはわかっている。
緊張感のない笑みに私は脱力、項垂れ力なく手を振ればオシュトルに手を上げられさらに脱力。なんだかどっと疲れてもういいかと寝ることにした。治療完了のサインはまだだ。いい加減解放されたい。
オシュトルが居るのに何の説明もなく宙に光学キーボード展開して操作してるホノカさんとそれを一瞥だけして突っ込まずまたこちらをガン見するオシュトルに突っ込む気力もない。
蹲(うずくま)るまま背中を向けたのは羞恥心からです。昼日中からまっぱどころか少女趣味に興じる恥辱(ちじょく)を晒したくない心情を夫が察するのを期待したがやはりガン見だった。
もういいふて寝してやる。体を癒やすのに専念した方が良い、早く終わればその分夫も休めるし。逸らしもしない視線が恥ずかしいのは否定しない。
「ナナコ殿の元は精霊でしょうか」
「何故そう思われます?」
ちょ通信切ってない!?筒抜けやん!
「某は水神の加護を受けておりますが加護そのものを実体を伴(ともな)って見てはおりませぬ。以前海にまつわる伝承で水中に美しい精霊がすむと聞いた覚えがあり、尾の有る無しはあれどナナコ殿が魚の尾を有するならば水中で自在に動くのも納得かと思った次第」
「お答えする義務はありませんので黙秘致します。そして忠告を一つ。オシュトル様、ナナコ様の出生を疑う言動はお控(ひか)えくださいませ。聖上の怒りを買われます」
「ご忠告、有難く」
「結構。これからもその忠誠が揺るがないよう願います」
「肝に銘じます」
淡々と背後で行き交う会話の緊張感に私は口を挟(はさ)めなかった。突然人魚扱いされ美化された言動の数々に耐えられず茶化そうと機会をうかがっていたがけんもほろろなホノカさんの対応にドン引きである。私って機密扱いされてる?大いなる父の一端だけど聖上に重宝されるほど出来が良い訳でもないよ。目をつむりうんうん呻ってもろくな考えは浮かばない。
兎にも角にもオシュトルが肩身の狭い思いをしないよう大人しくしておこうと怖い会話は聞き流した。
「ナナコ殿の美しさが、某は時に……」
時になんですか!?なんですか今の呟き!審美眼狂わせすぎでしょオシュトル様!オンヴィタイカヤンの遺伝子操作効きまくりでドン引きだわ。利用しまくりの私が言えることじゃないけどさ。
「痛むところはないか?」
ポッドから出て早々何時間か待機させていた夫がバスタオルを手渡し心配そうに尋ねてきた。
「完治完治、もうどこも痛くないよ」
だから大丈夫だぜと着替える傍ら握りこぶしをつくるけどやはり体を痛めておられたかと消沈させてしまう。口が滑った、またもうっかり気を付けないと。
「些細でも今後調子が悪ければ遠慮せず打ち明けるのだぞ、某が言いづらければ他の者にでも構わぬ。痛い思いをされる方が某はつらい」
「うん、心配掛けてごめんね」
「謝る理由などどこにも」
体を拭く間膝をつき控える態度のオシュトルに懸念を尋ねた。
「さっきのだけど誰にも言わないでね。あれ本当に化けてるわけじゃないから」
「心得ている、明かしたところで信じる者もおらぬさ。某の胸の内に留めておこう」
よかったと胸をなで下ろすが続く言葉に安堵の溜息は胸の内でつっかえてしまう。
「美しかった。草紙に聞く神仙の類はかように美しいものかと……そんな顔をするでない」
嫌そうな顔をしていたのだろう。頬をくすぐられて黙っているのも不実な気がして躊躇(ためら)いがちに口を開いた。
「普段の私は、そのっ……」
「普段の其方あっての美しさだ。無論美しいとも。芋(いも)いなどとは微塵(みじん)も」
慰めの言葉は予想していたが思いも寄らぬ発言に仰天し顔をまじまじと見てしまった。オシュトルは飄(ひょう)々としている。
「思ったの!?」
「野暮(やぼ)ったいとは露ほどとも思いは」
視線を逸らした。口元は常より上がっている。
「思ったくせに?!」
詰め寄ればついに口角を上げきるから頬でも抓(つね)ってやろうかと手を伸ばすが仕事に障(さわ)ると寸でで堪(こら)え代わりに厚い胸を軽く叩くと破顔一笑。全力の抗議は私の拳が痛いだけで終わった。
「少しは気も晴れただろうか?」
「冗談だよね?」
「当然であろう? 其方の元気が出るよう活を入れただけであるが」
「元気が出たように見えるならクオンに目見て貰うべきと忠告するわ」
「至言であるな。やはり湾曲に伝えるには某は不得手、火に油を注いだだけとは精進が足りぬ。すまぬな、力不足で」
……そうでもないけど。なんてのは調子に乗りそうだから黙っておいた。気取り屋め、なんて憎まれ口をドキドキで呟けばすまぬななんて、謝らなくてもいいのに謝るからもういいよと切り上げて着物を着た後は嬉しかったとお礼だけ伝えた。
その後は廊下に待機していたホノカさんの案内でモニタールームに通される。検査した際に採取した細胞をオシュトル共々提示され説明を受けた。さすがに直接的な物言いは避けられたがオシュトルは歪曲的な表現でも何をしようとしているか理解したのだろう。深々と頭(こうべ)を垂れ協力に感謝を申し出た。応じるホノカさんに先ほどの棘(とげ)はなく私もオシュトルに倣(なら)い頭を下げた。
では参ろうと、オシュトルの呼び掛けに応じ聖廟を出て迎えに来たマリカの案内で見送りに来てくれた双子達と合流する。
用意された馬車に乗り靄の中右近衛邸に帰り、夫はまた仕事にとんぼ返り。玄関で五月蠅い小姑と見送る。
「ゆるりと休まれよ」
「あなたも折を見て」
「善処する、では後ほど」
「行ってらっしゃいませオシュトル様」
頭を下げて忙しい彼を見送った後はけんもほろろなネコネちゃんと楽しい諍いに明け暮れた。口では悪く言うが言い過ぎないよう気を付けてくれているのがわかるから、悪く言われてもさほど傷つきはしない。むしろ可愛い。聖上は亜人をデコイと蔑むが彼等との交流はなかなかどうして楽しいばかり。
「ならどうしてご主人様はいつも浮かない顔をされているのです?」
読心術で心を読むな〜。場にそぐわない呟きにネコネちゃんが仰天する。
「主従共々目が狂ってるですか?ナナコさん始終楽しそうですが」
「オシュトルと結婚できて幸せ〜」
なんてネコネちゃんの後押しをするけれど主人第一のマリカはこちらの意図を読んでくれない。はっと鼻を鳴らして全否定してくる。
「これ演技ですよ。ご主人様は本来控えめな方、余計な詮索されて周りに迷惑がいかないよう頑張っているのです。義理とは言え尊きお方の縁戚になられたのならば必死に道化を演じ馴染もうとされる努力を気遣う素振(そぶ)りぐらいみせるべきかと、モゴ」
揉(も)め事は勘弁。
「一言どころか全部多い!」
「……そうなのですか?」
んな訳ないじゃん!
「実はそうなの!皆を明るくしようと頑張ってて」
「迷惑しか掛けられてないです、明るくどころかうんざりなのです」
ああそうですか……胡乱げに見てくるネコネちゃんの視線が痛い。
「幸せでない方がおかしいのです。常に常春頭になるのも理解できますが、傍で見ているネコネはネコネは、うぅ」
ありゃ、溜息を付いてたネコネちゃんが次第に涙目になっちゃったぞ。
「何故ですか、何故なのですかオシュトル様、こんな方に様なんてネコネは付けたくないのに。オシュトル様ならもっと素晴らしい良家の子女がよりどりみどりになのにっ、よりにもよって粗野の極みだなんてっ……」
あんまりな良いようだけど完全に同意だわ。平民で常識皆無の私じゃまさに月とすっぽんだもん。玉の輿どころか月にスッポンが嫁ぐ荒唐無稽さ。ま、それも遺伝子操作の本能がきっかけで本人の意思じゃないのが負い目なんだけどさ。
「ご主人様が後ろめたいのはそこでしたか」
お願いだから黙れマリカ。
「後ろめたいって何がですか?確かに見初められたナナコさんには後ろめたい縁談かもしれませんが足場を固めているのなら問題ないのです。品性の欠片もないぼんやりさんなのが大変よろしくないですけど」
自分から貶めたのに庇ってくれるんだねネコネちゃん。素直じゃないけど優しい性分のネコネちゃんが私は大好きだよ。彼女の真心に答えるべく私は口車に乗ろうと胸を張った。
「粗野の極みが妻君でご愁傷様だねネコネちゃん。あんま嫁いびり過ぎると姉様に言いつけてやるからほどほどにね〜」
「ぐに〜っ!このっ、性悪粗野粗暴狸のくるくるぱー!」
「ちんちく秀才かわいこちゃんに凄まれたって可愛いだけだわ、あっはっは!」
大丈夫わかってるよ、本心じゃないってね。ネコネちゃんは涙目でこちらを睨んでるけど本心は違う筈だ……そうだと思いたい。
「ハクさんで、ハクさんで鬱憤晴らしてやりますから覚えてろなのですよ〜!」
あ、本心でした。とばっちりで明日ハクはきっと酷い目に会うだろう。ごめんハクと胸中で謝罪して今度お土産もってくから許してねと去る義妹をぼんやり見守るマリカに話しかけた。
「ねえマリカ、ネコネちゃんってとってもいじましくて可愛いよね☆」
「私はご主人様が必死で取り繕う様が理解できません」
だから流しといてって言ってるのに。わからなくていいよ、てかわかっちゃいけない問題じゃん。解消なんてどだい無理なんだし。事ある毎に感じる価値観の違いとか疎外感だとか。聖上やハクに親近感が募るほど隠密集に隔たりを感じて、その分騙してるみたいで苦しくなるだとか知らない方が良いんだよ。私の馬鹿、自覚したくなんてないのに。てか騙してるのは事実なのに今更だとかって、汚い。
「私はいつだってご主人様の味方です。ご主人様は汚くなんてありません。そんなものは生きているなら誰もが持つ感情の一つに過ぎません」
「何言ってるかわかんないけど答えとくわ。物には限度があるの、過ぎれば毒よ何事も」
「ご主人様、私は短い間ですがご主人様を近くで見てきました。勝手が許されるお立場にあっても相手を思い動かれるご主人さまはとてもご立派です。孤独に苛まれようと罪悪感で押しつぶされようと私は貴方の味方です。ご自分を責める道理はありません。どうぞ心安らかでいてくださいませ。事情を知らずとも皆様心は一緒です」
まっすぐ私を見上げるマリカに勝手を言うなと憤るのは簡単だろう。その言葉には様々な解釈もとれるけどうがった見方は彼女の好意を無碍にしているようで否定の言葉を私は吐けない。ぐっと堪え、真摯な瞳にあえて指摘せず私は好意的な解釈を取ることにした。
「……ありがとう、マリカ」
どんな未来を歩もうとその心が普遍であるよう願っているよ。
「もちろんです、ご主人様!」
だから読心術やめて〜。
私はとても恵まれている。優しい家族に恩人達、押しつけられた部下だって私を敬(うやま)い尊(とうと)んでくれるのに、晴れない心が胸の内に暗雲をもたらしていく。見ない振りを今日もきっと聞こえてるだろうに律儀に私の言いつけを守り黙るマリカを連れて日々を過ごした。
夜半、突然ウォシスが訪れ駆け落ちするなら今しかないですよと客間で応対したオシュトル共々妙に強く勧(すす)められたが、動機も明かせない話しに乗るわけにもいかず断った。こちらを気遣う意思だけは強く感じたので何か理由があるのだろうと判断し夫共々何度も感謝の意を伝え礼を尽くしたがウォシスは気落ちした風で最後まで理由を明かさず席を立つ。表情は晴れず楽しみにしていただろうついに開いた花を持ち帰るのも断られた。見てよ一輪、執務室に飾ったのと強調すればちゃんと振り向いてくれるのに、綺麗ですねとすぐに視線を戻す様がなんだか素っ気なさすぎて首をかしげる。庭に咲いた渾身のもう一輪の紫陽花は、見送る途中急いで摘み連れの冠童に持ち帰るよう託したので大丈夫なはずだ。何を落ち込んでいるかは知らないが花でも見ればウォシスを気に掛ける者が多少いると思い出してくれるだろう。
もしや知っていないかとマリカに耳打ちしても不思議そうに首を振るから本当に知らないんだと当惑した。明かせないほどの理由か、マリカも知らないなら知らない方が良いんだろうとオシュトル同様私も流しておくことにする。
後から知らされて傷つく地獄もあると私は知識で知っている。知らぬが仏、知るばかりに見えてしまう地獄もあるんだし。言い訳なのもわかってる。
……そういえば聖廟のポットに入る際腹痛の調査結果をホノカさんから聞くはずが濁されたのを思い出した。結果を尋ねると数日後に正確な結果が出るのでお待ちくださいと言われたけど数日後は聖上に結婚しますとお目通りする日でもある。私が原因でウォシスを曇らせた……なんて考えは自分でも思い上がりが過ぎているなと自嘲した。
理由は知らないがこちらに何かの余波が来ないよう配慮してくれたんだろう、何かは知らないが好意的に受け取る方が賢明だと私は気を取り直した。
ウォシスの杞憂が晴れるといいなとオシュトルと二人、玄関先から去る背を見送った。
風と行く